1952-07-03 第13回国会 参議院 本会議 第61号
即ち一面合法、一面地下の団体があつて、外国の指導と支配を受けて、日本国内にゲリラ又はバルチザンの戰法を以て武装革命の遂行を企図しつつあること、かかる企図の準備として、広汎な団体組織を以て計画的に革命の正当性、必要性を扇動し、刀劍、竹槍、時限爆彈、火炎手榴彈、ラムネ彈等の兇器や武器を収集製造することを企て(「戰車はどうした」と呼ぶ者あり)或いは警察から拳銃の奪取を指令し、又必要あらば関係公務員に対し、
即ち一面合法、一面地下の団体があつて、外国の指導と支配を受けて、日本国内にゲリラ又はバルチザンの戰法を以て武装革命の遂行を企図しつつあること、かかる企図の準備として、広汎な団体組織を以て計画的に革命の正当性、必要性を扇動し、刀劍、竹槍、時限爆彈、火炎手榴彈、ラムネ彈等の兇器や武器を収集製造することを企て(「戰車はどうした」と呼ぶ者あり)或いは警察から拳銃の奪取を指令し、又必要あらば関係公務員に対し、
その内容は時限爆彈、火焔びん、手榴彈、催涙ガス彈等の化学的製法を詳細に述べているのであります。右は一部破壞的分子が破壞活動に出る準備として、かような文書を流布したものと認められるのであります。
それからいま一つは「球根栽培法」に手榴彈というようなものを書いてありまするが、当時暴徒は原爆ということを言つておつたそうでありますが、これはとうがらしでありまして、これを破けやすい袋に入れて、取締りの警察官にまつこうからぶつけまして、そうして目つぶしを食わせるということになるのであります。
特に敵を襲撃するために必要な——敵というのは、これはおそらく警察官を指しておるものと考えられるのでありますが、敵を襲撃するために必要な輸送、軍用自動車のパンク針、手榴彈、爆発物等のような簡單なものはただちに製作することが必要である。
この中に特に敵を襲撃するために必要な輸送車用のパンク針、手榴彈、爆破装置等のような簡單なものとなつておりますが、きわめて簡單なものを使用しておつたのであります。
そうしてアメリカ軍が琉球に上陸したときには、そのときには小学校の小さな生徒が先生に引率されて手榴彈を持つて真只中に飛込んで全部散華してしまつた。だから今人口統計を見ると満二十歳から五十歳までの男子は全人口の七・二%しか残つていない。
そのときは小学校の小さな生徒が先生に引率されて、手榴彈を持つて真ん中に飛び込んで全部散華してしまつた。最後は小学校の生徒だつたのです。こういうふうに小学校の生徒から、女学生から、それから五十歳の人間まで全部動員された。その最もひどいというふうなことが結果においてわかりますのは、一九四六年の六月末日、向うのその当時の人口統計が出ています。
この林西には鉄工所、いわゆる銃器の修理、あるいは手榴彈の作製、迫撃砲のたまの作製等に日本人の工員が四、五十名おりました。さらに林西県から東の方に大院子というところがあります。この大院子にも陸軍病院がありまして、医師ほか看護婦等が五十名近くおりました。
○吉田証人 それは四八年の八月でありましたが、いわゆる徳田書記長が佐賀、久留米――九州演説の途中、たしか佐賀だつたと思いますが、古賀とかいう某によりて手榴彈を受けた。
すなわち二十日午前零時、民團側暴力團約二十数名は、白鉢まきに日本刀、手裏劍、手製手榴彈等で武裝、当連盟下関支部管内大坪分会方面に大挙來襲し、当連盟員数名に、背後より日本刀でめつた切りにし、当連盟下関支部管内第一分会長夫英明氏に瀕死の傷を負わせ、金國(二十歳)氏の右肩に手榴彈を投げつけた。さらに花田と称する二十歳の青年は、警察官の面前で背中を突き刺されたが、警察官は犯人を逮捕しなかつた。
それは奉天におりました四十人ばかりの青年達が、戰後のあの混乱した思想の中にあつて、遂に意を決して決死隊を作つて、警察局と軍の司令部を手榴彈と拳銃を以て襲撃した事件があります。そうしてその四十何人の青年隊は刑を受けて、ソ連に送られたのでありますが、それは極めて悪い例であります。
その際犯人の居宅からはピストル、日本刀、手榴彈、ダイナマイトその他相当数の火藥まで発見された。これは最近における最も兇惡なる武器を持つた犯罪であります。かように考えております。恐らくその件ではなかつたかと思つております。
瀬戸内海方面におきまして、逮捕いたしました犯人の家宅からピストル、日本刀は勿論のこと、手榴彈、ダイナマイトなどが発見されました。最近土佐沖で密輸船が日本の表示をした船をダイナマイトで沈沒させて遁走したというような事態が起つております。海上保安廳といたしましては、又密漁船におきましても、最近はダイナマイト密漁が非常に多いといつたような関係でございます。