1966-06-23 第51回国会 参議院 文教委員会 第24号
以上のような理由により、私は紀元節は神武元年辛酉正月一日を記念する日であり、建国の日は推古九年辛酉正月一日を記念する日であるとすべきであると思います。両者ともにわが国民の国家意識の育成に大きなかかわりがある日でありますが、前者は神武創業の神話と長い国民感情を基とし、後者は聖徳太子による日本の国家建設という歴史事実を基とするものであります。
以上のような理由により、私は紀元節は神武元年辛酉正月一日を記念する日であり、建国の日は推古九年辛酉正月一日を記念する日であるとすべきであると思います。両者ともにわが国民の国家意識の育成に大きなかかわりがある日でありますが、前者は神武創業の神話と長い国民感情を基とし、後者は聖徳太子による日本の国家建設という歴史事実を基とするものであります。
それを特に推古九年の辛酉の年、これを基準にして千二百六十年さかのぼったということ。それから聖徳太子のときに日本で初めての歴史が編さんされた、したがって、日本書紀はそのときに編さんされたる日本歴史を材料にしてつくられたものに違いないと思うのであります。これは、したがって、日本書紀編さんのときに創作されたものではない、こう言えると思うのであります。
それから日本書紀の紀元は推古九年の辛酉の年から千二百六十年逆算してきめたのだ、この説。この説にも十分批判の余地があると思う。それから卑弥呼比定の問題、神功紀年代の比定の問題、それから朝鮮、シナ――漢韓史との年代の比較問題、こういった問題が学問的には取り上げられなければならぬのであります。こういうことがまだほとんど論議されておりませんで、そうしていつの間にか学界の定説などと言われてしまった。