2016-01-18 第190回国会 参議院 予算委員会 第3号
その関係している団体の皆様というのは、戦友会の皆様、それから実際に戦争によって御家族を亡くされた御遺族関係の皆様ですね、彼らのやはり名誉というのも私としても守っていきたい。そういう意味で、今総理の方から御答弁いただいたことは非常に心強くあります。
その関係している団体の皆様というのは、戦友会の皆様、それから実際に戦争によって御家族を亡くされた御遺族関係の皆様ですね、彼らのやはり名誉というのも私としても守っていきたい。そういう意味で、今総理の方から御答弁いただいたことは非常に心強くあります。
やはり、訪問者や利用者にとって今まで便利だったわけですから、改善することが必要だろうと思うんですけれども、今回、再利用されて新たな建物が建築されるのであれば、今までの歴史や現状に配慮した歴史的な性格を持った建物にすべきではないかという点が一点と、それから、実はこれ、建て替えによって、以前この会館を利用していた方は遺族会の方だけじゃなくて、戦友会とか元抑留者の団体の方だとか、今、実は会合をする場合の会場探
終戦後は、軍の解体に伴いまして、忠霊塔の維持管理が放置されて、塔の荒廃も甚だしい時期もございましたけれども、昭和三十三年、札幌市長や関係遺族会の方々が発起人となりまして、旧札幌連隊区管内市町村並びに遺族会、あるいは戦友会等に呼びかけて、月寒忠霊塔奉賛会というものを設立して、その後は、塔の維持管理はこの奉賛会によって行ってきております。
そして、きょう話題にいたしますこの御遺骨の収容、また帰還事業に対しましては、政府関係者もそうですし、遺族会の皆さん、戦友会の皆さん、それぞれ関係者の皆様方に、これは内外で多大なる御尽力をいただいております。この方々にも、心から敬意を表したいと存じます。 まず初めに、戦没された方は三百十万人と言われており、そのうち海外で戦没された方が約二百四十万人と言われております。
この石碑のずれなどを放置しておくと危険ですから、そしてまた、御遺骨が散乱したままでは何よりも英霊に申し訳ないというように思って、遺族会や戦友会の皆さんが懸命に修理するように管理者のはずである福岡市に陳情したそうですが、予算が掛かることもあって全く対応してくれなかったということでございました。 それで、民間の方々が仕方なく皆さんで寄附を集めたそうです。
ですから、厚生労働省が外務省の協力も得ながら、とりわけ日本遺族会や戦友会の皆さんとともに関係政府を粘り強く説得しながら、一柱一柱懸命に遺骨を収集されてこられたことに対し心から敬意を表する次第でもあります。 と同時に、野口さんからもお話をお伺いして、これまでのように厚生労働省の担当部局の奮闘に任せたままでいいのかと。
これは、戦後懸命に遺骨収集に協力してくださった遺族会や戦友会の皆様に申し訳ないという気がします。何よりも、国のために亡くなった戦没者の皆さんの御遺骨を異国の地で放置することになるわけですから、許されることではないというふうに思います。 これは国としての責任です。
○政府参考人(荒井和夫君) 私ども旧厚生省におけまして旧軍の人事資料を保有していたことから、昭和六十一年度までは、靖国神社を含めて遺族それから戦友会などから調査依頼があった場合には、一般的な調査回答の一環として回答してきました。 どのような者を合祀し、どのような者を合祀しないかということは、靖国神社の……
私どもの事業としては、国内情報は、遺族会のホームページにおきまして情報提供の呼びかけをするとか、あるいは戦友会の関係者の方等から事情を聞かせていただくとかいうことがその柱になっているわけでございます。
従前は、靖国神社を含め、戦友会等の団体でありますとか、あるいは遺族の皆さんなどから戦没者に関し調査依頼があった場合には、一般的な調査回答の業務の一環として対応しておりましたけれども、現在では、個人情報保護の観点から、関係遺族等以外には調査回答しないことといたしておるところでございます。
そして、だんだんだんだん時がたつにつれまして戦友会の皆さんなんかが行かれて、この辺に亡くなった方の御遺骨あるよ、埋めたんだよとかというようなことを頼りにして収骨するような時代にもなりましたけれども、ずっとそういう遺骨収集してまいりましたけれども、これだけ私が遺骨収集に携わってまいりましても、氏名判明したケースというのはもうまずございません。
○泉(健)委員 そこで、さらに言えば、それぞれ各遺族会、戦友会、JYMAには旅費の補助というものがなされているわけです。
したがいまして、こうした皆さんのお力がなければ、今お話しのように、遺族会といっても、戦友会といっても、年をとってきましたから、現地でのそんなに厳しい作業なんというのはできなくなってきておりますから、ますますこうした皆さんのお力が必要になってくる。今後ともぜひよろしくお願いしますということを申し上げたいと存じます。
もう一つが、いわゆる戦友会という形での慰霊事業協力団体連合会ということになっております。もう一つが、私たちが所属をしていました特定非営利活動法人JYMAということで、三団体が構成をしてこの派遣団に参加をさせていただいているわけです。 そこに対して補助をいただいているわけですけれども、それぞれやはりこの構成団体の趣旨というものがあると思うんですね。
なお、この通知を廃止した後の状況でございますけれども、通知した後は、靖国神社以外からも、例えば遺族会とか戦友会の方々からも多くの調査依頼があるということから、一般的な事務処理要領を定めまして、靖国神社からの調査依頼についてもこの要領によることとしたものでございます。
この遺族援護のための回答は、靖国神社の以外の方々、例えば戦友会、遺族会等々からも調査依頼があり、それにひとしく、同じように回答してきたということでございます。
また、関係団体を通じまして、例えば戦友会などにおいて広めていただくようなお願いもしているところでございますが、総理府といたしましては、一人でも多くの方に請求していただきたいと考えており、今後とも適時適切に広報を行うように努めてまいりたいと思っております。
最近では、さだまさしの「戦友会」、「防人の詩」を用意します。式の前には相手の国に敬意を表し、パプアニューギニアの国旗を掲げ、国歌を流すと、こうあります。 二十一世紀を前に、国際交流で必要なのはこういう態度、相手の国の人々や国の立場に立って考え行動する態度ではないかと私は思うわけです。
例えば、昭和四十八年度からは、国の職員だけではなくて、現地の実情に詳しい戦友会、また御遺族の方、また、これは大変私どもにとって力強い助けになっておりますけれども、学生ボランティアの方の御協力も得て収集を実施しております。さらに、平成七年度からは、遺骨の情報があった場合直ちに対応できるように、遺骨収集応急派遣事業を創設いたしております。
さらに、関係者の団体の機関誌、あるいは関係者の方が例えば戦友会などにおいてお集まりになることがございますが、そういう機会を通じても、口コミになろうかと存じますけれども、広めていただく。そういうきめ細かな対応で、一人でも多くの方から請求していただきたいというぐあいに考えており、今後とも適時適切に広報を行うよう努めてまいりたいと考えておるところでございます。
私どもがやっております慰霊巡拝、慰霊事業といいますものは、戦没者の遺骨が返還されないという日本人遺族の心情あるいはその要望に基づきまして、日本人遺族の慰謝という観点から昭和五十一年から行っておりまして、具体的な派遣団の構成は、厚生省職員それから日本人遺族、戦友会関係などの民間人を充てておりますが、民間人の方には渡航費用の一部を補助するという一方、これはあくまでも日本政府の事業としてやるということから
特に、タポチョには前に私も入って何度か遺骨収集に行きましたし、サイパン、テニアンにまつわるいろんな悲惨な出来事、もう五十年たちまして往時のあれをしのぶべくもありませんけれども、しかし今なおたくさんの遺骨も残留しているということで、随分遺族の皆さんもおいでになるし、また戦友会の皆さんもいらっしゃるし、それ以上に日本人の観光客も非常に多い、こういうことであります。
完全に平等にしろとは私は言いませんけれども、ほとんどそういう国の思いやりで余りにも等しくないではないかという思いは人間だったらするはずでございまして、年老いただんだんと死期に近づいている旧軍人たちがみんな三々五々寄って昔の戦友会をやる。
また、関係団体あるいは戦友会みたいないろいろな集まりの際にもそういう話が伝わるように、いろいろ努力をしているところでございます。ただ、現実においてはそういう割合になっているというところでございます。
遺骨収集団の編成は、例えば戦友会あるいは遺族会という方々が参加をするのでありますけれども、参加者が非常に高齢になってきたという、これ先ほど私は村上少尉のお話をしましたが、この方も私に言っておりました、もう高年齢ではとてもじゃないけれども遺骨収集は難しくなってきたと。
先般、私も現地に行ってまいりましたが、この硫黄島におきます遺骨収集につきましては、この地下ごうの状況が非常に変化しているというところから、人員、機材の輸送、宿泊施設の提供、こういった点につきまして防衛庁の協力を得ながら、またこの硫黄島で現実に地下ごうの構築に携わった戦友会のいわゆる生き残りの方々にも御同行を願いまして、埋没地下ごうの入り口の発見に全力を傾注いたしておるところでございます。