1989-12-05 第116回国会 参議院 内閣委員会 第4号
当時私ども公労協の役員をしておったわけですが、公労協にもこれを示しまして、受諾をしたものだろうかどうだろうかという議論の結果、公労協の戦術委員会あるいは給与対策委員会は満場一致オーケーをしたわけです。それから、公労協に対応します公経脇というのがあったわけです。
当時私ども公労協の役員をしておったわけですが、公労協にもこれを示しまして、受諾をしたものだろうかどうだろうかという議論の結果、公労協の戦術委員会あるいは給与対策委員会は満場一致オーケーをしたわけです。それから、公労協に対応します公経脇というのがあったわけです。
しかし、実際こういう「総裁交渉の経緯と当面の行動について」これは国鉄労働組合の中央の戦術委員会か何かで配付された資料のようでありますが、これを読んでいきますと必ずしもそういうことじゃないようです。
だから、組合と当局側という当事者ですから、当局と全然何もないのに組合がこういうふうにして、当局がこういう姿勢を示しましたよということを大事な戦術委員会の資料として出すかどうか。われわれは常識で考えても考えられないことです。もし、これは相手が書いたことだからわれわれは関知しないということになれば、そういうことは全然ないならないということで、組合に対して取り消しのそういうことをしましたか。
○国務大臣(木暮武太夫君) さきに公労協の戦術委員会で決定した春闘に関しまして、国鉄労組並びに国鉄の動力車労組におきましてもほかの方と同じような賃金の引き上げ、あるいは時間短縮あるいはスト権の奪還等をスローガンに掲げまして、来たる三十一日に半日のストを行なうような構想を持っておりますことは、御指摘の通りでありまして、私どもはこういうことは、国民大衆の生活を混迷に導くものと考えまして、自重を要請をいたしているような
しかしその反対の方法はすわり込み等を行なって、これには無抵抗主義で対処するというようなこと、これは二十五日の戦術委員会できまったようでありますが、また新労がたくさんの入口の中から、ゲリラ的にどこからか少しずつ入るというようなことであれば、これもまた阻止し得ないのはやむを得ないというようなことも言っておりますし、また一般的な準備といたしましても、旗ざお等も五列隊形の幅に作る、その大きさも握って多少余るというような
○山口政府委員 教員組合の執行部等におきまして、たとえば戦術委員会あるいは闘争員会というようなものを開きまして、休暇闘争をするについていろいろと事前に御相談等もあったように伺っております。そして一つの計画なり案をお作りになりまして、これを組合の機関にかけて、所によりましては無記名投票でおきめになったところもあるようにお伺いしておりますけれども、そうでない場合もあるのでございます。
組合の幹部諸君とも何回か会見して、きのうもただしたのでありまして、私の方では非常に質の悪い職場放棄でございますので、こんなことを中闘が指令したのじゃなかろうということを考えておりましたが、きのう中闘との会見によって明らかにせられたことは、中闘が指令を、出し、現地に出張中の戦術委員会がその指令に基いて独自に局外退去の処置をとったということが明確になりました。
○野々山参考人 私国鉄労働組合の企画部長でありますと同時に、公労協の戦術委員会を代表いたしておる、そういう立場から、先ほどの御質問にお答えをいたしたいと思います。
である人々は、全部その責任を負うべきものであるというふうな考え方に立つておつたわけでございますが、特に委員長は組合の最高責任者であり、すべて委員長の名において争議行為が指令もされ、その指令が実現をされたわけでございまして、委員長はその意味でその責任を問うたものであり、副委員長はこれに次ぐ重要な立場に立つておる方であり、また書記長はこれに次ぐ重要な位置にあつたものであると同時に、今回の場合には中闘の戦術委員会
○吾孫子説明員 中闘委員の連帯責任ということではないかというお尋ねでございますが、この点は、ごく一般的に形式的に考えますれば、やはり中闘委員の連帯責任であるということもいえるかと思いますけれども、これはむしろ組合側から話をしていただいた方がよろしくはなかろうかとも思うのですが、戦術委員会というものがさらに中闘の中に設けられまして、戦術委員会のメンバーである諸君に対して、一般の中闘委員よりは、よりよけいに
また記書長は、私の方では戦術委員会の委員になつておりません。そういう点から考えまして、書記長の責任を軽く見たと申しますか、そういう結果になつたのでございます。
○多賀谷委員 では書記長は戦術委員会の委員ではなかつたということで除外した、こう一応お答え願えたものと考えてよろしゆうございますか。
○磯崎説明員 戦術委員会の委員でなかつたということが、その原因でございます。
又山の上の現地における党指導部は、組合の戦術委員会の方針に従う。但し大衆の中に武装行動の必要と、権力の曝露を徹底的に入れるという方針を出して活動した」ということを言つております。 更にそのあとで、「この闘争の中で約七百の労働者が党と共に最後まで闘い抜くと言つて結集した。これは武装の必要を討議し、組織された労働者の数である。