2017-05-16 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第8号
「若シ萬一戰爭デモ起ツタ場合ニハ皆勇ミ立ツテ君國ノタメ一身ヲ捧ゲテ大ニ盡クスヤウニ心掛ケネバナラヌ」というふうにして、万一戦争でも起こった場合という、もう戦争とはっきり、何か国に困難があったら、災害があったらとかいう意味ではなくて、戦争、もう図解までして、こういうものが全国の学校や家庭に配られて、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」というのはこういう意味だということが当時教えられてきた。
「若シ萬一戰爭デモ起ツタ場合ニハ皆勇ミ立ツテ君國ノタメ一身ヲ捧ゲテ大ニ盡クスヤウニ心掛ケネバナラヌ」というふうにして、万一戦争でも起こった場合という、もう戦争とはっきり、何か国に困難があったら、災害があったらとかいう意味ではなくて、戦争、もう図解までして、こういうものが全国の学校や家庭に配られて、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」というのはこういう意味だということが当時教えられてきた。
さらに、昭和二十一年十月五日、貴族院における、帝国憲法改正案特別委員会の安倍能成委員長が本会議で行った報告の中でも、 國際聯合憲章ノ規定スル自衞戰爭、共同防衞戰爭等トノ關係ハ、將來國際聯合ニ加入スルコトトナツタ場合ニ別個ニ考へルベキデハアルガ、寧ロ其ノ際ハ我ガ國トシテハ、兵力ノ提供義務ヲ留保スルト云フコトヲ考へルコトニナルデアラウ、 と、こう委員会の報告でも述べられております。
という第四条に関する解説なんですが、その中で、 第四條は健全財政を堅持して行くと同時に、財政を通じて戰爭危險の防止を狙いとしてゐる規定である。
「戦争放棄ニ關スル憲法草案ノ條項ニ於キマシテ、國家正當防衛権ニ依ル戰爭ハ正當ナリトセラルルヤウデアルガ、私ハ斯クノ如キコトヲ認ムルコトガ有害デアルト思フノデアリマス、近年ノ戦爭ハ多クハ國家防衛權ノ名ニ於テ行ハレタルコトハ顕著ナル事實デアリマス、故ニ正當防衛権ヲ認ムルコトガ偶々戦争ヲ誘發スル所以デアルト思フノデアリマス、(中略)正當防衛權ヲ認ムルト云フコトソレ自身ガ有害デアルト思フノデアリマス、」即ちこの
「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
戰爭中の国家権力のあり方、その作用の仕方、とりわけ裁判所のごときものまで、日本人に対しても、また外国人に対しても、法の厳正な適用あるいはその上に立つ裁判というようなものがまつたくなされなかつたのでありますから、こういうものも多かろうとそんたくするに決しそやぶさかではございません。しかしながら、さりとて一応権威をもつてやつたはずであります。
○委員(高橋英吉君) 質問というほどでもないのですが、この憲法制定の際、私ども審議に参加したのですが、あの当時は、国際連合が理想的に発達して来て、将來戰爭事というものは絶滅するだろうというような明るい希望をわれわれ持つて憲法制定に当つた。また具体的に国際間のことを言えば、米ソの間に今日のような対立が生じるということも全然予想しなかつた。当時はその傾向が見られなかつた。
戰時におきまして交戰国が交戰権に基いて敵船敵貨及び中立国の一定の船舶並びに戰時禁制品をその国の捕獲審検所の検定を以て捕獲し得ることは、瞬時国際法上一般に認められている、ところでありまして、我が国におきましても太平洋戰爭中旧捕獲審検所が設置せられ、国内法たる海戰法規に従つてこれらの検定を行なつたのでありまするが、今般の平和条約第十七条によりますと、我が国が戰事中行いましたこれらの検定につきまして、いずれかの
太平洋戰爭中におきまして、我が国の捕獲審検所が行いましたところの捕獲件数、これは高等捕獲審検所まで参りまして沒收いたしましたものが、各国の船を合計いたしまして千六十七隻ございます。それに積荷が大体三十八件ございまして、これが今回のこの再審査の要請の対象になるところの船舶並びに貨物でございます。
(「そうだ」と呼ぶ者あり)終戰後六年、憲法が制定されて五年、この我々の反省と自責から生れたところの第九條の戰爭放棄の憲法規定を、今や踏みにじろうとしておるのであります。「ノーノー」と呼ぶ者あり)我々は、あの終戰後、憲法の修正に対して我々のとつた態度を顧みて、今更忸怩たるものを覚えざるを得ないのであります。吉田首相はしばしば自分は再軍備をやらぬということを言明しておられる。
すなわち元帥の言葉は、自分は日本と戰争のさ中にあつたときにも、高貴なヒユーマン・フイロソフイを失つたことはなかつた、戰爭が終つて日本に来てからは、そのおおいかくしていたものを表面に出したまでであつた、従つて自分は、日本人に懲罰を加えるべきだという考え方を一度も持つたことはなかつた、日本は敗戰の恥辱だけで、すでに十分罰せられている、自分が占領政策の最初から努力したことは、日本人をして一日も早く敗戰の卑屈感
そうすれば必ず日本は戰争に巻き込まれることになると思うのですが、戰爭になることを承知して今の單独講和の方へ持つて行こうとしておられるのですか。
そうしてまた従来の第一次世界戰爭のあとにおいては、ドイツの全権は講和会議に招集されておりますから、多分できるだろうと思いますが、出席できるとここであなたとお約束いたしてもいたし方ないことであります。ただ希望と想像を述べるだけであります。
○砂間委員 單独講和は私は必ず戰爭になると思う。そういうことを吉田総理は予想せずして、戰爭を覚悟せずして、單独講和は結べないと思う。総理は戰爭に対する覚悟があるかどうか。(笑声)
われわれ国民が食つて行くために、最小限度必要なもの、そしてまた今回の戰爭によつて非常に甚大な打撃を受けたわが国産業の回復のために、できるだけ効果的に使わなければならない。
そこで戰爭中、まだ專売公社にならない前に、われわれ東北も同様でありますが、ここでつくれ、あそこでつくれというふうにして、相当政府の慫慂によつてタバコをつくつたのが、今日は反別を減らされる状況に来ておる所も、数限りなくある。
御承知のように戰爭によりまして、タバコ工場が非常な打撃を受けたのでありますが、昭和二十二年度以降累年工場の復旧をいたしまして、大体数量としては国内の需要を満し得るだけの設備を完了いたしました。但しなおお品質を改善し、能率を上げるためには、今後とも若干の施設は要しますけども、おもなる機械としまして、現在ここに加えて供給の増加をする必要はないと思います。
日本の海運は戰爭中及び戦後にかけまして、すべて汽船は船舶運営会で統制運航をしておつたわけであります。それが本年の四月から、船舶運営会は、商船管理委員会というふうに改称いたしますと同時に、実際の船舶運航という仕事は一切やらず、海運事業をすべて民間の手に返す、こういうことになつたのでございます。
御承知のように、戰前と申しますか、戰爭中に至るまで、バス事業は小さな企業が非常に濫立いたしまして、そのために各種の弊害も生じておりましたので、当時の鉄道省といたしましては、これらに対しまして統合政策をとりまして、いわゆる一路線一営業主義という方針によりまして、統合を実施して参つたことは事実であります。
昭和十一年以降、昭和十一年におきましては五%、十二年も同じく五%、十三年は八%、十四年が一四%、十五年が一五%、十六年が一五%、十七年が一八%、十八年が一九%、十九年が四〇%、昭和二十年が六〇%、二十一年が五一%、二十二年が四二%、二十三年が四一%、二十四年が二九%、それから最近が大体二〇%、こういうふうになつておるのでありまして、この点は戰爭中におきまして、バス事業が非常に戰時的な影響を受けたわけであります
同時に、従来しばしば日本は戰爭を放棄し、再軍備いたさない、また義勇兵といえども望まないということをはつきり申しておるので、私の真意はちつともこの点については、かわりはないのであります。しかしトルーマン大統領がどうしたから、演説があつたから、その結果どうというようなお話があつても、現在われわれの関する限り、日本政府の関する限り、何らの交渉を受けておりませんから、この点ははつきり申しておきます。
なるかならないかが問題でありますが、私の感じとしては、これで第三次世界戰爭が再び起るということになれば、これは非常なる結果——人類の滅絶というか、文明の破壊というか、非常な結果になりますので、第三次戰爭が起ることが言われておつても、それが必ず予期するがごとく——予期するというのはおかしいのでありますが、予期するがごとき大破壊があるとすれば、その開始について、積極的にもしくは責任をとつてまで故意に、自主的
従つて今日最も考えてみなければならぬのは第九條の問題でありますが、この第九條にもはつきりと、永久に侵略戰爭を放棄すると書いてある。永久に侵略戰爭を放棄すると書いてある規定を改正することができるか、できぬかということについて答弁のできないような政府であるから、外国から日本の侵略を疑われる。もつともはつきりと政府は答弁をされた方がよろしい。
私ども今静かに振り返つて見ますと、戰爭中の日本の官僚制度、地方公共団体の中におきまするきわめて露骨な官僚主義の横行を見まして、その結果は遂に今次の大戰をも引起すことにもなつたのでありますが、今日親しい憲法がつくられまして、国の機関並びに地方の機関は、やや民主化の方向にあるわけであります。しかしながらその民主化の度合いは決して満足すべきものではありません。
大体戰爭後におきましては、利潤というものについてはあまり考えておりません。要するに企業努力によつてこれを補うべきだと考えております。従いまして今回の工事につきましても、まず三分程度の企業努力は生み出せるのではないかと考えて請負予算を作成いたしました。
それが第一次戰爭が勃発いたしますと非常な輸出が起つて参りました。それから従つて日本の輸入というものも活撥になつて参りました。又輸出が出て行くということで大変な活撥な輸出を日本がいたしました結果が五年間に二十七億円の金を日本が獲得することができたわけでございます。
○政府委員(荻田保君) 確かにおつしやいましたようにこの戰爭中の遊興飲食税、或いは入場税等に対する課率はその行為自体を禁止するというような、單に財政收入を上げるというような意味を少し離れたような考えもあつたと思いますが、今の段階におきましてはすでにそのような観点はなくなつたか、或いは又は薄くなつたと申しますか、従いまして相当課率を引下げておりますが、やはりその遊興税だけでなくて、入場税に対する課率、
これは結構なんですが、併しそのために戰爭の生んだ特別の現象として未亡人が我が国には沢山いるのですが、その対策としては却つて弱体になつているようなことがないか。生業扶助、それから教育扶助、住宅扶助などについては、特に特別に留意が必要であると思います。
御承知の通り日本の漁業は、戰爭において、戰爭のために漁船は、或いは施設は全く破壊されて、今後このままに放置するならば、漁業の進展を阻害するばかりでなく、日本の経済に及ぼす影響、日本の食糧問題に及ぼす影響は誠に甚大なのであります。