1974-11-12 第73回国会 参議院 建設委員会 閉会後第3号
戦前の拓殖計画は内務省の解体で中断され、戦後は北海道開発法により北海道開発庁が発足、昭和、一十七年以降は北海道総合開発計画に基づいて、資源開発とともに社会基盤、生活基盤の整備が進められてきたのであります。
戦前の拓殖計画は内務省の解体で中断され、戦後は北海道開発法により北海道開発庁が発足、昭和、一十七年以降は北海道総合開発計画に基づいて、資源開発とともに社会基盤、生活基盤の整備が進められてきたのであります。
この北海道開発法自体が、昭和二十五年の、戦後の混乱期から北海道をひとつ国家的に見直そうということで、その前ずっと拓殖計画もありまして、それを踏まえた上での開発でありますけれども、こういう北海道開発法という法律の上に乗った北海道の開発、この点は他の県の総合開発等々と違う大きな問題であるわけでありますが、そこで、北海道開発法これ自体ほんとうに北海道の開発のために大きな推進役をしているのかどうか。
この五万八千の北海道が、明治三十四年以来のいわゆる拓殖計画第一次、第二次とやりまして、現在開発計画をやっていただいているわけでありますが、こういうことによりまして、現在の人口はすでに五百万、五万から五百万をこえる北海道を築いておる。
○青柳秀夫君 私は前にちょっと北海道におりまして、北海道のいわゆる拓殖計画といいますか、内地移民のことにも携わったのでありますけれども、あれなんかは行った人を非常に保護している。それで土地も二十町歩無償で本人に上げる。その他いろいろな点で行った人が困らぬようにあらゆる施設をしてやっております。これは海外移住で違うのでありますけれども、私から言えば、国内の方がよほど行く人も気楽なんです。
かって戦前の第二期の拓殖計画が閣議決定になった場合と、今度の第二次五カ年計画が閣議決定になった場合である。かっての閣議決定というものが日の目を見ないで、私生子扱いされてきただけに、道民は非常に第二次五カ年計画の閣議決定に大きな関心を持って参りましたし、大臣もしばしばこのことにつきましては地方遊説その他の機会においても意見を発表されておるわけであります。
あるいは、日本の利益に反する場合は、いつでも東南アジアの開発なりあるいは賠償問題というものは、そういうものと抵触するときにはこれは成長しないのだとかいうならば、戦前において行われた日本の拓殖計画なり何なりと同じ考え方じゃないかというような非常な誤解を生むのじゃないだろうか。
いたしまして、興部と書いて「おこっぺ」と読むのでございますが、興部から浜頓別に至る路線、これは両端の方が若干ずつできておりますので、そのまん中があいておる、これを興部と浜頓別の浜をとって興浜線と呼んでおるのでありますが、これを一つに数えた、こういった路線でございまして、この美深から北見枝幸に至る路線、これは鉱山の資源であるとかマンガン、そういった鉱山資源、そういうようなものが相当ございますので、北海道の拓殖計画
そこで、従来北海道の行政につきましても、戦前は拓殖計画というようなものがありましたが、戦後においては行政がもと、北海道は北海道長官というような別な考え方であったが、その後一般の公選知事というようなことになりましたために、とかく、これが本州の行政の延長主義のようになりましたので、その特殊性というものが失われたことを私ども非常に遺憾に思っているのでございまして、そこで北海道開発庁というものができまして、
ことに北海道という開拓の余地のある所を考ますときに、過去におけるところの開発の歴史はどういうふうになっているかと申しますと、第一次の拓殖計画時代から、常に冷害、凶作に見舞われたときに、そのあとに実は寒地農業確立の問題が出てこないことはないわけであります。
○永井委員 北海道開発の歴史的な足取りを考えてみます場合に、第一期といわれる開拓使時代は、第一回の拓殖計画として、明治五年から十カ年計画で、国費を当時の金で一千万円投入するという長期の計画をもって、この長期計画の中の年次計画をもってこれがなされたのであります。
最初に、北海道開発に関する計画、並びにこれが実施に関してでありまするが、前には、北海道に関しましては北海道拓殖計画というなものが計画せられ、しこうして実施されたのでございます。
われわれは多年、仕方がないから自まかない主義という主義を立てまして、戦前までは自まかない主義でやっていこうじゃないかというのが、例の拓殖計画であります。第一次、第二次の拓殖計画というのは、自まかないなのであります。日本の国費をもらわないで、自まかないでやって参った。
たとえば、従来は北海道拓殖計画とか、開拓計画とかいう言葉が行われたのですが、今度は北海道庁というので、また昔流に、開拓庁という明治時代の名前が復活してくるというような考え方が残存しておる。その観念が根底に置かれて北海道開発が行われるということは、非常に危険であるということが問題の中心であるのです。
○竹谷委員 これに関連をしまして、国土開発問題で一つだけお尋ねしたいのでありまするが、北海道に関しましては、明治以来拓殖計画が実施せられておりまするし、今北海道開発庁が特設せられまして、強力に開発を押し進められておるのでございます。ところがこれに対しまして、北海道省を設置する、あるいは北梅道を五つの県に分けるというような意見がある。
この九十億九千九百万円のうちにおきまして実施する事業は、前年度から引き続いて施行いたしております八十七河川、その内訳は、内地で七十六河川、北海道で十一河川でございますが、この八十七河川と、北海道における特殊河川、これは御承知のように、拓殖計画に関連いたす改修でございます。
戦争中、拓殖計画の第二埠頭、雑貨バースでございますが、これを急ぐ関係で、このほうに国の機関であります道が借用いたしまして、第二拓殖埠頭を完成いたしたのでございますが、更に石炭積込みの設備を促進する必要がございますので、昨年度から鉄道からお借りしたケイソンを返却、これは予算で以て返却いたしておるように措置を講じておりますので、石炭積込み棧橋のワン・バースの完成を目途として目下工事に着手しておりますような
こういうふうに、さらに税金の面から申しましても、かつては北流道第二拓殖計画というものは自まかない主義によりまして——御承知のように北海道から上る総収入、北海道で使う総支出、これを差引勘定いたしまして、それの黒字分を翌年度の北海道開発の財源につぎ込むというような、自まかない主義をとつて参つたのでありますが、現在ではそういう状態になつておりません。
そういう意味で、せつかく昭和三年くらいまで北海道の拓殖計画が進んだのに、満州事変でとだえてしまつた。やつと戦後北海道の開発が日の目を見て、昨年までやや順調に来たのに、本年は防衛費の増額で、新規事業は全部切られてしまつた。どうも北海道の開発というものは、国の防衛計画が進むにつれて逐次減退して行くということは、これは争うことのできない事実なんです。
過去の拓殖計画におきましても十分考慮したのでありまするが、実績は思うように行つておりません。政府におかれては、よく過去の経験を研究されまして、完全にビートと家畜が結びつきまして、それによつて農家の経営が安定になるように、農林省各部局間で完全な一致した御方針をとつて実施して頂きたいと、この二点を加えて賛成をいたします。
しかも北海道には拓殖計画があつて、その拓殖計画は北海道の全収入を全部北海道に使つて、なおかつ年内八千万なり九千万なりという国費を北海道に導入して、北海道を開発せんとする計画であつたのであります。かような植民地的な拓殖計画を持つておつた北海道と、人口が稠密しており、しかも気候風土において日本国民として世界に誇るべき風土を持つておる内地と漁獲高においてどれだけの差があるか。