1979-04-11 第87回国会 衆議院 商工委員会 第9号
しかし、日本国民として、戦時中中国で犯した非人道的行為に対して何らかの反省のしるしとして、中国に対し特別な経済協力を行うべきでないかと思うのです。 総理も御承知のように、戦後わが国は、経済力が回復するに従って、戦争で迷惑をかけた近隣の諸国に、経済協力という名前で賠償、準賠償、無償援助を行ってまいりました。
しかし、日本国民として、戦時中中国で犯した非人道的行為に対して何らかの反省のしるしとして、中国に対し特別な経済協力を行うべきでないかと思うのです。 総理も御承知のように、戦後わが国は、経済力が回復するに従って、戦争で迷惑をかけた近隣の諸国に、経済協力という名前で賠償、準賠償、無償援助を行ってまいりました。
○青柳委員 松本判事が何かそういう特別講義をするのにふさわしい力量を持っておられる、経験や知識を持っておられるということの評価はどこから出てきたのか、私どもにはよくわかりませんが、この裁判官の過去の経歴なんというものについて、本人自身も戦時中中国におった、そして敗戦で帰ってきて裁判官になったのだというようなことをこの講話の中で述べておりますけれども、お調べになったことはありますか。
また、佐藤尚武さんのように、戦時中、中国蒋介石は大陸において降伏した日本軍に対して非常に武士道的な扱いをしてくれた、この東洋の義理人情といいますか、そういう節に対してはわれわれとしては忘れることはできないのだということを佐藤さんは言う。
それで、衛生の状況というよりも、向こうへ参りまして、私も戦時中中国のほうに長くおりましたので、そのときと比較してものを見たのでございますけれども、一般的に、表現は悪いのですが、道徳的というのですか、非常に違っておりまして、そして非常に衛生の方面が進んでおる。
この組織は人道と平和、友好の精神に立脚いたしまして、政党政派を越えて、過去の日本の軍国主義が犯しました侵略戦争の罪過に対する道義的責任感の表現といたしまして、戦時中中国から連行され死亡された中国人殉難者を慰霊し、その遺骨を中国に送還する、こういうことを目的としてでき上がった団体であります。
ところが、私が唐突のように国民性ということを申し上げるのは、実ば日本人の多くは、戦時中中国に行っておったのですけれども、中国などに行きますと、銅幣かけて盛んに日常ばくちをやっておるけれども、負けたからといって、日本人のように目の色を変えないのです。知らぬ顔をしてお茶を飲んで、それで一定額負ければさらりときれいにしてしまう。
○受田委員 今、日本の国には、戦時中中国から連れてきた労務者四万のうちで、七千という人々の遺骨がまだあるわけです。そのうち、一部三千名ばかり送還しましたが、あとだいぶ残っておる。この人々の骨を中国へお返しして、まず日本側の誠意のあるところを示すという努力を外務大臣としてもなさるということ、現に慰霊実行委員会というのがあって、参議院の大谷さんが会長をしておられます。
○政府委員(板垣修君) 御承知のように、戦時中中国から相当多数の労務者が日本へ来て働いていたわけですが、この身分につきましては、通常、俘虜とか何とか言っておられますが、私、現地で直接会って承知いたしておりますが、俘虜ではございません。全部、身分が俘虜であった者も、現地で日本に送る前に身分を切りかえまして、雇用契約の形でみな日本に来ております。従って、通常言われる俘虜という身分ではございません。
○邵証人 杉本氏は戦時中中国の警察署長として長く上海におりました人間で、もちろん中国の人と相当交際も広いし、それで周さんと杉本氏の交際は上海時代からという話も聞いたことがありますし、もちろん周さんの奥さんと上海時代に一緒につき合ったことがあることも間違いないと思います。
この中国人は戦時中中国から日本に連れてこられて、北海道の明治鉱業の昭和炭鉱において強制労働に服しておったものであります。ところが虐使と飢餓とに耐えかねて、終戦直前脱走して、山中で穴居生活を続けること十三年に及んだものであります。ところで中国人は約四万人戦時中に日本に連れてこられた。
かりに戦前及び戦時中中国に渡航した日本人で死亡または行方不明になった者があったとしても、それは日本軍国主義の責任であると述べて、結局中共側としては引揚げ問題はすでに解決済みである。今後日本と中共両政府間で話し合うべきことは、国交正常化の問題であり、そのため日本側から代表者を北京に派遣すべきむねを主張しております。