2015-04-24 第189回国会 衆議院 安全保障委員会 第9号
これには何の注釈も解説もないんですが、戦前の例を挙げてみますと、武官と文官というのがありまして、武官というのは軍人、文官というのは軍人以外の者であるというようなことで、戦中戦前の皆さんはそういう意識で捉えておられたという部分があるのじゃないかな。つまり軍人以外の者であると。
これには何の注釈も解説もないんですが、戦前の例を挙げてみますと、武官と文官というのがありまして、武官というのは軍人、文官というのは軍人以外の者であるというようなことで、戦中戦前の皆さんはそういう意識で捉えておられたという部分があるのじゃないかな。つまり軍人以外の者であると。
また、平成十八年十一月二十七日の参議院教育基本法に関する特別委員会において当時の塩崎官房長官は、野中官房長官の発言は、戦前の一時期の教科書において日の丸や君が代が戦争と関連付けて記述されていた事実を認めたものだというふうに理解しているところでありまして、日の丸とか君が代というのは、中略がありますが、戦中、戦前の出来事に対する認識や評価とは区別をして考えていくべきものだろうというふうに考えております、
では、戦中、戦前どうだったのかということなんですよ。国家教育をやっていたわけです。特に、戦中は軍事教育もやっていた。それはやはり誤っていて、地方分権をして地域の教育を充実させていこう、ある種、できるだけ政治からは独立をさせる教育委員会ということでやっていくというこの考え方が誤っていたというところからこの議論をスタートするのか。
我々が育った戦中、戦前は、他人様の業界に手を突っ込むようなことはなかった。マヨネーズはキユーピー、ケチャップはカゴメ、ソースはブルドックソース、大阪はイカリソース、余計なことはやらないんだ。今はもうめちゃくちゃですよ。もうかるとなればわあっと何でも、陸上の私企業が海上へ行く、水中へ行く、めちゃくちゃだ。
もう一点、これは私も調べてびっくりしたんですけれども、戦中戦前、軍人の方で陸軍、海軍に勤務されておられた方、その方々というのは恩給が出ます。しかし、いろいろ要件があって、十二年という期間がある。これは、激戦地とか外地で、外地加算とかいろいろありますけれども、おおむね十二年軍隊に勤めていないと恩給がフルに出ない。
○長妻委員 戦後六十年以上たって、今調査を要請したということでありますけれども、例えばこれは平成十九年度、ことし一月末までの数字ですけれども、自分の旧令共済、あのとき、戦中戦前に共済に入っていたから、その記録が抜けているから探してほしいという申請者が今年度三千九百二十二人もおられ、そして判明した方が二百五十四人ということで、いまだにこの意味でも戦争は終わっていないというような、非常に扱いが冷たい形になっている
そして、きょうの質問でございますけれども、戦中戦前の消えた年金問題をまず議題とさせていただきたいと思います。 旧令共済というものがございまして、戦中戦前に陸軍、海軍の工場で一生懸命働いた皆さんがおられ、推計で百四十三万二千人の方がその共済に軍属として加入をされたというものでございますけれども、これも当然、厚生年金の基礎年金部分には、受給に反映される記録でございます。
私自身は、実は、祖父母、両親の三世帯で育ったものでございますので、自分の知らない時代の、戦中、戦前の話とかもずっと聞いて育ったものでございます。ただ、先生自身が、きょう参考人でお見えくださった先生方も、皆様方、それぞれ年代が多少異なっておられます。恐らく、御自身が教わった先生方の年代、あるいはその価値観というのも、時代とともに、やはり今も変わってきていると思うんです。
戦中、戦前のほんの一時期、大陸国家と海洋国家、両方、二兎を追って国家が破滅的な状況に陥った、そんな不幸な一時期もありましたけれども、高坂教授の言葉どおり、戦後も引き続き海洋国家として我々は歩みを進めてきたわけです。
これは平成十一年の七月三十日の今の答弁で、国旗・国歌法に関する特別委員会で答弁をされたわけでありますけれども、これは戦前の一時期の教科書において日の丸や君が代が戦争と関連付けて記述されていた事実を認めたものだというふうに理解をしているところでありまして、日の丸とか君が代というのは、法案審議当時の小渕総理の答弁にもございましたけれども、戦中、戦前の出来事に対する認識や評価とは区別をして考えていくべきものだろうというふうに
カンターレでいうと、かつてこの国は、戦中、戦前を含めて、変な歌を歌うと、この非国民ということで、官憲からそういうあれが国民に対して、抑えがありましたよね。 ですから、本来これは自由であるべきものなんですね。でも、そういうことで、今何とか国民の食生活の改善、向上を目指してやりたいという政府・与党のそういうお考えでこの法律は通ったようです。
参考人も私も同じ世代でございますけれども、誤解を恐れずに言うと、我々の世代は、戦中、戦前、戦後の先輩たちの世代に比べると大変恵まれた世代に我々は生を受けたんだろうというふうに思います。比較的不自由なく、高度経済成長の中、我々は今日まで、それは個人的には様々な御苦労はあったでしょう。
○参考人(畠山襄君) 二点お尋ねだったと思いますけれども、一つは戦中、戦前の世代と若い世代とは気質も違ってきて、ややその若い世代は現状に安住したいというか、そういうところがあるのかもしれないというふうにおっしゃったんだと思いますが、若い世代も、このごろ企業の人なんかに聞いてみますと、日本もいい社会になったと、ベンチャーをやろうとするとそれなりに付いてきてくれるということを言っておられまして、世代で違
逆に、少子化対策、特に今回の第三子以降手当の月額がふえるよなんということを聞くと、かえって、戦中、戦前の産めよふやせよというような、国策で、さあ、産みなさいと言われているような気がするから、産む産まないは個人の選択だし、その阻害要因を根本的に早く解決してほしいということを強く言っていました。
私どもの、今生存しておる世代というのは、ある面では戦中戦前というものをよく体験をし知っており、またある面では、第二次世界大戦を通じまして、戦争はどんなことがあってもこれは忌避したいという方々の層もありますし、また戦後、その困難の中で新しい理想を求めて、どういう日本をつくったらいいのかというようなことを自問自答しながら取り組んできた世代もありますし、またもう一つの世代は、もはやそういう時代を超えて、自由
これは戦中戦前の特高にも法的にオーソライズされておらなかった一つの権限を与えたわけですね。 その大前提というものは、警察というものが、これだけのプライバシー侵害の危険性がある手段を与えるわけですから、警察ではそういう犯罪に、警察官が脅迫に情報を使うとか証拠物を使うということは絶対あり得ないという前提で、私はこの法律は通ったんだと思うんですね。私はそう思いますよ。
我が党の冬柴幹事長が代表質問で総理に質問申し上げましたように、私どもは、日の丸や君が代には、戦中、戦前の暗い、許すべからざる事実への連想から一部に拒否感があることを十分に承知しておりますけれども、少なくとも、昭和二十年八月十五日の敗戦の日以前に生起したこのような暗い、悲しい出来事に対する認識と評価は、歴史認識もしくは歴史観の問題として整理すべきものであると考えている、このように表明いたしております。
私どもは、冒頭に申し上げたように、日の丸や君が代には、戦中、戦前の暗い、許すべからざる事実への連想から一部に強い拒否感があることを十分に承知しておりますが、しかしながら、少なくとも、昭和二十年八月十五日の敗戦の日以前に生起したこのような暗い出来事に対する認識と評価は、それぞれの心のうちの歴史認識、もしくは歴史観の問題として整理すべきものと考えているのでありますが、総理の所感をお伺いします。
一歩奥に入れば、あるいは路地裏に入れば、我が国の戦後の五十年間、あるいは戦中、戦前を含めた五十年間がきょうという日に凝縮されておるのがアジアなんです。 そのことを考えたときに、看護婦さんも行っています、優秀な外科医も行っています。しかし、その地域の最高の看護婦さんを集めて救命救急病院をつくっても、どうやって教えたらいいか。
それからもう一つですけれども、先ほどもちょっと本岡先生の方から教科書の問題が出ましたが、私の年代ですと戦後の生まれですから歴史教育とかそういったものについては非常に疎くて、実際に戦中戦前何があったのかといったものを余りはっきりは覚えていないんです。
戦中、戦前の課題も残っています。財産請求権の問題も未処理であります。そして、漁船の拿捕とかいろいろな問題も起こっているわけでありますだけに、この国と早く戦後を、戦争を終わらせて国交の正常化を図っていくことは、一政治家としても大変大事な課題だという思いがお互いにあったと思うのです。
○鳩山国務大臣 申しわけありませんが、先ほどからの先生の御質問あるいは総理の答弁、大変興味深く聞かせていただいておりましたが、私自身は戦後の生まれなものですから、いわゆる戦中、戦前の推移、事柄の成り行きというものは、それこそまず教科書で勉強したりあるいは話を聞いたり、そうしたことで勉強していく立場でございまして、先生がお尋ねの件は戦前の歴史教育ということでございますか。