1975-07-02 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第29号
それは戦死者並びに戦災死者の霊を慰めるということが主じゃないかと私は考えるのです。そうしますと、戦死者あるいは戦災死者という人は、いま仮に地下でどういう思いをしているかということですね。そのことをまず考えてほしい。私は、終戦末期に兵隊に参りました。三十一歳でしたか、中国戦線を駆け回りまして帰ってきたのであります。
それは戦死者並びに戦災死者の霊を慰めるということが主じゃないかと私は考えるのです。そうしますと、戦死者あるいは戦災死者という人は、いま仮に地下でどういう思いをしているかということですね。そのことをまず考えてほしい。私は、終戦末期に兵隊に参りました。三十一歳でしたか、中国戦線を駆け回りまして帰ってきたのであります。
これは東京都戦災死者遺族会の方からもらった資料なんですが、空襲によって死んでも障害者になっても、何ら援護の対象になっていない。ところが空襲によってどれだけ死んだのか、空襲などによってけがをした方なんかはどれだけいるのか。これはいまのところ公式な場で全くつかまれていないということなんです。
東京都江東区白河町二の十一、李仁洙法務大臣賀屋興宜閣下」、そして、証明書として、先ほど申し上げた人たちが、この李さんは昭和十五年一月から終戦まで深川警防団員として活躍し、その間精勤賞を三回も受けた、同じく昭和二十二年八月自宅隣りに約三十五坪木造平屋建てを建設し、外地よりの引き揚げ者を無料でここに居住させた、同二十八年八月児童慰安にと子供みこし一台を建設し、これを町へ寄付した、同三十五年三月白河町二丁目戦災死者供養
光華霊園と申しますのはどういうのかと申しますと、海外軍人及び戦死者、戦災死者、復員、引き揚げで引き取り縁者のない者を祭るために無縁寺を作りたい、こういうことで光華霊園といいまして、光華霊園建設委員会というのかできておるわけです。それが河川敷を払い下げてくれということを言っているわけです。
ついては海外軍人及び戦死者、戦災死者、復員引揚者で引取り縁者のない仏をまつる等のため、無縁寺を建立されたいというのであります。