1974-05-22 第72回国会 参議院 文教委員会 第16号
フエルトの帽子だとか――歩いてて廊下でぱたんと倒れる子供がありますので、鉄かぶとではかえってけがするので、フエルトで昔の戦闘帽みたいな――戦闘帽というのも古いですけど、そういう形の帽子をつくって寄付をいたしましたり、NHKも私、六十万ばかり寄付いたしましたが、NHKの受け取りというのはニュースで言ってくれるのが受け取りだなということわかりましたけれども。
フエルトの帽子だとか――歩いてて廊下でぱたんと倒れる子供がありますので、鉄かぶとではかえってけがするので、フエルトで昔の戦闘帽みたいな――戦闘帽というのも古いですけど、そういう形の帽子をつくって寄付をいたしましたり、NHKも私、六十万ばかり寄付いたしましたが、NHKの受け取りというのはニュースで言ってくれるのが受け取りだなということわかりましたけれども。
○和田(一)委員 ずいぶんきびしい条件でございますけれども、そこで、先ほどの服装の問題になるわけですけれども、服装は紺のダブルまたは黒のダブルということでありましたけれども、消防の皆さん方はそういう制服を着る場合もあれば、昔の戦闘帽のような姿でカーキ色の服を着る場合もあるわけですね。その場合はどうなりますか。
なお、この十二月十二日の関係者逮捕の際に、被疑者らの住居あるいは職場等関係の場所二十七カ所について押収捜索を行なったのでございまして、約千五百点を差し押えておりますが、その中にはすでに警視庁、検察庁当局から発表されておりますように、ヘルメット三百八十八個、防毒マスク百個、作業服九十九、戦闘帽九十九といったような本事件の重要な証拠品を押収いたしておるのでございます。
計画の中心人物と見られまする元川南工業社長川南豊作、国史会主宰者、陸士六十期生小池一臣、日本学生改新会会長、元菊旗同志会中央委員篠田英悟のほか、元陸軍少将桜井徳太郎、五・一五事件関係者三上卓ら十二名を殺人予備罪の容疑で、また三無塾塾長川下佳節を鉄砲刀剣類等所持取締法違反の現行犯で、それぞれ逮捕いたしまするとともに、関係個所三十二カ所を捜索し、ヘルメット三百八十八個、防毒マスク百個、作業衣九十九着、戦闘帽九十九個
のもとに、この計画の中心人物と見られる元川南工業社長川南豊作、国史会主宰者・陸士六十期生小池一臣、日本学生改新会会長・元菊旗同志会中央委員篠田英悟の外、元陸軍少将桜井徳太郎、五・一五事件関係者三上卓ら十二名を殺人予備罪の容疑で、また三無塾塾長川下佳節を銃砲刀剣類等所持取締法違反の現行犯で、それぞれ逮捕いたしますとともに、関係個所三十二カ所を捜索し、ヘルメット三百八十八個、防毒マスク百個、作業衣九十九着、戦闘帽九十九個
佐賀各警察本部の協力を得て、事件の首謀者と見られる元川南工業社長川南豊作、国史会主宰者、陸士六十期生小池一臣、日本学生改新会会長、元菊旗同志会中央委員篠田英悟のほか、元陸軍少将桜井徳太郎、五・一五事件関係者三上卓ら十二名を殺人予備の疑いで、また三無塾塾長川下佳節を銃砲刀剣類等所持取締法違反として逮捕いたしまするとともに、関係個所三十二カ所を捜索し、ヘルメット三百八十八個、防毒マスク百個、作業衣九十九着、戦闘帽九十九個
だから戦前は、あるいは戦争中は、富国強兵と称して、特にみじめだったのは、これは中澤さんも御存じであると思うのですけれども、プロ野球がゲートルを巻いて戦闘帽をかぶって、そして菜っぱ服を着て、ストライクを「よし」、ボールを「だめ」なんといって野球をしておりましたが、これは富国強兵の野球なんです。本来の野球はこういうものであってはならぬ、本来のスポーツというものはこういうものであってはならぬ。
で、私の目で印象に残っておりますものと、地検が捜査しておる写真とを見比べまして、その中の一枚は戦闘帽の点で私記憶に明らかなんですが、その写真の点で、それらしいものが地検でも検討しておるということがわかったわけでございますが、地検当局におきましては、その点、その戦闘帽の者の名前もわかっておりますし、実は別件で起訴されておるわけです。それはもう明らかになっております。
○説明員(竹内壽平君) これは先ほども申し上げたように、その戦闘帽の人も調べておりますし、その写真のときに出ております女性の方の名前もわかっております。それから救急車ですか、そこに入っていた人たちの供述等によりまして明らかになっておるということを申し上げておきます。そういう捜査の結果でございます。
○坂本昭君 その戦闘帽をかぶった――女性はあなたの方の取り調べによると歩いて帰ったと、歩いて帰ったという証拠はどこにあるのですか。これは非常に重大なことですから、根拠を一つ明らかにしていただきたい。
そうしてちょうどこの画面の中心には、非常に特徴のある昔の戦闘帽のような帽子をかぶった人の頭が見え、そのすぐ横に学生服を着て、学生帽の角帽をかぶったと思われる人が立っております。この点を一つ皆さんで見ていただきたい。 速記をとめて下さい。
これは今私が特に委員長にもお示ししました通り、戦闘帽をかぶった人と、学生の角帽をかぶった人が二人で一人の重傷者と思われる人をかつぎ上げている写真です。さらにそのかつぎ上げられた人が数歩前進をしているのが次の写真、同じく戦闘帽をかぶった人と、角帽をかぶった学生が抱き上げて運んでおります。あとの写真でわかることは、七トン・トラックのエンジンの前面が写真にとれているということです。
あなたのお姿も、戦闘帽をかぶられてやっておられるのを新聞で拝見して、非常に感謝したのです。それだけ苦労されてやっておられることは、全国民涙なくしては聞けなかった。私は美しいお話と思うのです。
しかも、鉄かぶとはかぶっておりませんでしたが、戦闘帽をかぶった千二百名という警察予備隊がやにわに行進を始めまして、労働組合がたむろしております所まで驀進してしまった。しかも測量隊は、十分道があるのに行こうともしないのであります。そのような事態を心配しまして、もう一ぺん何とか穏やかにしようというわれわれを、国会議員が何だ、こんな暴言をはきながら、その列外に排除しようとした。
そのときはまだ戦闘帽で巻ききゃはん、周囲はえんえんとしてなお焼け野原の燃え残りの戦陣といいますか、戦火に焼けただれたところの煙が燃え上っているときでありました。そのときの声を私は忘れないのであります。何と言われたかというと、今日のいわゆる敗戦は、学校教育の責任である、先生に自主性があったならば、こういうみじめな戦争をし、こういう悲惨な目にあわなかったであろう。
小学校を出たての十四才――まだこのくらいの背丈の子供、くわの柄の力が背が高かったというような子供を約三百名連れまして大阪から出たのでありますが、内原で約三カ月の基本訓練を受けまして、たごを引きずってかつげないような子供が、巻ぎぎゃはんを巻きまして、戦闘帽をかぶって、りりしく、出るときは東京の区内、大阪の市内を行進し、壮行会を受けて、勇躍父兄の見送りも受けて出ていったのであります。
○受田委員 帰られた人々の陰の声として相当大きく響いておるのは、もらったものの中には、スフのようなもののきれ地があったり、非常に粗末で、終戦直後の何でもほしいというときであったら格別だけれども、今のようなときに、さしあたり役に立たないようなものをもらって、当面の生活をやれというのは、はなはだ残酷であるという声もしばしば聞いておるのですが、戦闘帽のようなものが渡されたり、あるいは終戦直後に交付したスフ
○受田委員 その渡される中に、戦闘帽とか、あるいはかつて軍人に着用せしめておった軍服に類するものとか、少くとも戦争のにおいが残っておるものを渡しておられる品目をおあげいただきたいと思います。
男のSさんには兵隊の上着、ズボン、戦闘帽、軍手、兵隊ぐつ、皮バンド一式が与えられる、温厚な青年紳士のSさんも、この親切な贈りものには何か一言言いたくなつた、そこで小銃と剣はと聞くと、それはありませんという返事だったというようなことが新聞に出ておる。これはSさんならずとも、私だつて今の時世にこんなものをもらつたら、そう言うと思うのです。
そうして放送事業が真つ先に戦闘帽をかぶり、国民服を着て、それを国民に強制したのであります。それで国民も皆従来かぶつていた中折れ帽子を戰闘帽に変え、それから背広を国民服に改造したのであります。ところが敗戦になつてから急に、又民主主義の世の中になつて、今度改めて戰闘帽を中折れ帽にしなければならん。国民服を背広にしなければならん。ところがこの逆はなかなかむずかしいのであります。