1997-06-06 第140回国会 参議院 大蔵委員会 第18号
今般の改正案は、全体主義と戦時金融体制に塗りつぶされました恐るべき現行日本銀行法を実に五十五年ぶりに抜本改革するものでございまして、民主主義と市場経済体制に基づく近代国家にふさわしい中央銀行を設計、構築していく、そのスタート台として、私はその基本精神を高く評価しておるものでございます。
今般の改正案は、全体主義と戦時金融体制に塗りつぶされました恐るべき現行日本銀行法を実に五十五年ぶりに抜本改革するものでございまして、民主主義と市場経済体制に基づく近代国家にふさわしい中央銀行を設計、構築していく、そのスタート台として、私はその基本精神を高く評価しておるものでございます。
ところが、昭和十六年の七月十一日、東条内閣だったと思いますが、戦時金融基本態勢確立要綱というのが閣議で決定されまして、日本の公的資金は全部大蔵省資金運用部に預けられることになりました。
しかるところ、この法律はもともとこれが昭和十九年にでき上がりまして、適用するに至りましたのは、当時の商工中金というものは政府出資を得ておって、そうして当時の戦時金融統制、戦時経済統制というものに服しまして国家の戦時統制経済金融の重要な任務をしょっておる金融機関であったから、民間の存在であるけれども、公務員同様にこの罰則規定を適用するのだということが適用になりました目的どおりで、しかるところ、今日これを
ただ法律によってできたものはまさに有史以来の大戦争をやったときに、戦時金融金庫ができまして、たしか三億円の資本金のときに政府が二億円出資してつくったというときに、初めて法律による買い上げ機関ができたというのがわが国の歴史でございます。
それから戦時金融金庫というものがございます。これは、御存じのように戦争中の実に多種多様の債権債務の関係が残っておりますので、これをどこで打ち切るかというのは、非常に困難な問題だと思います。これをどこかで踏み切りをつけなければなりませんが、どこで踏み切るかということにつきましては、なお研究を要する点が多いだろうと思います。
戦時中に戦時金融金庫、南方開発金庫というものがございましたが、終戦後は、政府金融機関としては、金融だけをやる性格のものだけでございます。今度初めてちょっと性格の異なった公庫ができたのでございます。従いまして、この性格というものを十分に反映して運営させていくということが、一番大切だというように考えます。
また国内の機関といたしましては、たとえば戦時金融金庫というようなものがございますが、これも戦時中の貸付が非常に多岐多様にわたっておりまして、それらの貸付を受けた会社がその貸付金の返還につきましてはなかなか思うようにいかない。何年間にわたって、これを年次計画に従って償還をするといったようなために、この清算もおくれているといったようなのが大体の実情でございます。
それから国内におきましては、先ほど例をあげましたが、交易営団とかあるいは戦時金融金庫、これは非常に国策的な仕事をやつておつたことは御承知の通りでございますが、これらもやはり債務の弁済ということによりまして、まずその方の弁済をやつておるわけであります。
交易営団で、ございすとか、あるいは戦時金融金庫でございますとか、いろいろ戦時中の国家的な、国策的な活動をいたしました機関が閉鎖されておるわけでございますが、そういうものにつきまして、やはりお話しの御趣旨でございますと、それが閉鎖されたのはだれの責任、かれの責任という、経営的な責任の問題でなくて、国家の迎命がそこに至つたのであるから、これは一つ株主も社債権者も債権者も、みんな同じような犠牲を払わすようなことにすべきではなかったかというふうなことが
私どもは長く金融畑で育つたものでございますが、その経験なり実際に徴して見ましても、戦争中戦時金融金庫というものができておりました。それから戦後には復興金融金庫ですか、それから更に開発銀行或いは輸出銀行、こういうものができておりますが、これが一般金融機関とそういう特殊の政府関係の金融機関との間の調整をどうとるかというのは、非常に立法当時からやかましかつたものであります。
これは、かつての戦時金融統制の再現である。しかも、外国の金融資本がこれをにぎらんとするためのものである。 さらに、ここで一言尋ねておきたい。政府のいう講和が発効するならば、日本の貿易の自主権はどうなるのか。独立するならば、いかなる外国の指示、指令からも完全に解放されて、日本国民の意思に従つて世界各国と自由な貿易ができるはずではないか。大蔵、安本、通産各大臣の答弁を要求するものであります。
○下條恭兵君 責任態勢を明確にするということに対しては、これは戦時金融から、復興金融金庫の先例に鑑みて必要なことでありますから言うまでもないことでありますが、併し又少数独裁態勢をとりますと、私が今指摘しましたような疑惑を世間から受けることは事実であります。
○国務大臣(池田勇人君) 他の機会にもそういう質問があつたのでありまするが、戦時金融金庫、これは軍の発注のものについて金を出す、復興金融金庫は役員が相当入つておつて、その運用について論議した。私はこういうことよりも、やはり立派な人を選んで、そうして重役陣で適当にきめて行くのが産業の開発に適当だ、こういう信念の下に、委員会等を設けずにやつて行こうという考えを持つておるのであります。
戦時金融国策の遂行の一端を受持つたわけであります。それが昭和二十一年一月に終戰後のこれも特殊な金融政策上の事情かと心得えまするが、全部を大蔵省預金部に預け入れることになりまして今日に及んでおります。
第三項の規定により設立せられた團体としては、重要産業團体令による統制会を初め、金融團体令による全國金融統制会等、港湾運送業統制令による地区別團体馬事團体令による日本馬事会、戦時海運管理令による船舶運営会、出版事業会による日本出版会等であり、営團としては、住宅営團、帝都高速度交通営團、農地開発営團、食糧営團、産業設備営團、交易営團、産業復興営團等があり、金庫としては、恩給金庫、庶民金庫、國民更生金庫、戦時金融金庫