2014-05-28 第186回国会 衆議院 予算委員会 第16号
私ごとで大変恐縮ですが、いわゆる戦前派、戦中派という言葉がありますけれども、私は戦中生まれというふうに言ってもいいんじゃないでしょうか。実は、私の戦後の思い出は、白衣を着て、手をなくされて、そして足をなくされた方が、白い箱を持って、アコーディオンやそしてハーモニカを吹いて、多くの町の中で募金活動をされておった、あの姿が実は私にとってのいわゆる戦争の思い出であります。
私ごとで大変恐縮ですが、いわゆる戦前派、戦中派という言葉がありますけれども、私は戦中生まれというふうに言ってもいいんじゃないでしょうか。実は、私の戦後の思い出は、白衣を着て、手をなくされて、そして足をなくされた方が、白い箱を持って、アコーディオンやそしてハーモニカを吹いて、多くの町の中で募金活動をされておった、あの姿が実は私にとってのいわゆる戦争の思い出であります。
ですから、大変人の殺し合いということについては、きょうお待ちしている時間帯の中でも、戦前派の一人でございますけれども、優しさということについて、これからの日本国民の皆さんに十分、私は障害者であるということ、それをはばからずに教育の面でも地域の中でも行政の中にも御指導できるような社会構造が生まれていけば、日本人のよさというのは、私は、戦前派の中でも粘り強い、そういう姿勢は持っているはずでございますので
私は、心技体の心、知徳体の徳といった心の教育をどうするかについて、まあ戦前派の私の考え方をその夜にですね、残念だったものですから、少し作文にさせていただきました。今日はテレビも入っておりますので、是非国民の皆さんにもお聞きいただいてですね、国民の皆さんと一緒に考えてみたいなと、そう思っておりまして、最後に小泉総理の所感をお伺いしたいと思っております。 昔、衣食足りて礼節を知ると教わりました。
私、戦前派でございまして、戦前は何事につけても命懸けでやるということが言われたわけですが、いい目的を、いい指導者がいい目的を命懸けでやると大変いい結果を生むわけですが、余り良くない目的を命懸けでやられたら大変なことになりますので、そこはひとつ御理解いただきたいと。 それで、民営化することによって子供たちに夢を与えることができるということについて、若干御説明いただけますか。
この中で、二〇〇一年十月から二〇〇四年の六月にかけて、戦前派世代以外、団塊世代、戦中派世代、団塊ジュニア世代、そして新人類世代と分析しておりますが、この人々の国民年金制度への信頼感が極端に低下をしているという事実を皆様方にも知っていただきたい。とりわけ、団塊ジュニア世代や新人類世代は、現在の年金制度に対する信頼感が一二%とか一三%のレベルに落ち込んでいるということをぜひ知っていただきたい。
私、昭和五十七年に大学を卒業し、役所に入りましたが、十数年間、官の側から政治を見て、実のところ、戦前派の保守政治家が押しつけ憲法に嫌悪感を持ちたい気持ちはわかるものの、なぜ改憲までしなければならないのか、しっくりきませんでした。
この中で、戦前派の閣僚は十名いらっしゃいます。ですから、私が戦前の体験をもとにしてお話をしても、御理解いただける部分も多いんじゃないかと思っております。 戦前の体験といいますのは、私、子供時代でしたが、軍国主義体制でございました。現在は民主主義国家でございます。
だけれども、その永田町小学校は、中曽根先生のころはどうか知らぬけれども、我々の年ごろの戦前派の連中が永田町小学校にいたときには、訓導の資格を持っておる人は三分の一しかいなかったんです。それぐらい訓導は少なかった。 師範学校を出て、二、三年したらもう教頭先生になったんですよ。だから、永田町小学校なんというのは恵まれた方です、三分の一も訓導がおったら。ほとんどいわゆる代用教員ですよ、あるいは仮免許。
○国務大臣(谷洋一君) 今の御質問に対しまして私がお答えするわけでございますけれども、考えてみますと、古い言葉のようでございますが、戦前派とか戦中派とかまた戦後派とか、そういう言葉がはやったときもございました。
私は戦前派に属してはいませんが、君が代は立派に歌って、今でも模範的に歌ってみせます。
それから、大臣、もう一つの側面は、今これから日本農業を担っていくという数少ない若手の皆さんで言いますと、これは戦前派から今度は戦後の近代化、合理化をやってきた人たちを見てきた人たちなんですね。つまり、借金で規模拡大をやってゆとりのない農業経営をやってきているという先輩を見てきているんですね。
私ども戦前派の者は、質実と申しますとすぐ質実剛健ということを考えるんですね。どうもしかし、そうではないらしい。そこで、どうかひとつ中学生にでもわかるように質実国家の内容をこの際明らかにしていただきたいと思います。
○高桑栄松君 これは前回宮崎委員も非常に強調しておられて、私ももう一回質問をしなければと思ったことでありますが、新設医科大学が国立て十六できて、十四看護婦養成所がないというのは、私のように戦前派にとりましてはびっくり仰天だったんです。 旭川の医科大学の学長にも言われまして、とても私たちのところでは看護婦さんを充足することは困難だと。
今もお話があったわけですが、私どものように戦前派の者にとりましては、戦前社会教育が国民教化とか国民精神総動員とかいう形で使われてきた苦い経験を持っておりまして、そういう経験の上に立って、戦後、教育基本法が生まれ、社会教育法が生まれたわけでございます。その点から考えまして、この法案に中央集権化とか営利への従属といいますか、それに対する歯どめがあるのかどうかという問題を最初にお伺いしておきたいのです。
○安倍(基)委員 大臣も戦前派ですね。私は、戦前派とはいかないけれども戦争体験者ですよ。彼らが、自営業者とかサラリーマンとのアンバランスと言うけれども、片っ方は国の命令によって外地で戦争してきた連中です。そのアンバランスは何ですか。年金は積み立てたというのはわかりますよ。しかしその分を、国がそのくらいの積立金を面倒見てやれということです、簡単に言えば。
それは、我々戦前派の者ではここまでたどり着いたが、これからその実を発揚していくのはあなた方の時代だろう、そういう気が私はしております。 以上で、大変僭越でございますが、感想を申し上げる次第であります。
これずっと見ていきますと、私も実は戦前派なんです。弾の下くぐったんですよ。正直言って、おっかなかった。命借しいんです、やっぱりね。仲間は、お母さん、お母さんと言って死んでいった連中もたくさんいるんですがね。 これ非常に大事なことは、なぜこういうことを言うかといいますと、大臣の管轄の中には実はさっき申し上げた情報通信、電波、放送ですね。
○小川(新)委員 私、大臣の御意見はわからないでもないのですが、いたずらにイギリスまで敵に回すことはない、今アメリカだけで精いっぱい、対日包囲陣ができ上がったのではそれこそ大変だ、戦前派の我々はそう考えるので、あえて御忠告しているわけでございます。
そういう意味で、いわゆる戦前派の最後尾あるいは戦後派の最先端といってもよいかと思っておるところでございますが、そういう視点、立場から、教育の問題も考えてまいりたいと思っておるところでございます。 さて、大臣は、さきの所信表明におきまして、教育全般にわたる改革の推進を説かれ、当面する六つの主要な課題について言及されました。いずれもまことに時期を得た重要な問題ばかりであります。
この辺はさておいて、私が言いたいのは、高齢化社会を今迎えている人たち、いわゆる戦前派、それから戦中派もそろそろそこへ該当するわけだが、言うならば、戦前の昭和初期のころの大不況から何から昔のあの時代のところを経験、してきて、そしてあの戦争の時代の長い間もまたいろいろと苦労をしてきて、それで戦後になったら、今度はまた食糧難や何やかやといってずっとそういう苦しい時代を歩んできたわけなんです。