1951-10-24 第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第8号
カイロ宣言は、申すまでもなく戦争終末期における深刻なる敵対的うず巻の中に、日本に武力を示して無條件降伏を求めたそれであります。カイロ宣言は日本に対する憎悪感を極度に現わしまして、日本を仮借なく制圧出しなければならぬということを宣言したものでございます。この原則をもつて講和の内容とするということは、過去を振り返るものであり、また復讐の平和とも解せられるおそれがあります。
カイロ宣言は、申すまでもなく戦争終末期における深刻なる敵対的うず巻の中に、日本に武力を示して無條件降伏を求めたそれであります。カイロ宣言は日本に対する憎悪感を極度に現わしまして、日本を仮借なく制圧出しなければならぬということを宣言したものでございます。この原則をもつて講和の内容とするということは、過去を振り返るものであり、また復讐の平和とも解せられるおそれがあります。
また鹿兒島縣南部の大隅半島等においては、戦争終末期に乱暴な防寒壕等をたくさん掘りましたために、思わざる被害をこうむつた所が多々あつたようであります。なお愛媛縣の漁民の被害に対しましては、ほとんど室戸崎から徳島間とそれから愛媛の各海岸線等に避難港、漁船船だまり等の設備の見るべきものがございません。こういうことが災害が大きくした原因であろうと思うのであります。