1953-02-27 第15回国会 参議院 本会議 第28号
併し「民主的社会において公安の維持を司る警察力というものは、究極において、上から課せられた人民に対する抑圧的統制をもつてしてはその最大限の力を発揮し得るものでなく、却つて、人民の公僕として、また人民に直接責任を負うという関係において始めて無限の力を得る」ものであると、殆んど完膚なきまでに痛烈にマツカーサー元帥は旧日本の警察制度をば批判し、その短所、欠陥を余すところなく指摘しているのであります。
併し「民主的社会において公安の維持を司る警察力というものは、究極において、上から課せられた人民に対する抑圧的統制をもつてしてはその最大限の力を発揮し得るものでなく、却つて、人民の公僕として、また人民に直接責任を負うという関係において始めて無限の力を得る」ものであると、殆んど完膚なきまでに痛烈にマツカーサー元帥は旧日本の警察制度をば批判し、その短所、欠陥を余すところなく指摘しているのであります。
これは一九四七年九月十六日に日本政府あてに発せられましたマツカーサー元帥の書簡の趣旨の一端を思い合せますと、はつきりとするのでありますが、ちよつと読んでみますと、「民主的社会において、公安の維持をつかさどる警察力というものは、窮極において上から課せられた人民に対する抑圧的統制をもつてしては、その最大限の力を発揮し得るものではなくかえつて人民の公僕として、又、人民に直接責任を負うという関係において、初
それから第三の根本理念といたしましては、「民主的社会において公安の維持をつかさどる警察力というものは究極において、上から課せられた人民に対する抑圧的統制をもつてしては、その最大限の力を発揮し得るものではなく、かえつて人民の公僕として、また人民に直接責任を負うという関係において、初めて無限の力を得るということ」もうたわれておりまして、警察力の根源というものは、政府というよりもむしろ国民より発する、そうしてその
「右と関連して銘記すべきことは、民主的社会に於いて公安の維持をつかさどる警察力というものは、究極において、上から課せられた人民に対する抑圧的統制をもつてしては、その最大限の力を発揮し得るものではなく、かえつて人民の公僕として、また人民に直接責任を負うという関係において、初めて無限の力を得るということである。