1952-07-04 第13回国会 参議院 本会議 第62号
べたのでありますが、私は一身上の弁明というものをこまこまといろいろああだ、こうだということをこれは申上げるそれよりも参議院の運営が如何ように正されなければならないかという問題、又議員の我々の当然の任務として自分の一身上の利害、或いは政党的な立場、こういうことは第二第三の問題であり、飽くまでも我々は院外の国民大衆、日本の民族、これらの人々の要望をどのように果すか、そのためには如何ように身命をかけても戰い
べたのでありますが、私は一身上の弁明というものをこまこまといろいろああだ、こうだということをこれは申上げるそれよりも参議院の運営が如何ように正されなければならないかという問題、又議員の我々の当然の任務として自分の一身上の利害、或いは政党的な立場、こういうことは第二第三の問題であり、飽くまでも我々は院外の国民大衆、日本の民族、これらの人々の要望をどのように果すか、そのためには如何ように身命をかけても戰い
ソ連や中共の民衆が今、隣人をすら信ずることのできぬ疑惑と不安との中に戰いておりまするお気の毒な姿は、余りにも身近なよき実例であります。 今や我が国におきましては、想い起すだに戰慄を禁じ得ないあの太平洋戰争によつて、最愛の肉親を失つた遺家族が全国に八百万の多きを数えるということは各位の御承知の通りであります。
(拍手)これらの人々はかつては国家存亡のときに身を挺して前線に苦闘し、戰い敗れ、戰犯の汚名を受けて囹圄の身となつた国家の犠牲者であります。(拍手)しかもまた、一家の支柱を失つた家族の人々の経済的窮迫、精神的な打撃はまことにわれわれの想像を絶するものあり、その悲痛な叫びは切々といてわれわれの胸に迫るものがあるのであります。
満州事変以来、二十箇年間の久しきにわたつて、日本軍は大陸を完膚なきまでに蹂躙し、その間、日本は中国国民に対して莫大なる損害を與えたのにもかかわらず、戰い終つた蒋介石主席は、暴に報いるに暴をもつてせず、徳をもつてともに手を握らんとの好意あふれる態度をもつてわれに臨んだのに対し、一方中共政権は、今もつて幾数万の日本人同胞を不法にも抑留しておりまする実情は、留守家族や遺家族たちとともに、われわれ国民のひとしく
それはいろいろと帰つて来た引揚者に聞きますと、この間も京都で一燈園にいる人に聞いたのでありますが、あの北満の開拓団、あの人たちか戰い敗れた後にずつと南の方に下つて参りましたところが、支那の人たちがそれを取巻きまして、一つの道をあけておいて、そうしてもう一糸もまとわせないまでにその衣服をとつてしまつた。
それよりも政党に対しては政党、堂々たる政党はその政策というものを以て誤まてる政党というものと戰い、国民の支持のない政党や国民の支持のない労働組合が汽車をひつくり返えそうと人を殺そうとしたつて、そんなものを国民は支持しますか。又そういうことができるはずはありませんよ。又いやしくも政党なり労働組合なりが、今日の民主主義社会において世論の支持を得ていなければ何事もできないということはよく知つている。
従つて独立を戰いとらなければならないということを明白に表明しておる。こうなると、あなたの考えていられる独立回復という理解と、メーデーの大会に参加したところの参加者の大多数の意思、ほとんど全体の意思というものには食い違いがありはしないだろうか、これはいかがなものでしようか。
○内藤委員長 実力で人民広場を戰いとろう、日本共産党明大細胞、あるいはまた日本民主青年団、デモを組み人民広場へ、こういうものをごらんになりましたか。
そういたしますと、このことを逆に考えますと、そうした場合には現在の世界情勢を見ますと、いわば近代戰を戰い得る能力のものが、直接または間接に迫つて来る、こう政府はお考えでしようから、それと戰う、それを防衛するという建前になれば、政府の側からいえば、近代戰に耐え得る強力な部隊の編制の必要上、このような階級をもつて部隊を編制する、こういうふうに御答弁なさつたと同じことになると思うのですが、その点を、大橋さんはなかなか
そうして日比谷公園の旧音楽堂の前に一応集合いたしまして、そうしてこれから皇居前広場につつ込む、人民広場を我々の力によつてこれを戰い取れというような極めて激越なアジ演説等がその場で始められまして、そうして喚声をあげて日比谷の公園の入口から日比谷の交叉点に突進し始めたのであります。
今次メーデーに際しましては、これら極左的破壊分子のメーデーを利用する策動に関する情報が入手されたのみならず、メーデー会場及び行進中において、人民広場へ参集せよ、或いは又実力で人民広場を戰い取ろうなどという内容のビラが多数に撒布されて、大衆を扇動するなどの行為が活溌に行われ、又は日本共産党幹部の岩田英一君が主要な役割をいたしておつたのであります。
日本共産党は、天の攝理に全く矛盾した講和、安保の二條約並びに行政協定の廃棄のため戰い続けると共に、かかる悪法を断固粉砕するために戰い抜くものであります。(拍手)
私は皆様方に、静かにあの戰いたけなわでありました七、八年前に思いをめぐらしていただきたい。
しかもその再軍備は、日本の防衛という名前にはなつておるけれども、しかし現実に日本の防衛の戰いなるものがなされている実態を見れば、これは決してほんとうの日本の防衛のためではない。なぜならば、あの極東空軍がいつの間にか日本防衛空軍という名前にかわつてしまつておる。
苦しかつた過去を繰返したくはございませんけれどもが、つい、この間まで、日米両国は鎬を削つて戰い続けた敵対関係にあつたのであります。敗戰の結果、戰勝国の軍隊の進駐の下に、事実我々は戰々兢々としたる幾年かを過ごして参つたのでありました。
近代的装備を持ち、ジエツト機、原子爆弾を持つ外国軍隊に対して十分戰い得る戰力でないと政府によつて強弁されておりますが、世界のどこの国の警察が、国内治安維持のために迫撃砲やバズーカ砲を持つて、多数の国民を殺戮しようとしておるものがございましようか。
この死刑囚を絶対死刑にしていただかないように、刑の執行だけは停止してもらつて、すでに戰い終つて七年もたつて、人心がようやくおちついておるときですから、いかに復讐心が強いにしても、フイリピンの現に死が直前に追つておるこれらの死刑囚の諸君をその死から救うということを、何とか嘆願してもらえるように、努力が必要だと思います。
これが一たび外敵と戰い得るいわゆる近代戰に適応し得るような裝備と編成を持つように至りますれば、これは立派な憲法第九條の戰力に該当する。これは憲法を改正しなければ持てないことは当然の事理であります。そこで結局は戰力というものは繰返して申しますれば、近代戰を遂行し得るのに適切且つ有効なる裝備と編成を持つたものである。ここに私は基準を置くものであると考えておるのであります。
○国務大臣(木村篤太郎君) しばしば私の申上げた通り、この警察予備隊というものは、裝備編成から申しまして決して戰い得る戰力ではないと、こう考えます。これが或いは漸増して戰力になるのではないかというお尋ねでありまするが、これは将来のことはわかりません。併しこれを警察力をたとえ多少増加いたしましても、裝備編成の点から申して決して憲法九條の戰力に該当しない。
そこで日本の戰力というものは、外敵と戰い得るほどの能力を持つに至りますれば、これは当然戰力であります。併し外敵と戰い得るというのは、結局近代戰を遂行し得るに必要な且つ適切なる裝備と編制を持たなければならん。つまり軍隊的の裝備と編制を持たなければならん、これが肝腎であります。現在の段階におきましては、日本の警察予備隊はそういうような編制、裝備を持つていない。
アメリカ人が朝鮮で戰いましたときにおいて、日本におる兵隊を朝鮮に持つて行つた。日本には彈圧軍として置いたアメリカ軍が少くなつてしまつた。それでそのときにあわててこしらえたのが日本の警察予備隊、アメリカは人が足りなくて困つておるから人を得るためにこしらえたのが警察予備隊だつた。今度飛行機に追いまくられましたアメリカが、日本に求めておるのが、アメリカに足りない工作機械であります。
○石野委員 今戰いしたくないけれども、自分の国は自分で守りたいというお話ですが、先ほどの公述の中に援護ではなくして、補償とはつきり言うべきだという強い御意見がございました。
又人事院がいつでも人事院の勧告を戰い取り得るものならば、国会のお仕事はなくなるだろうと思つております。予算と法律と両方の権限を合せ持たれておるものこそ国会でございまするから、国権の最高機関たる国会の御盡力を私からお願いするより仕方がないものと考えております。