1953-08-04 第16回国会 衆議院 法務委員会 第30号
○三橋証人 私は東京の麻布で大正二年十月十四日生れまして、麻布我善坊におりまして、小学校四年のときに東京震災にあいまして、父が死にましたものですから、鹿児島の親戚の方に引取られたわけであります。
○三橋証人 私は東京の麻布で大正二年十月十四日生れまして、麻布我善坊におりまして、小学校四年のときに東京震災にあいまして、父が死にましたものですから、鹿児島の親戚の方に引取られたわけであります。
牛込区会議員選挙費用として佐久間徳太郎氏に三万円、森山邦雄氏には、同氏長男立候補選挙費用として二万円、原玉重氏には、矢野富太郎氏立候補應援費用として八万円、金子力三氏には、当時の日本自由党立候補者選挙應援演説費として八万五千円、下沢秀夫氏には、中曽根幾太郎氏の選挙應援費用として二十万円、岡村吾一氏に十万円、中島次男氏に三万円、当時の自由党本部建設資金として二十万円、自由クラブが集会場として使用した我善坊
○中野(四)委員 さらに伺いたいのは、世耕君と中曽根君並びに塩月君らとが麻布の我善坊、いわゆる自由クラブにおいて会食して、その席上においていろいろ話合いが出たかのごとく傳えられておることがありますが、このような記憶が証人にあるかないか、明確にされたいと思います。
学士会館の前の精養軒と申しますが、その商賣の権利をもつて我善坊に参りました。ところがやはり自由党で、きよう行くからというときにあけてないと、ただで拜借しておりまして惡いものですから、私もお客さんにはあまりお願いしなかつたのです。たまに五、六人來るぐらいで、ただお酒の実績がもつたいないので、それを移して、洋食屋の権利はありますけれども、五月からぺちやんこになりまして、今休んでおります。