1953-11-28 第17回国会 衆議院 大蔵委員会 第11号
ことに国連軍側から言えば、なるほど日本は施設区域を提供してくれたかもしれないが、一面から言えば、特需というようなものがあつて、経済的に事実上便益を受けているのみならず、政治的な立場からいつても、韓国の状態が悪化するということは日本にただちに影響することであつて、この国連軍の協力というもの、国連軍があそこで戰つたということは、日本にとつて最も重要なことであり、日本は受益者の立場にあるというような考え方
ことに国連軍側から言えば、なるほど日本は施設区域を提供してくれたかもしれないが、一面から言えば、特需というようなものがあつて、経済的に事実上便益を受けているのみならず、政治的な立場からいつても、韓国の状態が悪化するということは日本にただちに影響することであつて、この国連軍の協力というもの、国連軍があそこで戰つたということは、日本にとつて最も重要なことであり、日本は受益者の立場にあるというような考え方
現にナチスと戰うためにロシヤと共に戰つた国々は、それを以て共産主義を拡めるための同盟をなしたものとされることはできないじやないか。又飢えている人々に食物を與えるために努力する人々は、その飢えている人が共産主義者であるからといつて彼ら自身が共産主義者とされることはできないではないか。」ということを言つています。
向うへ残つている人も、そういうことは全然超越してただ独立運動のために戰つた、それだけであります。 —————————————
私は特にこの際最後に、木村法務総裁の御答弁は求めませんが、何といつても昭和三年に田中義一内閣におきまして治安維持法を改正いたしまして、死刑にまで引上げ、協議示唆というようなものまで含めて行く、これに対しましてはさすがの政友会ですら反対があつたので緊急勅令で改正されている、そうしてそのことがその当時資本主義の矛盾に対しまして漸進的な改革を謳つて戰つた健全な労働組合を抑えて、そうしてそのことが国内を低賃金
併しその措置がかように過去の忠実に戰つた人々にです。この人々は私はいばつたとか或いは政治を誤つたとかいいます、日本の運命を誤つたとかいいますけれども、それは維幄に参画した人々のことであつて多数の現地に戰つた人々の罪ではないのであります。然るにこの人々は断じて弱かつたのではないのであります。強かつたのであります。武器が足らなかつただけの話であります。
日本は元来樞軸国の一つとして、第二次世界大戦を戰つた国でありますので、さなきだに平和愛好的な国ではないという誤解を受けるおそれがある国であります。よほど日本の平和主義を徹底させないと、このような條件に当てはまらないように解釈されるおそれがあるのであります。
あれほど島民の人たちが犠牲になつて戰つた沖繩が、今また日本の国から離れて行くということでは、これはまつたく生きている人はもちろん、仏も浮ばれないりと思うのでありますが、われわれが仏に報いる道は、一日も早く沖繩を日本に完全に復帰させるということだと思うのであります。そこで念のためにもう二つだけ聞いておきたいと思います。
このあとのほうは非常にややこしいのでありますが、この点は私が今申上げました四大国方式、ポツダム協定、ポツダム、カイロ、ヤルタ等々のそういつた国際的協定、これらについて責任を有する政府、つまり加盟国の政府、加盟国の政府のうちで以て最も重要な地位を占めております、第二次世界大戰中にこの憲章の署名国の敵であつた、日、独、伊、スペイン等を敵として戰つた国、その中心的な地位を占めたところの四大国、米、ソ、中、
こういうわけでありまして、私は国内法的にはわかりませんが、国際法的には、日本の警察力が自衛のために戰つたという場合に、これは私は交戰者になると思うのであります。それからまた人民が敵の侵入に対して戰つたという場合には、群民蜂起になつて交戰者になる、こういうように考えるものであります。
その場合に、さて外敵と戰つた、だからこれは国内治安でなかつたとは考えられぬ。だから先ほど私が言つたように、そうすれば客観的に日本の装備、力で判断するのですかと聞いたら、そうですと言われたけれども、行政協定に基いて、外敵を防ぐことをやれぬとは考えられぬ。その点どうですか。
B二九に竹やりを持つて戰つた、しかも侵略戰争をやつた日本の歴史というものは明確なんです。ですからああいうものであつても戰争をやる気であつたら武器になるのであり、そういうようなものは全面的に禁止されている、こういうことなんです。
併し私はこの問題は主観的に戰つたとか戰わなかつたということは、これは申上げる必要もないことでありますが、主として問願になりましたのは、林業関係におきましては、実はこれ又特別会計になつておりまして、相当の收益は挙げておりまするけれども、相当まだ合理化の余地がある、これが第一点でございます。
私は第一次大戰と第二次大戰の間の時期に、現にコンビエーニユの森でその記念碑を見た当時、ドイツと戰つた日本人の気持から言つて、果してかような記念碑を置くことが賢明であるか、ドイツから見れば堪え得ざる屈辱の記念碑に違いない。
その理由とするところは、只今お読み上げになりましたイタリア條約の前文でありますが、前文に、イタリアは戰争を起して連合国側と戰つた、併しイタリアは無條件降伏したあとに、「右休戰の後に、イタリア国の政府の武裝軍隊及び抵抗派の武裝軍隊が、ドイツ国に対する戰争に積極的に参加し、又イタリア国が、千九百四十三年十月十三日にドイツ国に対して宣戰し、それによつてドイツ国に対する共同交戰国となつたので、」云々、こういう
飽くまでも第二次大戰の産物である、そうして第一次大戰における国際連盟の、更に第二次大戰という苛烈なる世界の歴史のこの歴史的な試錬を通つて生れて来たこの国際連合憲章が、一方において連合国、他方において枢軸国のこのフアシズムと民主主義とが戰つた、そうして再び戰いを防ぐための国際連合は、当然旧敵国であるところの日独伊のミリタリズムの復興を防ぐ、そうして一方においてこれを叩きつけたところの五大国が飽くまでも
これは私の理窟でなくて、第二次大戰において、一方がドイツ、イタリア、日本という資本主義国で、これと戰つたのが資本主義の米英と経済制度の異なつた社会主義ロシア、これが共同して現に戰つたということ、これはもう理窟を超えて現実、歴史的な事実であります。
相手方は連合国及び連合国人でありますから、この連合国及び連合国人というものは講和條約の二十三條における連合国及び連合国人と全く同じでありまして、日本と戰争をしておつた国、或いはそれから分離した国であつて今回の平和條約に署名をし、且つ今後批准する国に限られることは勿論でありまして、中立国とか或いは日本と共同して戰つた枢軸国の日本における財産の損失は補償しないことは勿論であります。
ロカルの時代には旧敵国で戰い合つたドイツとフランスが仲よくすれば、それで一応物事はその後はスムースに行くはずでありますが、今日におきましては御承知の通り、日本は、今度の平和條約において、日本が戰つた、最も長い間戰つた相手である中国が平和條約の会議にさえ招請されていないのであります。
その返還の時期及び方法は、個々別々の交渉によつてきめられるものであろうが、台湾に関する国際協定が現存するのを無視し、今次大戦において日本と戰つたすべての国と日本との関係を定める文書中に、台湾の将来を定めずにおくことは、正しいことでもまた好都合のことでもない。同じことが千島並びに南樺太においても言える。国際語協定の精神から言えば、インドのこの意見は明らかに正しいと思います。
この中国は日本の暴力と最も長い期間、且つ激しく戰つた国である。対日講和に対して中国ほど発言権を持つ国はない」ということを、ヤンガー代表は述べでおられる。
過般の戦争におきまして、この戦争を起し、これを指導し、そのために我が国を悲境のどん底に突き落す役割を演じた人々は論外でありまするけれども、これらの人々のために国民の義務と称して戦場に出され、国のためであると信じて戰つた人々に何の罪がありましようか、悲惨な戰鬪の結果、戰場に湧き或いは倒れて逝つた人たちに何の罪がありましよう。いわんやそれらの人々の家族に如何ほどの一体罪悪があるでありましようか。
今次の戰争の本質は、必ずしもイギリス、アメリカと戰つた戰争ではなかつたと私は思います。日本は数千年に亘り中国、インド、インドネシア、アジアのこれらの友邦と、歴史的にも、人種的にも、文化的にも、又更に経済的にも深い宿命的な関係にありました。この宿命に束縛され、我々はその解決の道を誤まつて、武力と侵略の手段によつて解決しようとしたのでありました。