1971-02-22 第65回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第3号
これは特に何々公社柏木寮とか何々公社戸山寮とか、あるいはどこそこの株式会社の寮、名前だけはずっと伏せておられるが、これは学者のエチケットで伏せておられるのでしょうな。そこで先ほど申し上げたように、現在の使用量というものは、まあ時間があれば一問一答でいきたいが、時間がないから申し上げますが、とにかく百五十とか二百というふうなところへ、浪費、一日に五百リットル使っておるというのです。
これは特に何々公社柏木寮とか何々公社戸山寮とか、あるいはどこそこの株式会社の寮、名前だけはずっと伏せておられるが、これは学者のエチケットで伏せておられるのでしょうな。そこで先ほど申し上げたように、現在の使用量というものは、まあ時間があれば一問一答でいきたいが、時間がないから申し上げますが、とにかく百五十とか二百というふうなところへ、浪費、一日に五百リットル使っておるというのです。
実は私共厚生委員会は十二月二日の土曜日の午前から午後にかけまして東京都内の厚生施設を見て歩きましたのでございますが、そのうちの一つに身体障害者の福祉法を適用されております戸山寮の傷痍厚生館というのを見たのでございます。この厚生館というのは厚生という文字は名のみでございまして、これは私がよく承知いたしておりますが、戦時中は馬が入れてございましたところの建物でございます。
あと予定しておりまするものは、東京の戸山にあります戸山寮、愛知縣の半田市にありまする愛知縣の新生寮、新潟の小千谷寮、北海道の釧路にあります釧路協助館、香川の善通寺寮、それだけでございます。
これははつきり場所を申し上げてもいいのでございますが、實は戸山寮でございます。ここなどは初めは同潤會の母子アパートとして建てられたものが、軍人援護會で買収して遺家族の母子寮にしたのでございますが、そういうような状態で、今までにありました母子寮というものが、いわゆる差別的に軍人に遺家族などを収容しない。
なお同胞援護會の戸山寮、立川の萬世寮の問題につきまいては、御指摘のようなことがありましては、まことに遺憾なことであると思いますが、同胞援護會とも十分連絡をいたしまして、あらためてまたお答えを申し上げたいと思います。
それから戸山ヶ原に戸山寮という母子寮がございます。戰爭前からあつた母子寮でございますが、この母子寮から、戰爭中子を抱えた母たちが強制疎開をさせられた。そして歸つてきたときには附近の戰災者たちがはいつてしまつて、氣の毒な母たちははいれない。いろいろ折衝いたしまして、結局五世帶だけ入れてもらうことに二年かかつて話がついたのでございますけれども、まだ五世帶がはいつておりません。