1952-04-21 第13回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第18号
京都においては、昨年十二月以降、越年闘争、公安条例闘争、反植民地闘争を通じて、労働者の共同闘争が打出され、それが実力行使の裏づけにより発展して来ているが、二月二十三日より三月二十日まで、三月一日の万才記念日、三月十五日の三・一五記念日、三月十八日の小林多喜二祭と記念日が相次ぎ、これらを三月二十日大会に結集し、共同闘争の一応の締めくくりを行うとともに、春季闘争を発させる突破口とし、両条約粉砕、打倒吉田内閣
京都においては、昨年十二月以降、越年闘争、公安条例闘争、反植民地闘争を通じて、労働者の共同闘争が打出され、それが実力行使の裏づけにより発展して来ているが、二月二十三日より三月二十日まで、三月一日の万才記念日、三月十五日の三・一五記念日、三月十八日の小林多喜二祭と記念日が相次ぎ、これらを三月二十日大会に結集し、共同闘争の一応の締めくくりを行うとともに、春季闘争を発させる突破口とし、両条約粉砕、打倒吉田内閣
一、給料未拂い分の即時支拂い要求、二、首切り案即時撤回、三、労働協約改悪絶対反対、四、打倒吉田内閣に組合員と同一の歩調をとれ、五、資金カンパ、かくして六月十四日午前四時、会社側は工場閉鎖のやむなきに至り、二十数箇所に閉鎖の立札を立てましたけれども、八時三十分には従業員全部が入場をし、それに続いて友誼團体一千四百余名が入場して、賠償工場を占拠するに至つたのであります。