日本に初めて整った歴史の編さんが行なわれたと言われますのは推古朝の時代でございますが、日本には中国から讖緯説という思想が伝わっておりまして、これは十干十二支の組み合わせのうち、きのえね、すなわち甲子、あるいはかのととり、すなわち辛酉という年が大変化の起こる年であるという一つの予言の学問、学説でございます。
しかし、ともかく六朝から隋のころにかけてはかなり中国において流行しておった思想でありまして、それが当時の日本は中国の思想に対して非常に推古朝あたりから敏感でございますから、そういうものを取り入れる、ことに歴史を編さんしょうとした場合、やはり時代の変化ということを何か理論づける考え方が必要である。
それ以来、推古朝においては、聖徳太子みずからが仏教の精神による十七条の憲法を制定せられて、しかもこの憲法は道徳的な憲法としても後世長期にわたって尊崇を受けておる。奈良朝の天皇は相次いで仏教の尊崇者であり、また中央に東大寺を置き地方に国分寺を置いて宗教をもって国是とせられておる。