2020-04-16 第201回国会 参議院 外交防衛委員会 第9号
ということでございますので、そうした我々が持つ能力としてはどういうものかといえば、その有事において発揮する能力というものを目指しているのであるということを説明しておりますし、また、電磁波であれば、その能力というのは無力化する能力でございますので、どういう場面かといえば、まさにそれは戦闘場面というのを想定して、そういった場面においてその無力化する能力というのを保有するのであると。
ということでございますので、そうした我々が持つ能力としてはどういうものかといえば、その有事において発揮する能力というものを目指しているのであるということを説明しておりますし、また、電磁波であれば、その能力というのは無力化する能力でございますので、どういう場面かといえば、まさにそれは戦闘場面というのを想定して、そういった場面においてその無力化する能力というのを保有するのであると。
○浜田和幸君 関連して防衛省にもお伺いしたいんですけれども、今そういう民生の技術を軍事面に応用する、これは、専門家の間では、恐らく二十年以内には人間型のロボットが実際に戦闘場面に導入される。昨年のあのリムパックですよね、これでもアメリカが四足歩行ロボット、LS3を導入しておりますし、また韓国とかイスラエルでは既に国境警備にこの武装ロボットを配備されている。
実際の戦闘場面でいうと、イラク戦争で一週間当たり三十一万八千キロリットルの石油が消費されたといいますが、三十八・八万トンの二酸化炭素の排出量に当たります。これは実際の戦闘場面だけでなく、訓練においても同じだけの排出がされます。やはり削減対象にすべきではないかと考えますが、いかがでしょうか。
それが正に戦闘場面という、それは彼らの使命からいって、もし万が一外国から侵略された際には、そういう判断を彼らがしなければならないこともあるわけでございます。
私は、先回の質疑でも、日本、あるいはアメリカ自身は当事者ですからかなり戦闘場面も多く経験し戦死者も多い中で今非常に悩んでいると思いますが、日本自身のこの間のイラク情勢の見通しは余りに楽観的に過ぎるのではないかということを指摘させていただきました。
ただ、基本的に二つございまして、現地の戦闘場面におきまして、中央即応集団の特別な能力を生かして特定の地域を分担するとか、そういうふうにまとまった活動をする場合につきましては、中央即応集団司令官がその隷下の部隊を指揮するということになろうかと思います。
私、我が国では過激派による爆破テロあるいは戦闘場面が繰り返し報道されておりますけれども、イラク国内の経済、政治の復興が着実に進んでいるということから目をそらすべきではありません。 サダム・フセインの独裁体制から解き放たれて新たな国家建設に意欲を示すイラク国民の姿というものも私は見てまいりました。
他方で、今度のいわゆる特定公共施設等の利用法案というものは、正に先ほども申しましたけれども、先生、先ほど米軍のことしかないという御指摘もございましたが、例えば一般論として申しますと、道路というものがあり、そこに住民が避難するという、正に安全なところに避難するケース、そして他方で、その自衛隊なり米軍が戦闘場面に赴くという場合に、そこに競合が起こります。道路は限られております。
ただ、ここで問題は、自衛隊などが特にそうですが、戦闘場面で自分が死ぬか相手が殺されるか、それを守るか、国民が死にそうになっているのを、殺されそうになっているのを助けるかと、こういう問題と国全体の立場をどうするかということとは私は別だと思わなくちゃいけないと思っています。
○国務大臣(石破茂君) これは、個々に戦闘が行われるわけでございますが、個々の戦闘場面で判断をされるというふうには私どもは考えておりません。全体として判断をされると、こういうふうに思っております。 それじゃ、一体だれがそんなものを判断するのかねということのお尋ねがこれは当然あるわけでございますけれども、それも、これは政府全体として判断をするということに相なります。
○佐々木(陸)委員 自衛隊の幹部が、今の兵器は射程が長くて、戦闘場面でないところまで飛んでくる場合もあると言っておりますし、航空優勢というのは時間的、地理的にどんどん変わり得るというようなことも言っているわけです。
橋本総理と思われる諸橋太郎という名のかなり短気な総理大臣がこの本には登場しますけれども、総理は読まれておられると思いますけれども、かの戦闘場面についての著述への御意見も含めて、ぜひお考えをお聞きしたいと思うのであります。 また、武器の組織的使用が、状況の新たな展開の中で結果的に武力の行使につながっていく可能性なしとしないと思います。どういうケースが武力の行使と認定されるのか。
しかし、最近の特に機動力が非常に重視されます戦闘場面で数時間の行動の遅滞というのは一種非常に大きな要素ともなるものでございます。
この間締結されましたACSAは、平時の場合に限定されたものだから、仮に有事の事態でも、別のところで訓練をするといういわゆる平時の形をとって、そこへ日本の自衛隊が物品・役務を提供する、それを受けてアメリカの方が戦闘場面の有事のところへ持っていくというふうな際立ってややこしい、回りくどいやり方でもって、そういう有事にも可能性があるのだという考えがあるというふうな記事が出ておりました。
私は、この施設が、よくありがちなんですが、戦史博物館的なもの、戦闘場面だとかそれから兵器だとか、そういったものを無批判的に展示し、結果として戦争を肯定するものになっては決してならない、こういうふうに考えます。
戦闘場面において、例えば今申しましたように継戦能力の向上というのは、有事におきます状況を踏まえての一般的前提としての備えという意味で、継戦能力の向上あるいは空中待機警戒態勢の維持というのは、これは一般的な問題として有事を前提としての検討ということに相なるかと思います。
なお、「一部指揮」と「指図」ということ、大まかに言って同じような事態であるにもかかわらず、それを別の法律で別の言葉を使っているのはけしからぬではないかという御指摘かと思いますけれども、そこは用語の選択の問題として、先ほど来、野村室長が申しておりますとおり、純粋に国内での戦闘場面におきます指揮というのと、それから国連が絡む、国連との絡みでの指揮命令系統との場合では、これは場面が違うということを先ほど来野村室長
後方というのは、原則的には隊員の宿舎あるいは隊舎または厚生施設等も主体にいたしますが、同時に弾薬の備蓄その他ですね、そういう訓練経費的なものも含んだものを予算上後方と言っておりまして、これは実際上の戦闘場面における前方後方とはちょっと趣を異にした予算上の概念でございます。
しかも、この法律は一体としてはだめなんです、この法律で武力行使と一体となるものはだめなんだと言うている内容が、実はこういう補給艦による給油は戦闘場面でやるのは一体にならない一例なんだ、そういう論理を言うんだったら、これはもう天下は承知しませんよ、あなた。余りにもひど過ぎるじゃありませんか。どうなんです。
ただ、現在のF1に比べますと若干航続距離を延ばすことになっておりますけれども、これにつきましては、支援戦闘機といいますものは、我が国がそもそも東西南北に長い領土でございまして、その中で飛行場の数も限られているということになりますと、支援戦闘機の性格から考えまして、戦闘場面より若干遠い距離に待機いたしましてそちらから展開するというような運用が考えられます。