1994-11-15 第131回国会 参議院 逓信委員会 第2号
手塚治虫さんの漫画が三十年も前から高速道路をつくっていたように、十年たったらあるいは二十年たったら恐らくこうなるであろうというようなことを衆知を集めて、しかもあらまほしき姿はどうなんであろうかということがひとつ明確になれば、山の頂上がはっきり見えればどこから登っても一点に集約するんだけれども、それぞれが違った山へ登って、通産省は通産省、郵政省は郵政省で、行ってみたら全然違った峠に立っていたというようなことになりますと
手塚治虫さんの漫画が三十年も前から高速道路をつくっていたように、十年たったらあるいは二十年たったら恐らくこうなるであろうというようなことを衆知を集めて、しかもあらまほしき姿はどうなんであろうかということがひとつ明確になれば、山の頂上がはっきり見えればどこから登っても一点に集約するんだけれども、それぞれが違った山へ登って、通産省は通産省、郵政省は郵政省で、行ってみたら全然違った峠に立っていたというようなことになりますと
というのは、私ども子供のころ手塚治虫さんの漫画なんか見てますと、将来は高速道路というのができて、そこに未来型のランプがついて、夕方になると自動的についてとかというのを漫画で見ました。あのころ先鋭的な劇画だの漫画だのお書きになる方が既にそういうことを予想しておりましたし、ジュール・ベルヌの例をとるまでもなく先見性を持った人はかなりいました。
彼らが大尊敬をしております「鉄腕アトム」の手塚治虫さんに例えば映画に連れていってもらったとかとにかくもう休みといえば映画。映画を見なければ次の漫画の想は出てこないという、そういう時代の映画というもの、まさに一世を風靡しておった、日本の文化を支配していた映画というものをどういうふうに権利構成しようとしたかということが今でも残っているんだろうと私は思うわけです。
つまり、例えば手塚治虫氏のアトムなんという漫画を見ている人にとっては、お茶の水博士というのが大変偉いものだというふうに思うわけです。すばらしいことを成し遂げる人間だと思うわけです。 そういうわけで、研究者というのは世間では大変高く評価されている職業だと思うんです。
そこで基本的な考え方の問題という点が非常に大事だと思うんですが、労働大臣、漫画家の手塚治虫さんの「鉄腕アトム」という漫画があるのを御承知でしょう。あの漫画でロボット憲法というのがつくられている、これはおもしろいんです。その第一条は、「ロボットは、人間をしあわせにするために生まれたものである」。十三条は、「ロボットは、人をきずつけたり、殺したりできない」。こういうのがこのロボット憲法なんですね。