2015-07-27 第189回国会 参議院 本会議 第34号
戦争への道は、言論の封殺をもって進められた、これが戦前、我が国がたどった歴史的事実であります。憲法違反の戦争法案をごり押しする安倍内閣の下で、自民党の一部議員によるメディアへの恫喝が表面化したことは、決して偶然ではありません。 今、参議院は、違憲立法の成立に手を貸すのかどうかが鋭く問われています。
戦争への道は、言論の封殺をもって進められた、これが戦前、我が国がたどった歴史的事実であります。憲法違反の戦争法案をごり押しする安倍内閣の下で、自民党の一部議員によるメディアへの恫喝が表面化したことは、決して偶然ではありません。 今、参議院は、違憲立法の成立に手を貸すのかどうかが鋭く問われています。
戦前、我が国の海軍も使用したといういわく付きのところですが、ここはまさに自然の良港で、この内離島、いわゆる港湾口にある内離島の土地所有者、その七割は台湾系日本人です。 その方がお年を召したので、もう台湾、母国へ引き揚げるということでこの土地を売出しに出たんですね。
(拍手) 戦前、我が国の大学は、官吏養成機関として出発し、帝国大学令第一条では、「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ」と定められておりました。 それが、学生を戦地に送った歴史の教訓から、戦後、大学は、国家目的への奉仕機関から、学術の中心の機関に転換したのであります。憲法が明記する学問の自由と大学の自治は、まさにその保障であると言わねばなりません。
○国務大臣(川崎二郎君) ハンセン病補償法前文に記載されていますとおり、戦前、我が国の隔離政策が実施されていた国外のハンセン病療養所に入所されていた方々の精神的な苦痛について慰謝させていただきたいと考えております。 厚生労働省といたしましては、今回の法改正の趣旨を踏まえ、ハンセン病問題の全面的解決に向け、真摯に取り組んでまいりたいと考えております。
○国務大臣(川崎二郎君) 今申し上げましたように、戦前、我が国の隔離政策により国外のハンセン病療養所に入所されていた方々の大変な経験というものを改めて銘記しながら、二度とこのようなことが行われないようにしていかなきゃならぬと思っております。
○安倍国務大臣 戦前、我が国における徴用は、昭和十三年に制定された国家総動員法四条に基づく国民徴用令により実施されたものであり、朝鮮半島においては昭和十九年九月から実施をされた、こういうことでございます。
確かに、戦前、我が国がアジアの諸国に対してさまざまな侵略的行為を行った、あるいは過剰にその国の政治に介入をした、こういった大変痛ましい、そして反省すべきことはあったと思いますけれども、かといって、我が国のアジア政策、とりわけアジアの平和と安定を維持するために何ができるかということに対して余りにちゅうちょしてしまうということは、私はよろしくない、こう考えております。
市民が裁判所の決定に関与する典型的な方式には、比較法的に見ますと陪審制と参審制とがありますが、戦前、我が国が短期間とはいえ陪審制を運用していたという経緯もあって、陪審制の合憲性につきましてはそれなりの議論がなされてきました。 そして、多数説は、陪審の評決が裁判官を拘束しないような陪審制であれば憲法違反ではないと。
戦前、我が国による植民地支配を受けたアジア各国では、日本が再び軍事大国化し、また侵略行為をするのではないかという危機感があり、そのためにも、在日米軍の駐留とともに、アメリカの強い監視のもと、まさしく瓶のふたのように日本を押さえつける役割をこの日米安保に求めていることも、現実的には存在しています。
戦前、我が国が天皇を頂点とする国家神道を掲げ、このイデオロギーをもってアジア諸国を侵略し植民地政策を遂行したわけであり、アジア諸国の人々は今回の森発言を聞き、まさに戦前の日本の姿を思い起こし大きな疑念と不安を持ったに違いありません。最近とみに友好関係を深めてきた韓国においてでさえ日韓首脳会談の記者会見の質問で強い懸念が提起されました。
そして、この点に関して付言するならば、日の丸と君が代が、戦前、我が国を軍国主義国家へ駆り立てたものと見るべきではなく、軍国主義者たちがこれを利用したものと見るのが、道理にかなったものであると思います。
かつて、戦前我が国は大変言論の規制がございました。また戦時中、戦況については大本営発表だけでございました。不利な戦況といいますのは全く伝えられなかった。そして、伝えられない中で原爆を落とされ、日本は敗戦した。そういう知らされないということ、知らせないということの恐ろしさ、罪深さといいますものを実は私は自分のささやかなこの実験の中で発見をしたわけでございます。
戦前、我が国を支配した宗教法制は、徹底した国家による宗教の保護と監督、すなわちサポートとコントロールをその基底に置くものでありました。一方、新憲法は、無条件の信教の自由を保障するとともに、これを実質的なものとするため、国及びその機関が宗教に介入しまたは関与することを排除するという趣旨の政教分離の原則を定めたのであります。
○折田政府委員 ちょっと法的側面から御説明させていただきますと、戦前、我が国は南沙諸島を領有していたわけでございますが、御承知のようにサンフランシスコ平和条約によりまして、サンフランシスコ平和条約では新南群島となっておりますけれども、これに対するすべての権利、権原、請求権を放棄しているわけでございます。
戦前、我が国には大政翼賛会というのがありました。一九四〇年のことで、時の内閣総理大臣は近衛文麿氏。細川総理、あなたのおじいさんに当たります。当時は近衛さんの人気というのは、言論界でも国民の間でも非常に高いものがあったと言われています。しかし、この大政翼賛会は、結果的には一国一党の独裁政治に走っていった。
戦前、我が国は軍事大国を目指して大失敗をしてしまったわけですが、戦後はその反省の上に立って、アメリカあるいは旧ソ連が軍事大国と言われる中で経済重視の政策をとってきたわけですけれども、それが結果。
(拍手) さらに、小選挙区制を中心とする制度は、戦前、我が国で八回の経験を持っているのであります。この経験が好ましいものでなかったことは、昭和二十二年、中選挙区制を採用する際の提案理由説明で明らかにされています。
いわゆるサハリン残留韓国・朝鮮人問題というのは、かいつまんで申し上げておきますと、戦前、我が国の植民地としての朝鮮から約二百万人ぐらいの若い朝鮮人が強制的に連行されながら、そのうち約六万人が樺太の炭鉱や軍事施設等で強制労働に従事したわけであります。
戦前、我が国は日独伊三国の軍事同盟によってあの侵略戦争に突き進み、大きな惨禍を招きました。今、日米軍事同盟のもとで、多くの国民は新たな戦争へ巻き込まれないことを切に望んでいます。我々は、今こそ「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやう」決意しとの憲法前文を想起し、文字どおり平和と国民生活擁護のために全力を挙げなければなりません。
これの大半が戦前の我が国にはなかった病気ではないのかというふうに私は思うのでありますが、我が国で発生した牛のウイルス病あるいは豚のウイルス病、この中の、戦前は我が国になくて、戦後こういう動植物、家畜の輸入に伴って発生してきたと思われるもの、あるいは戦前我が国になくて戦後起こったもの、これはどのくらいの割合を占めるというふうに御検討なさっているのでしょうか。
戦前我が国は、この問題で大変苦労いたしました。明治の新政府は、明治三年にデンマークの大北という会社に海外通信の特許を与えました。対外通信の政治的、経済的、軍事的重要性に対する十分な認識を欠いておりました当時の政府は、海外通信の運営を一外国の会社に無条件かつ無期限に許可し、これによって国際通信の自主性を開国早々にしてなくしてしまいました。