2017-03-22 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第4号
必要な条件整備も、今研修の在り方とかおっしゃいましたけれども、残念ながら十分ではないし、各地域で拠点、中心になる指導者を集めて研修をしたからといって、そこからネズミ講のように、そんな研修の状況が現場にくまなく下りていくかって、そんなものではないというふうに思います。 外国語指導に関して、今後、条件整備をやっぱりまずしていかなければいけない。
必要な条件整備も、今研修の在り方とかおっしゃいましたけれども、残念ながら十分ではないし、各地域で拠点、中心になる指導者を集めて研修をしたからといって、そこからネズミ講のように、そんな研修の状況が現場にくまなく下りていくかって、そんなものではないというふうに思います。 外国語指導に関して、今後、条件整備をやっぱりまずしていかなければいけない。
本当に今学校が地域コミュニティーの拠点、中心としての位置付けというのは、これからますます役割が強くなってくるんではないかなというふうに思っています。 そんな中で、私も先日ある中学校に行ってまいりました。さっき申し上げたみたいに、非常に元気な学校なんですけれども、職員室にお邪魔しても先生方はほとんど見えません。
そのほか、実は物流拠点中心にある程度拠点の集約をいたしますと、全体の輸送距離というものがいわゆる錯綜していたものが整理をされるというようなことで短くなると、こういうような事例もございまして、これも具体的なある倉庫業の拠点を集約した例を基にして調べましたところ、二〇%というような事例も見られているところでございまして、私ども、今回のこの法律で取り組みますところの流通業務の総合効率化事業ということに使われる
ですから、公民館の運営をやる気ある青年層などの地域NPOに任せてしまい、彼らの活動の拠点として活用させる、そして、公民館を地域NPOの拠点、中心点にしてしまう、それくらいの公民館の思い切った活用はできないものなのでしょうか。 そして、地域に密着したダイナミックな議論が行われることにより地方行政を骨太なものとしていくことができます。
特に、導入ということにつきましては、いろいろ今までも国の制度の中でお力添え願ってまいったわけでございますが、今まではどちらかと申せば拠点方式、一つの広域性の中で拠点を形成し、そこに工業団地を形成してやってきたというのが典型的な姿であろうと思うわけでありますが、なるほど拠点中心の工業導入はいいように見えますけれども、それは近隣町村をねぐらの町にして活力を喪失させるという大きな問題を含んでおります。
今、大臣がおっしゃられましたように、かつては生産拠点中心であった。しかし、生産拠点を地方で確立をしていくためには、いろいろな問題が解決されなければだめであった——だめであったと決定的に言えるのかどうかわかりませんが、まだなお解決していかなければならない背景の問題があります。
ですから、列島改造というものが地価上昇に拍車をかけたということを言われるならば、それは少なくとも、私は端的に申し上げておりますのは、東京や大阪の拠点中心主義ではなく、全国の水のあるところ、一次産業比率の高いところ、そういうところもあまねく開発をしなければならないと言っておりますから、いままでは過疎地帯であって二束三文であったものが、やがて工場が来るな、売らないでおこうということで地価が幾ばくか上がることに
全国民が都市に寄ってきていいんだ、こういうことではなく、やはり都市環境を提供すべきでございまして、いわゆる東京や大阪や拠点中心主義でもって百年も来た現在の状態を是認して、無制限な状態では、金をつぎ込んでもとてもどうにもならぬと私は思うのです。 そういう意味で、東京や大阪の改造でも、やはりこれ以上入ってこないということを考えるには、やはり列島改造をやらなければいかぬ。
その内容についても、短い時間で多くの問題を取り上げるのは無理ですから、私、ただここで一つ、この新しい予算の中で、どうも拠点中心主義で、たとえば苫小牧とか道央地区等の予算の伸びは非常に大きいのでありますが、その、反面、産炭地だとかあるいは農村、漁村等への対応は決して十分ではないようであります。
それは拠点中心主義というものをそのまま、政治の中心地であり、文化の中心地であり、産業の中心地であり、こういうようなとにかく大拠点にすべての人口を集中する、いまのままでいけば昭和六十年には総人口の八〇%ないし八五%は都市に集まるであろうというのがコンピューターによって出ておるわけであります。そうなると、物価の問題や土地の問題や水の不足の問題第一公害の問題がある。
ですから、この事態でいまの大拠点中心をそのまま引き伸ばしていくと、いまでさえも公害、物価、宅地の値上がり、いろんな問題があるにもかかわらず、これ以上一〇%ずつの成長を続けるよりも、五%か三%の成長でも続けたとしても、これはもう収拾できないようになります。これは都市集中のメリットとデメリットがちょうど明治百年で一つになって、今度はデメリットのほうが多くなります、こう私は指摘しておるのです。
いままでは政治も文化も産業も一緒のものが拠点中心に集まってまいった。それはやはり一つには、長い政治の中心地として、産業の中心や文化の中心として公共投資が集中的に行なわれてまいったことも一つの利点でございました。それから、人はたくさんおるし、職も求めやすい。
これからちゃんと何%、五%でも七・五%でもコンスタントな成長を続けて、その成長のメリットというもので国民生活の向上をはかるとしたならば、もうけよりもよけいに公害投資をしなければならないような、拠点中心主義、集中主義をとってはならないということになるわけです。これはもう言うなれば、ある意味における集中排除法であります。 これは通産省も、四十二年に工場立地の適正化法というのをつくったわけです。
ですから、もう拠点中心主義ではどうにもならないというわけであります。これは東京や大阪の町の中を、道路を全部三倍にしなければならないといっても、これはとても六十年までにできるわけありません。そうすると、やはり分散をせざるを得ないということになるわけです。
だから、どう考えてみても、拠点中心というものは、経済的に見たら確かにメリットがあるわけです。しかし、それはもう過度集中になって、メリットがデメリットになっておるということでありますので、どうしても地域を拡大していく、だから産業の内容は変わってきて、知識集約型になることによって公害というものは非常に少なくなるんです。それがまた今度地域が拡大をされることによってもっと少なくなる。
○田中国務大臣 各種地域立法がたくさん出ましたけれども、これは地域の立場から、地域振興という一つの目的を達成するためにつくられたものでございますが、しかし東京や大阪、名古屋というような大拠点中心の太平洋ベルト地帯のほうに産業や人口が集まることによりメリットが大きかったわけであります。
そのかわり、水があり、土地があり、自然の浄化作用がある地帯というものは、全く過疎でもって困っておるということを考えてみれば、もうこの狭い日本を、総合的に合理的な総合開発を行なうという以外には、二次産業の比率の拡大ということは、いまの拠点中心主義では求られない状態になっておる。
戦後非常にスピーディーに本土の工業化が行なわれましたし、しかも明治初年から百年間続いてきた拠点中心主義、文化も経済も工業も一切のものが東京や大阪や名古屋に集中しておる、県庁所在地に集中しておる、こういうことで、公害問題は特に過密地帯における公害の形で大きく取り上げられ、複合公害という問題を前面に押し出さざるを得ないということになっているわけです。
工業国十カ国、ソ連も含めて十一カ国の工業地帯はみな北であるにもかかわらず、日本だけが東海道、関東中心に二次産業の発達ができたということは、すでに限界である、こういう考え方で工業再配置というものを踏み出したわけでございまして、新全総及び工業再配置、農村地域工業導入促進法、それから北海道、東北開発法のように拠点中心主義の地方開発法、中部開発法とかいろいろなものがございますが、こういうものを一つのつながりを
当日の配置が拠点中心、いわゆる団結小屋その他の代執行地を中心に配置をされたのではないか、こういう御質問でありますが、報道等を通じていろいろごらんになりまして、あるいはそうお考えになっておられるかもしれません。
○尾之内政府委員 今後の道路計画の構想といたしましては、全国の主要な拠点を中心に、これらの地域間を相互に結びまして、拠点中心に開発していく、こういうような考え方に基本的には立っております。このために、昭和五十五年に目標を置きまして、このような幹線的な道路網を五十五年までに約六千五百キロぐらい整備するということが、一つの骨になっております。