1952-07-03 第13回国会 参議院 本会議 第61号
本法案は思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由、或いは勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本憲法の保障する国民の自由と権利に対する、本法による不当の制限に、みずから戰慄しているではありませんか。行為なき扇動とは思想、表現の自由にほかならないのであります。
本法案は思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由、或いは勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本憲法の保障する国民の自由と権利に対する、本法による不当の制限に、みずから戰慄しているではありませんか。行為なき扇動とは思想、表現の自由にほかならないのであります。
七十四年の歴史の距離が全く無くなつておることに皮肉と戰慄とを感ぜざるを得ないではありませんか。(拍手) かくのごとく特高活動と人権の蹂躪を強化し、スパイ政策を拡大し、日本に曾つてのような暗黒時代をもたらす破壊活動防止法には断固反対せざるを得ません。これが原案反対の第一の理由であります。
今や我が国におきましては、想い起すだに戰慄を禁じ得ないあの太平洋戰争によつて、最愛の肉親を失つた遺家族が全国に八百万の多きを数えるということは各位の御承知の通りであります。更に、家を焼かれ、財を失い、営々として築き上げた半生の努力を一瞬にして灰燼に帰せしめ、一家四散の悲運に際会しておるお気の毒なかたがたは、これ又幾十万の多きを数えるのであります。
等でありますが、特に最近の事実として注目されるものは、北鮮系在日朝鮮人との間に日鮮共同鬪争の態勢が確立し、在日朝鮮人が日本共産党の最も有力な尖兵となりつつあり、幾多の恐怖戰慄すべき事態を引起したことであります。
この労働組合の諸君、或いは中小企業の諸君、それから新聞人、文化人等がまさに戰慄禁じ得ずとして、この教唆扇動の字句に懸命の努力を傾けて研究し、そしてこれらの字句の排除方についてまさに骨を削るような苦労を重ねておるということは、誠に当然なことだと私は考えます。で今あなたがたは当然そういう場合にはこの法律に規定するところの破壞活動として規制をせられるのだということをおつしやつた。
○馬場公述人 身にあわを生ずるほど戰慄を覚えるという言葉は、現在区長の公選廃止ということ、次には都知事あるいは県知事の公選廃止、任命制賛成ということに相なりまするとわれわれ先ほども申し上げましたように、戰時中中央集権、命令一本でわれわれに押しつけられました。今こうしてまず第一に区長の任命制というようなことは、その中央集権、命令一本化の第一のやり方だと存じます。
これを無視しておるところに、一部の者に限つてこれがやられた破壊行為だというようなことに限つて報告されるところに、実はこの問題の重大さの前に戰慄を覚えたところの政府や、アメリカ帝国主義者の計画的な事柄があつたと思うのです。またそうすることによつて、破防法を一挙に通過させようとする陰謀も、この報道の中に、報告の中になされておる……。
この危險さというものは我々が思うだに戰慄せざるを得ないと思うのです。 又第四点として第六條の二項におきまして、「通常不当な方法」でと、こういう規定があります。この通常不当な方法でという表現は、政府の説明によりますれば、いわゆる不当の方法の上に「通常」という言葉を冠して制約したと、こう言うのです。併し、この立法の表現形式から申しますれば、却つて複雑になるのです。
(「そうだ」と呼ぶ者あり)即ち彼らの相手は、戰争の相手というものは韓国の兄弟たちであつて、或いは中国の義勇軍でありますから、同じくアジア人同士であつて、彼らはアジア人としていわゆる殺し合うというような残虐な運命を見て、非常に戰慄しておるということを我々は同情しなければならないと思うのであります。(「そうだ」「その通り」「よく考えてみろ」と呼ぶ者あり)日本人だつてやはり同じような憂えを持つておる。
ことに私自身の戰慄すべき経験を語るをお許しくださるならば、二年ほど前に、ある青年が私をたずねて参りまして、非常に緊張した面持をもつて、私は吉田首相を殺そうと思うが許してくれますかという相談を受けたのであります。
そこで政府から渡されました参考資料を大体拜見いたしたのでありまするが、この資料によつてすらわれわれは戰慄を感ずる次第でございまして、あらゆる方途をもつてこの暴力主義的な破壞行動を起さんとしつつある、いな起しつつある共産党の姿がありのままに見らるるがごとき感じがいたすのであります。
むろん私はそれに屈せず弁護を続けたのでありまするけれども、真に戰慄すべきことであります。こういうことを考えてみると、教唆、扇動がいかに将来濫用されるかということはよく見えるように考えるのであります。そこで総裁にお伺いいたしておきたいのは、扇動とか教唆とか宣伝とかいうこの概念は、どういうふうに理解され区別して考えておられるのであるかということをお尋ねいたしておきたいのであります。
従いまして、昨秋来全国的に行われておる組織的破壊行動ともみなすべき行動が、このゼネストを機会にどのような様相に現われて来るか、私ども想像するだに戰慄すべきものがあると思われる節があるのであります。
〔委員長代理徳川頼貞君退席、外務委員会理事吉川末次郎君委員長席に着く〕 そうして政府としても十分お考えにならなきやならないことは、我々が、日本国民が過去の長い間において国際的にさまざまな意味の不平等な取扱を受けて苦しんで来た、その当時のことを私は今提案の理由の御説明を伺いながらまざまざと今思い出して、実に戰慄に堪えないのです。
この恐怖と戰慄のいまださめない一箇月後の今日、再びさらに悪質な集団暴行がデモ隊によつて行われたのであつて、しかも今回の場合は、單に警察官のみに対する暴行ではなく、一般民家に対しても、この家は反動の家だと称して破壊し、さらに報道の任にあつたところの京都新聞社の山形、井上両記者、大阪新聞の藤本記者らが集団暴行を加えられ、山形記者のごときは目下生命が案ぜられているという状態であつてわれわれは今回の事犯を單
その内容を見ますると、実に戰慄すべきようなことが書かれておるのであります。その他いろいろな面で宣伝文書が頒布されておるという事実は左藤委員も御承知の通りであります。又実際テロ行為も相当数行われておること、これ又事実であります。誠に遺憾と存じます。民主平和国家を建設するという途上におきまして、かようなテロ行為が行われるということは、何としても我々はこれに対処して行かなければならない。
或いは逮捕しても、これを日本の法律で律することができないというため起つた事件でありまして、誠に我が国民は戰慄を禁じ得ないというような不安な状態に陷つておるのであります。
おそらくそういう学校を見たら、もう戰慄せずにはおられない。ぜひひとつ文部省は大蔵省と共同で一度視察をしてもらつて、早くこれの対策を講じていただきたいと思うのでございます。 それからこれは私、昨年の国会でも予算委員で、文部大臣にお尋ねしましたが、農学校の供出の問題です。これは一般の農家と同じ供出をやつておるのでございますが、学校としましては、それがために研究の量がない。
以上六つの点について申述べましたように、本補正三予算は、国民をして政府の冷酷な政治的態度に戰慄を感ぜしむるものであり、(「その通り」と呼ぶ者あり)人間性を沒却した、大衆の怒りの前に粉碎せらるべき予算であります。(拍手)それ故に、私は本予算に対し全面的な組替えを要求し、断乎反対するものであります。(拍手)
「終戰後のわれわれは、官僚政治や警察政治に戰慄を感じるものである。もし、このような政治が、民衆の従順に乘じ、逆コースをたどるならば(既にそうした兆が到るところに見られるが)民主主義の仮面とその偽善をいさぎよく棄て去るべきである」。
(拍手)軍事的判断による條約を受諾し、従つてアメリカに戰略第一主義を勝利させ、日本に戰略主義、軍国主覇者の復活を可能ならしめ、従つて日本に旧治安維持法的体系及び警察国家を復活させる者は、次の国際法廷の審判の前に戰慄すべき運命をみずから準備するものではないか。戰争犠牲者及び戰争責任の故に裁かれた人々を慰める最高の方法は、日本を再び戰争の方向に立たせないことではありませんか。
社会的矛盾や悲劇を現実の事実として、これを率直に認める場合にも、これをよしとして正当化する考え方は、反動的なものの考え方で、国民はこの冷酷な政治的態度に対して戰慄を感ずるでありましよう。(拍手)大衆に対して愛情を持たない、冷たい政治的施策に対しては、大衆はこれを納得しないでありましよう。
我が国は明治維新以来、興国の機運に乘じ国威頻りに揚りました結果、勢いの赴くところ遂に逆に不当に隣国に脅威を與え、又従つて国際間に誤解猜疑を起し、遂に開戰になり、惨敗の苦を拓くに至つたのでありますが、他国の脅威に対し恐怖、戰慄を感ずるがごときは曾つてなかつたのであります。
この無事故月間運動は、実際に下へ行つて実情を聞いてみますと、戰慄すべき状態を現出しております。例をあげてみますと、東京機関区で、構内で働いておる従業員——これは決して乘務員じやありません。その人たちが、手不足であるために列車の運転をさせられたわけです。そこで三人が機関車に乘つております。おそらく構内で貨車を動かしておつたのだろうと思いますが、キヤツプリンがはずれた。
それによりますと「サンフランシスコの冷戰、凄じい米ソの対立、来てみて知る中立の不可能」という見出しのもとに「コールド・ウオー(冷い戦争)のすさまじい姿を現実に見て驚、くというよりはある種の戰慄を覚えた。ソ連並びにその衛星国が場内に現われると一種の殺気が走り、ソ連がいなくなつた調印式はまるで家族会議のようななごやかさであつた。」といつております。
○吉田国務大臣 サンフランシスコの講和会議の空気を何と見たか、おのおの見る人によつて異なるでありましようが、しかし私は戰慄を感ずるというよりは、むしろ今日共産主義が世界の大勢からだんだん遠ざかつておる一つの現われと見たのであります。しかしながら一方には、朝鮮において現に共産軍と国連軍と戰つておるという事態にある。