1984-03-09 第101回国会 衆議院 運輸委員会 第2号
それから、この間、梅小路の貨車区の指導助役が労災事故で亡くなりましたが、これは五九・二ダイヤ改正で貨車の体制が変わったものですから、新しい職場へ行って指導しておったわけでありますけれども、自分が出し入れを指導していた車にはねられて亡くなった。まだ壮年の方で、非常にお気の毒だと思うのです。 ところが、この人の勤務状況を国鉄の方から聞いてみますと、公休にも出勤をしているんですね。
それから、この間、梅小路の貨車区の指導助役が労災事故で亡くなりましたが、これは五九・二ダイヤ改正で貨車の体制が変わったものですから、新しい職場へ行って指導しておったわけでありますけれども、自分が出し入れを指導していた車にはねられて亡くなった。まだ壮年の方で、非常にお気の毒だと思うのです。 ところが、この人の勤務状況を国鉄の方から聞いてみますと、公休にも出勤をしているんですね。
この梅小路貨車区の指導助役が二月二日に触車事故によりまして亡くなりまして、私ども大変衝撃を受けているわけでございますが、この種事故の再発を防ぐために、可能な限り原因を調査し、また対策を講じつつあるわけでございます。
二月二十四日、香椎機関区指導助役から同上個所の手直しの願いがあった。 二月二十六日、香椎機関区指導助役から同上個所はどうなったかと連絡があった。 二月二十四日、レール損傷(ダイヤモンド亀裂発見)。 二月二十七日、踏切警報機関係、線路不良二件。 三月二日、踏切警報機関係絶縁不良一件。 たいした大きくない職場でございます。毎日平均一件程度の事故が報告され、修繕が要求されています。
話せば長くなりますから、詳細な説明はいたしませんけれども、あそこの職場に参りましてまず第一番に私驚きましたことは、いずこに原因があるかは別問題として、どこの機関区に参りましても指導助役さんというのは多くて三名ぐらいだと思いますけれども、あの新鶴見は指導助役さんが十数名おいでになるわけです。しかも乗務員を指導するところの指導員というのは九名だそうでございますけれども、職場には全然姿が見えない。
しかし、こっそりと覆面で助役だの、指導助役だのを使って、そして、これは技術上の指導じゃなくて、この人が組合事務所に一分間入るか、入らないかを見に行く。ストップウォッチで時間を見たりするというところまで発展しているということでは、これはたいへんなことでしょう。
たとえばここにある一例は、若松の運転区でありまするけれども、指導助役が、昭和四十五年十二月二十四日でありますが、酔っ払って乗り込んできて、停車中に乗客の若い女性をひやかしをしたので、乗務員がそれをたしなめた。そうしたらその助役は、酒はうちで飲んだのだが、もう三時間も過ぎている、だからいいのだ、こういうことを言っている。
しかし、まことにかわいそうだったということを兄貴も言っておるそうでありまするから、これは名前はだれが何を言ったという——あなたのほうにはたとえば駅長だとか首席助役であるとか指導助役とかいろいろありまするけれども、それらの人たちが手を変え品を変え、宿舎の問題やそうしてその試験の問題について内申書を書くにしてもみんな言っていることは、明らかに国労脱退、鉄労入会というものを突きつけて、よく考えてみよということを
それから、追分の機関区でもいわゆる指導助役、それからその他の助役、添乗していませんよ。勤務していないのです。勤務していないでこの旅費を支給しておる事実。これも私が調査して発見したことだ。 こういうことは一体総裁通るのですか。総裁、これは追ってわれわれ決算委員会あるいは会計検査院の問題になると思うが……。
これはどういうことかといいますと、マル生運動には積極的でありましたが、復帰者、脱退はしたけれども結局また国労に復帰をした、そういうことから、おまえはどうも成績が悪い、こういうところから本区の指導助役から支区の区長に降職をさせられた、こういうことがあるわけであります。
岩泉指導助役は配転希望調書をとったさい、国労組合員に対して強制・脅迫した。平沢首席助役、楠美助役、岩泉助役は一方的に組合掲示板をとりはずした。大滝助役は国労組合員に対し「国労にいれば試験に合格しない。鉄労に加入せよ」」、このようなことがなされておりますし、はなはだしい場合は試験問題を事前に流されて、これは大阪の阪大の問題でも、試験問題が事前に流れて大騒ぎをしました。
そうしていま昇給してなければ、回復昇給させるのだということを、主席の助役やあるいは指導助役の命令でやられている。こういうことがたくさんあるのですよ。私は、時間がないから言いたいけれども省かなければならぬが、こういう国鉄の住宅に入る問題についても、このような差別が次々に行なわれているじゃないですか。それがさっき言った抜てきのときに響いてきている。これが不当と思われませんか。
四十五年の四月十三日でありますが、朝勤務が終わって帰宅をして休養をして床についたのは午前十時、そうしたら十一時には助役と指導助役と管理助役の三人がたずねてきて、眠っているのを起こして、一枚の紙で中にミシンが入っていて、一枚切ると動労の脱退届け、二枚目には鉄労の入会申し込み、三枚目には管理者に対する通知というようなことを印刷してありますね、あれを持ってきて、これに判を押せということで迫った。
職員の自宅を訪問した事実は認め、次、会津若松運転区池田指導機関士が、高木俊広の自宅を訪問した事実は認め、次、会津若松運転区清水助役が、昭和四十四年七月ごろ、川又喜一の自宅を訪問した事実は認め、次、長町機関区遠藤首席助役、高橋、針生、中目各助役が昭和四十四年五月中旬ごろ職員の自宅を訪問した事実は認め、次、長町機関区針生助役が昭和四十四年十月下旬、鹿又明の自宅を訪問した事実は認め、次、長町機関区中目指導助役及
しかし指導助役とか指導機関士という人たちが手みやげを持ってやって来るそうでありますが、やって来ていろいろな話し合いになる、すぐ追い返すわけにいかない、事実上そこに拘束された時間というものが生まれてくる、こういうことを無神経に行なって一体いいのか。戦争前は、たとえば役人は天皇の官吏という考え方がありました。二十四時間中拘束されているのがあたりまえだという考え方があった。
それから次に静岡駅の指導助役興津善作の行為に関連いたしましてお尋ねのございました点を取り調べた結果を申し上げますと、静岡駅の操車掛は全員で十三名でございます。このうちの一名は退職予定者でございまして、結局その一名を除きましたあとの十二名が会合する予定になっておったわけでございます。
興津指導助役の発言の内容は、お前たちが第二組合に協力しなければ、将来予備助役にも出ていけぬぞ。将来の昇進については云々、こういうことが中心問題で、論議をされているのです。しかもその最中には、酒が出て酒を飲んでいるのです。今私が、あなた方の報告書をとって見ると、そのお酒は、正月であるから会食しようということになり、一人当り百二十円の会費で会食をした、この文章はつくろっております。
○吾孫子説明員 この報告書に書いてございます通り、静岡駅指導助役の興津善作か、運転事故防止のための座談会を二十一、二十二の二日間開きたいと言いうので、駅長はそれに承認を与えた、こういうことでございますが、たまたま当日非常に寒い日であって、それに出席する者は非番者であるので、中にかぜぎみの者もおり、講習室は暖房の設備もなく、気の毒だと思っておった際に、石原運転掛が自分の宿舎を使用してはどうかということを
○下平委員 時間もないそうでありますから少し飛ばしていきますけれども、第二項の「静岡駅指導助役興津善作の行為について」というところで、事故防止のための座談会を開いた。ところがこの報告書によりますと、私が指摘をした通り通常は座談会とが研究会というものは、駅の講習室なりあるいはその他の施設を使ってやるのですが、このときの座談会は一体なぜ個人の私宅でやったのでありますか。
今年の一月二十一日と二十二日、これは静岡駅に起きた事件でありますが、静岡駅の指導助役の興灘善作という男が、非番者及び公休日に当る操車掛十二名をマージャンをやるからちょっと集まれといって集めた。集めた家は、静岡駅の小野田運転掛の自宅に集めた、こういうのです。その家で協議をされたことは――まずお酒が出たそうであります。
たとえばここに具体的に名前をあげますと、興津善作というのですが、これは静岡駅の指導助役です。この指導助役の興津善作という男が今度の第二組合の発起人になってやっているのです。これはあなた方も調査をしてみればすぐわかることだと思います。
ところが現実には非組合員、管理者の立場にあるところの静岡駅の指導助役興津善作が発起人になって、そうして第二組合を作っておる。この管理者の立場としてあなた方は、自分の部下の行動についてどういう理解を持ちますか。管理者の立場として、一貫した管理者の立場というものは貫かれておるはずです。あなた方は組合に干渉しないと言っておる。
○大橋委員 その次に指導助役があなたのところにどう処置しようかと言つて聞きに來たのですね。
○中島証人 指導助役室。
○加瀬證人 普通指導助役というのは別にあるのですが、たまたま指導員であり、兼務助役であるというところから、そういうことを言う人もあるわけなのです。
○鍛冶委員長 それを普通指導助役というのですか。