2008-03-21 第169回国会 参議院 予算委員会 第12号
さらに、公社案では、この需要予測が間違って、交通量、したがって通行料収入が計画どおりに上がらなければ、今この公社が管理をしている若戸大橋、あるいはいずれできるかもしれない、できる第二若戸道路、この料金も値上げされるというような事態まで起こり得るのではないかと思いますが、いかがです。
さらに、公社案では、この需要予測が間違って、交通量、したがって通行料収入が計画どおりに上がらなければ、今この公社が管理をしている若戸大橋、あるいはいずれできるかもしれない、できる第二若戸道路、この料金も値上げされるというような事態まで起こり得るのではないかと思いますが、いかがです。
○政府参考人(佐藤信秋君) 我が国における海を渡ります現代のつり橋の建設、これは一九六二年に完成しました橋長六百八十メートルの、中央の支間長が三百六十七メーターでございますが、の若戸大橋に始まります。当時、世界最長の中央支間長はゴールデンゲートブリッジの千二百八十メートルでございました。日本はそういう意味では長大橋技術に関しまして欧米諸国に立ち後れていたというのが当時の実態ではございました。
この決算委員会での議論は、湖戸大橋線の列車のスピードをダウンする、それは二年間に限って行うんだ。
○説明員(龍野孝雄君) 減戸大橋の供用開始に伴いまして離職を余儀なくされた船員の方は四百九十八名でございます。このうち、現在再就職していない方は百二十五名になっております。
中でも、洞海湾をまたいでおります、戸畑、若松にかかっております若戸大橋、世紀の大橋ということで大変歓迎されたわけでありますが、つくられたこの大橋自身が二車線ということになっておりまして、当初はそれで十分であったわけでありますが、だんだん工業が発達しますし、また人口がそれぞれふえてまいりますと、百九十九号線の渋滞もともかくとして、この大橋自体の渋滞が非常に激しくなってまいりました。
昭和三十七年に技術的粋を集め、衆目の的となった若戸大橋は、現在大きな岐路に差しかかっております。建設当初の計画交通量六千台が、今日二万八千台と五倍の交通流に発展し、ピーク時の交通滞留は著しいものとなり、時間ロスは目に余るほどと言われます。
○野田哲君 大学を卒業して、あの若戸大橋の設計に携わったり、今度瀬戸内海に橋かかる、あれの設計や現場の監督にずっと携わって二十年勤めた人と、公務員として局長、次官になって一年ぽっとそこへ勤めた人と、役員として。どこにそれだけの値打ちの違いがあるんですか。それを聞きたいんですよ。
若戸大橋を渡るかどうかは、若松と戸畑が一番関係がございますけれども、やはり八幡にも関係があるわけです。料金を下げると償却の期限がまあ少し下回りますけれども、三十年の六十七年までかかるだろう、こうおっしゃる。最初の始期が多少違っておるようですけれども、あれは三十七年にでき上がりました。初めはほとんど橋を渡らないで、ぐるっと回ったんです。最近は少し回復をしてきた。
ですから、私どもから考えますと、東京や大阪は同じような距離でも二面円で済むものを、いなかで言いますと、若戸大橋をつくっても百五十円だとか、あるいは道路で言いますと三百五十円。それを安くしてくれぬかと言いますと、いろいろな理屈をつけて、いまの説明のとおり、これはできませんというお話になるのですが、さっきの若戸大橋の例でごらんになるとわかりますけれども、回数券を買えば百円になる。
しかし、せっかく橋ができて――若戸大橋ができましたときには、若戸大橋に何万という人が見に来ました。それからその次は、パールラインというか天草五橋ができたらそこに移りましたけれども、天草五橋にもずいぶんたくさんの人が集りました。せっかくできた関門大橋にたくさんの人が来るだろうというのは、下関も門司も期待を持ったところなんです。北九州市も期待したところなんです。
若戸大橋も大体償還が済んだと聞いているが、現在取っているわけです。償還の済んだやつは早急にやめてもらわないと——それからその他の地区でも自動車の激増に伴いまして、償還期限も相当早まっているだろうが、地域から言わなければ黙って道路料金を取るようじゃ、これは困るのですが、いかがですか。この三つの問題について具体的に御答弁を願います。
たとえば大学の場合に、どこの大学とは申し上げませんが、あるいはアメリカの生物化学の委託研究、あるいは若戸大橋の委託研究、それぞれ膨大な委託研究費をもらいますが、これはその研究者のトップ、キャップが受け入れて、そして弟子たちに適当に分けて研究が進められていくということで、当時、やはり国立の大学の場合は国の予算に入れて、必要なものは支出すべきだということでございましたが、それほどいま改善されておるとは思
また、上吉野川橋は、早明浦ダム建設に伴う県道本川-大杉線のつけかえ工事の一部として架設された二鉸式補剛構吊橋で、長さ三百二十一メートル、幅員六メートル、中央支間二百五十メートルという、吊橋では若戸大橋に次ぐものでありますが、その架設に当たって、平行線ケーブル架設法、補剛トラス架設法、プレキャスト床版工法の三つの実験調査を行なってきたもので、工事は四十四年十二月に着手、本年七月一日に完成したものであります
洞海湾につきましては非常な汚染で問題になったわけでございますけれども、現在環境基準といたしましては、洞海湾の外側につきましては、もう響灘に入ってしまいますと完全にA類型、洞海湾口のところ、一部若戸大橋から湾口にかけましてはB類型、これは海域のB類型でございます。それから若戸大橋の奥をC類型ということを目標にいたしてございます。
これは関門海峡から若戸大橋、若戸大橋からその中の奥洞海というところに対しまして、幅三百メートルから二百メートルくらい、水深が九メートルあるいは八メートル五十というような規模で工事を行なっておりますし、また、船がとまるための泊地もしゅんせつしております。
で、現在関門海峡から洞海のほうへ、ずっとこう奥深く航路を掘っておりますが、これが関門海峡から若戸大橋まで、この間の航路を大体三百五十メートルから二百五十メートルの幅、水深が九メートルの航路にこれを整備しつつあります。それからまた、奥洞海から奥のほうに至りますと、大体八メートル五十から九メートル、幅も二百メートル程度に狭くなりますが、このような航路に整備をしていく。
この排水基準を決定いたします根拠となります環境基準につきましては、洞海湾の外の響灘はA類型、若戸大橋までがB類型、そのほかがC類型、このように当てはめて行なっております。 環境基準によりますと、B類型までは魚が住むのに適当であるということになっております。
○説明員(田中光次君) 私が申し上げましたのは、八万ないし九万立米というのは、北九州港管理組合が若戸大橋から奥のほうをやっている部分について申し上げたのです。外のほうの国の直轄工事でやっている部分につきましては、先生のおっしゃられましたとおり四十三年、四十四年度におきまして百二十万五千立米でございます。それから四十五年度分につきましては九十三万立米を大体掘る、こういう予定になっております。
洞海湾の航路の整備につきましては先生もよく御存じだと思いますが、二つございまして、まず第一は、若戸大橋から下流のほう、つまり洞海湾の入り口のところでございます。これは港湾整備計画に基づきまして現在九メートルにここ数年直轄工事によりましてしゅんせつを実施中でございます。
汚染の実態から見ますと、若戸大橋から湾口のほうへ出てまいりますとまだ比較的よろしいのでございますが、湾央のほうでございますと、中洞海から奥洞海にかけましては、これはほとんど水が滞留して動かないというような状況から、CODにつきましても三〇から四〇PPMというような高い数字を示しております。
わが国の橋梁の経験では、西日本においては尾道大橋、あるいは音戸架橋、いまかけつつある関門架橋、完成した若戸大橋、天草五橋、そして西海橋、このような実績を日本道路公団は今日まで持っております。水深三十メートル以内でありますれば、ニューマチック・ケーソン工法であり、それ以上になりますと、オープン・ケーソン工法であります。
そうすると、たとえば若戸大橋であればもう二つかかっているというようなことが出ておりますけれども、こういうようなことをやっておったのでは、これは地元住民の利益に反する。へたをすると汚職、腐敗の根源にもなりかねないというふうに思うこと、これが第一点。