1947-10-16 第1回国会 参議院 鉱工業委員会 第13号
或いは戰爭がすでにもう負けそうになつたという形相が濃くなつた戰爭末期でさえも、四十万人の労働者で、一ケ月平均四百万トンの生産がありましたのに、現在平和に立ち帰り、而も全部が日本人で四十万を突破する労働者に主食六合の配給をしながら、尚月に二百万トン台にまごまごしておるという現在の我が國の炭鉱の状況を、表面だけ見ますれば、いかにも機構が惡いかのごとき錯覚を持たれるかも知れませんが、一度石炭鉱業の実相を知
或いは戰爭がすでにもう負けそうになつたという形相が濃くなつた戰爭末期でさえも、四十万人の労働者で、一ケ月平均四百万トンの生産がありましたのに、現在平和に立ち帰り、而も全部が日本人で四十万を突破する労働者に主食六合の配給をしながら、尚月に二百万トン台にまごまごしておるという現在の我が國の炭鉱の状況を、表面だけ見ますれば、いかにも機構が惡いかのごとき錯覚を持たれるかも知れませんが、一度石炭鉱業の実相を知
次に少年保護團體でございますが、これは經營難のために、漸次戰爭末期に比べますと、段々その數が少くなつて參つて、休止或いは廢止が非常に多くなつて來ているという状況でございます。これはこの團體に對する補助が十分でないということと、子供の委託に對して日々補給する補給費の額が十分でない、このために少年保護團體が經營難に陷つているということが大きく原因しておると存じます。
從いまして現状におきましては、特に又解體その他の問題を取上げて參りますると、過渡的にもいろいろ能率を低下するという虞れもございまするので、一般的に申しまして、特に戰時中、その中でも戰爭末期におきまして、無理な統合をしたというような場所におきまして、殊に會社内部の事情におきまして一日もこの總合體を維持して行けないような場合というようなものを除きましては、原則的にはこの統合體を差當りは維持して參りたい。
昭和二十年戰爭末期に非常に空襲が激しくなりましたときでございます。あの当時各大都市に、空襲を受ける危險の多い所におきましては、多くの病院が他に身賣りをいたしまして、そうしてその金を握つて田舎へ疎開をしよう、或いは医療機関としてそれを放釋してしまつて、とにかく人に賣つてしまつて田舎に逃げようという傾向が非常に多くなつておりました。時の政府はこの点を憂慮いたしまして閣議の決定をいたしました。
これが今まで戰爭末期から現在にいたる間、非常にこの電力の使用の合理化という問題が抛擲されておつたのであります。それで是非これを強力に推進したい。そういうふうに考えております。 次に戰爭中、又終戰間際におきまして、爆撃その他によりまして、變壓器を燒き、又送電線路が爆撃を受けて潰滅に瀕したために、そうして電線の供給が都合よく行かないために、今の各配電線路、送電線は非常に容量が小さい。
水産廳の問題に區切つておかしいのでありますけれども、非常に水産の仕事が發展しておつた、戰爭末期の五大會社があつたりした當時には、非常に大きな規模をもつた水産業でありましたので、その當時から水産廳設置ということがやかましく言われておつたのでありますが、そういうことが全然問題にならなくなつた現在において、ただ一つ問題になつておるのは、お話のように食糧行政の面から大きく取上げられるということでありまして、
交通通信の關係もありますが、殊に戰爭の影響により、戰爭がだんだんと熾烈になつてくるにつれ、その戰災の影響を受けて書類が滅失してしまうというようなことが戰爭末期にはひどうございました。それから十八年の下期ごろからの状態でありますが、外地方面との交通通信が杜絶いたしまして、殊に南洋廳は十八年ごろからもうすでにまつたくの戰地になつた關係もありまして報告が來ないように相なりました。
從いまして特に戰爭末期の状態で軍の必要からつくり上げたような會社でありまして、統合自體にも非常に無理があつたというようなものにつきましては、いろいろ事情を精査いたしまして、關係者の公正な意見も聽きまして、これを解體するというようなことも考えなければならないかと存じまするし、今後あるいは獨占の弊害が著しく現われてきたというような場合につきましては、考えなければならないと存じまするが、一應統合體は原則として