2008-04-10 第169回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
戦後、沖縄を占領統治していた米国民政府は、布告第三十六号をもって市町村長に土地調査を命じ、戦争前の所有者の申告に基づいて地図作成をしろ、こういう命令をして、その中で、米国民政府は、旧日本軍が接収した土地の所有権申請は絶対に受け付けるな、もし米国民政府の通達に違反してそれを受け付けたら厳罰する、こう言って、米国民政府の調査員、カワカミという日系二世の兵隊を、毎日この市町村の土地調査をしているところに回
戦後、沖縄を占領統治していた米国民政府は、布告第三十六号をもって市町村長に土地調査を命じ、戦争前の所有者の申告に基づいて地図作成をしろ、こういう命令をして、その中で、米国民政府は、旧日本軍が接収した土地の所有権申請は絶対に受け付けるな、もし米国民政府の通達に違反してそれを受け付けたら厳罰する、こう言って、米国民政府の調査員、カワカミという日系二世の兵隊を、毎日この市町村の土地調査をしているところに回
そういうような形で、なぜ土地代を払った場所と払っていない場所が一緒くたにされているかというと、米国民政府がその区別をわかるわけないと、だからこの地域の所有権申請を受け付けさせなかった。それで、この地域の人たちはそのとばっちりを受けているわけであります。戦後も復帰後もずっと土地代支払いを要求し続けてきたが、それがかなわず今日に至っているわけであります。
これは米国民政府が所有権申請させなかったんだ、罰すると言って。それで国有地になっているんだ。それが全部、小字が一筆になっているんですよ。こんな畑がありますか。そんな土地がありますか。皆さんは、だれそれがしから買ったという証明ができますか、本当に。できないでしょう。何で私法上の手続を経て国有地になったと言えるんですか。だれから買ったのか言えますか。
なぜそうなったかというと、米軍が占領当時の中で、米国民政府が昭和二十七年土地調査をやったのですが、旧日本軍が接収した土地の所有権申請を受け付けるなと民政府が厳に強い達しを出して、それを受け付けたら罰すると言うものですから、みんなそれを受け付けなかった。それで国有地になってしまった。 その状態を、私が、国会に出てきてからこの問題をただしたのです。
説明員(山口健治君) どのようにしてその隣接地主が立ち会って現場検証をやったのかという御質問でございますが、残念ながら昭和二十一年から二十六年の間というのは、日本政府の行政機関が全然存しなかったわけで、それを大蔵省あるいはその他の省庁をして公式に確認するということはできないわけですけれども、当時のいろいろな事情を聞いたり、あるいは残存している費料を見ますと、所有権認定作業の際に、旧地主が提出する所有権申請書
○説明員(山口健治君) 国有地であったものについて土地所有権申請ができたかということでございますが、仮にそのとき、その当時国有地扱いであったものにつきましても、それが、その申し出た方が正当な権利者であるという場合には、土地所有申請は認められておったと思います。
所有権申請をしたい人本人が読谷飛行場に立ち入ることができたかどうかという問題でございますが、この点は他の飛行場関係ではできたという調査が成り立っておりますが、読谷飛行場自体では、できたであろうという推定にとどまっておるのが現在の状況でございます。
第二点、当時朝鮮戦争の前後で、読谷飛行場は重要な基地として軍用機の発着が激しく、各人の土地所有権申請や決定に対する異議申し立てのため、各人の立入調査が不可能であったとは認めないのか、あるいは可能だったと認めるのか、これが二点であります。
このたび特許法等の一部を改正する法律案が国会に提出されましたが、本法案の趣旨は、特許庁の審査事務の簡素化を主体とし、未審査件数の処理のための工業所有権申請書の早期公開主義であります。