1966-03-29 第51回国会 衆議院 決算委員会 第14号
○小西参考人 押谷議員の御意見、多少変わっておりますが、その当時の反対運動と申しますのは、周囲の方の反対運動でございまして、署名をせよとか、あるいはこれに猛烈に反対をせよというような指示はいたしておりません。
○小西参考人 押谷議員の御意見、多少変わっておりますが、その当時の反対運動と申しますのは、周囲の方の反対運動でございまして、署名をせよとか、あるいはこれに猛烈に反対をせよというような指示はいたしておりません。
過日本会議で自民党の押谷議員も、これを本年は処理する年になるのじゃないかという意味のことを発言されておりますけれども、これは、国民ひとしくどう処理するだろうかということについては関心を持って見ているところでございます。
はたせるかな、押谷議員が御指摘になるような点が、人によっては一日の停止であっても、御承知のとおりにみんなそれぞれ議席も失わなければならぬ、いろいろ重大な問題が含まれておるわけでございますので、やはりこういった問題については、裁判官の自由裁量に一応まかすといった形が正しかったのではないかと、私も現に考えておるわけでございます。
いま押谷議員から、受刑者の給食の問題でだんだん御質問があったのでありますが、非常に大事な点に触れておると思いますので、若干私も関連してお尋ねしてみたいと思うのであります。
今日は押谷議員の質問に対して、あなたは告発をした、これは速記録に載っておるからはっきりしているわけですが、そういう答弁をしたわけです。だから、あなたがその六月に警察当局に連絡をしたというのは、あなたの方は告発のつもりで行ったのか、連絡のつもりで行ったのか。その点一つ、あなた、はっきりしておいてもらいたい。
派遣委員は、自由党所属野村議員、押谷議員と本員、改進党の高倉議員、社会党の井上議員の一行五名をもつて調査をいたして参りました。以上大要その御報告をいたします。 第一、京都事件の事件の概要から申し上げます。一、二月二十三日再軍備反対青年婦人大会の概要であります。以下二月二十三日を二・二三事件と申し上げます。
○田嶋(好)委員 私、実は押谷議員のときに出席いたしておりませんでしたので、重複するかもしれませんが、その点はあらかじめ御注意を願いたいと思います。 今米兵の立場からの質問もございましたが、最近講和談判が非常に早くなつたという報道並びに見通しをもちまして、国民とともに喜んでおります。