1997-06-13 第140回国会 参議院 臓器の移植に関する特別委員会公聴会 第1号
四月八日の衆議院厚生委員会の参考人質疑で、日本大学医学部の林成之先生がこのように述べられております。つまり、脳死判定の一つであります無呼吸テストのことでございますが、「無呼吸テストによって脳蘇生の可能性を断ち切っているのではないかという葛藤を生ずることがあります。」と林先生は述べられております。大変侵襲性の高い、危険性の高い無呼吸テストは、日本の場合、医療の現場でどのように行われているのか。
四月八日の衆議院厚生委員会の参考人質疑で、日本大学医学部の林成之先生がこのように述べられております。つまり、脳死判定の一つであります無呼吸テストのことでございますが、「無呼吸テストによって脳蘇生の可能性を断ち切っているのではないかという葛藤を生ずることがあります。」と林先生は述べられております。大変侵襲性の高い、危険性の高い無呼吸テストは、日本の場合、医療の現場でどのように行われているのか。
参考人聴取で林成之教授は、この十年間の脳の蘇生法の進歩を踏まえて、「医学の進歩とともに脳死も細胞レベルの点まで含めて考える時代に入ってきた」と指摘されました。さらに、脳幹の神経細胞死と考えられていた瞳孔散大、対光反射消失、除脳硬直患者でも、低体温療法によって回復していった例を紹介しながら「このことは、脳幹の神経細胞膜の機能が消失した症例であって、細胞自体が死滅していた患者ではない」と述べています。
現在、救急救命医療の現場で画期的な成果を上げ全国的に注目されている脳低体温療法、この療法を担われてきた日本大学の林成之教授は「医学の進歩とともに脳死も細胞レベルの点まで含めて考える時代に入ってきたんだというふうに思うわけです。」と陳述されました。これは、脳死臨調が医学の到達点として想定していなかったことです。
八日に私たちの委員会が行った参考人からの意見聴取で、日本大学の林成之教授が、 脳死はこれまで、細胞レベルまで含んでいない概念でとらえられてきた歴史がありますが、脳の低体温療法の治療成績とか、その前進の結果を見ますと、やはり医学の進歩とともに脳死も細胞レベルの点まで含めて考える時代に入ってきたんだというふうに思うわけです。 とお述べになりました。
この八日の参考人からの意見聴取で、きょうもさまざまな議論がございましたが、例えば日本大学の林成之教授、「医学の進歩とともに脳死も細胞レベルの点まで含めて考える時代に入ってきた」こういうふうにお述べになりました。これは私にとってやはり非常に強い刺激でした。
小泉純一郎君 出席政府委員 厚生政務次官 鈴木 俊一君 厚生大臣官房長 近藤純五郎君 厚生省保険局長 高木 俊明君 委員外の出席者 参 考 人 (杏林大学学長)竹内 一夫君 参 考 人 (日本大学医学 部救急医学科教 授) 林 成之君
本日、午前、御出席の参考人は、杏林大学学長竹内一夫さん、日本大学医学部救急医学科教授林成之さん、九州大学生体防御医学研究所免疫学部門教授野本亀久雄さん、広島大学名誉教授・県立広島病院病院長魚住徹さん、順天堂大学医学部循環器内科主任教授・順天堂医院副医院長山口洋さん、以上五名の方々であります。
次に、林成之さんにお願いをいたします。
――――――――――――― 厚生委員会参考人名簿 杏林大学学長 竹内 一夫君 日本大学医学部救急医 学科教授 林 成之君 九州大学生体防御医学 研究所免疫学部門教授 野本亀久雄君 広島大学名誉教授 県立広島病院病院長 魚住 徹君 順天堂大学医学部循環 器内科主任教授 山口 洋君 順天堂医院副医院長
日本大学板橋病院の林成之教授は、その著書「脳低温療法」の中でこうおっしゃっています。「患者中心の医療とは、救命救急センターのような重症患者の医療を行う所では、絶対に救命する、できれば後遺症無しに救命するという目的を達成するため、医療従事者は自分の都合を捨て、質的向上をはかり、あらゆる条件を乗り越えて、初めて展開が可能になるのではなかろうか?」
最近、日本大学板橋病院の林成之助教授らは、低体温療法によって脳死状態にある患者を生還させ、日常生活に復帰させております。この具体的な事実より考えますと、法案を成立させること自身がアナクロニズム、時代錯誤的な発想だろうと思います。
総務庁行政管理 局長 陶山 晧君 防衛庁参事官 熊谷冨士雄君 防衛庁長官官房 長 三井 康有君 防衛庁防衛局長 村田 直昭君 防衛庁経理局長 秋山 昌廣君 防衛施設庁長官 宝珠山 昇君 防衛施設庁総務 部長 粟 成之君
○参考人(清水成之君) いま局長からお話しございましたように、お互いよく相談しまして、るる苦慮をしておるところが実情でございますが、振り返ってみますと、私学振興財団の前身の私学振興会発足当時から数年間は、お返しする利息の要らない出資金が貸付財源の一〇〇%でありました。
○参考人(清水成之君) お答えいたします前に一言御礼を申し上げたいと存じます。 私学振興財団のことにつきまして、当文教委員の先生方から日ごろ御鞭撻、御協力をいただいております点、深く御礼を申し上げたいと存じます。
文部省初等中等 教育局長 三角 哲生君 文部省大学局長 宮地 貫一君 文部省管理局長 吉田 壽雄君 郵政省電波監理 局長 田中眞三郎君 事務局側 常任委員会専門 員 瀧 嘉衛君 参考人 日本私学振興財 団理事 清水 成之君
それから清水成之先生、この方は日本私学振興財団の常務理事でいらっしゃいます。それから橋本司郎先生、これは朝日新聞社の編集委員でいらっしゃいます。それから平田冨太郎先生、この方は早稲田大学の名誉教授でいらっしゃいます。それから福田勝先生、これは日本労働組合総評議会の国民生活局長でいらっしゃいます。それから船後正道先生、この方は中小企業金融公庫の総裁でいらっしゃいます。
人事院事務総局 給与局長 茨木 廣君 文部政務次官 笠岡 喬君 文部大臣官房長 井内慶次郎君 文部省初等中等 教育局長 諸沢 正道君 文部省大学局長 佐野文一郎君 文部省学術国際 局長 木田 宏君 文部省管理局長 清水 成之君
臣 永井 道雄君 出席政府委員 文部大臣官房長 井内慶次郎君 文部省初等中等 教育局長 諸沢 正道君 文部省大学局長 佐野文一郎君 文部省学術国際 局長 木田 宏君 文部省社会教育 局長 吉里 邦夫君 文部省管理局長 清水 成之君
○政府委員(清水成之君) その点でございますが、制度的に見ますと、こちらに入っていない者は厚生年金保険とそれから健康保険に加入すると、こういうことでございます。
○政府委員(清水成之君) 言葉は悪うございますが、まあ人数が少ないというような、何と申しますか、基盤の弱いところは政府管掌保険組合だと思います。
計課長 宮地 貫一君 文部省初等中等 教育局長 諸沢 正道君 文部省大学局長 佐野文一郎君 文部省学術国際 局長 木田 宏君 文部省社会教育 局長 吉里 邦夫君 文部省体育局長 安養寺重夫君 文部省管理局長 清水 成之君
計課長 宮地 貫一君 文部省初等中等 教育局長 諸沢 正道君 文部省大学局長 佐野文一郎君 文部省学術国際 局長 木田 宏君 文部省社会教育 局長 吉里 邦夫君 文部省体育局長 安養寺重夫君 文部省管理局長 清水 成之君
有島 重武君 高橋 繁君 受田 新吉君 出席国務大臣 文 部 大 臣 永井 道雄君 出席政府委員 文部政務次官 笠岡 喬君 文部大臣官房長 井内慶次郎君 文部大臣官房会 計課長 宮地 貫一君 文部省大学局長 佐野文一郎君 文部省管理局長 清水 成之君
○政府委員(清水成之君) 五十一年度のその状況につきましては、これも先ほどの寄付金と同様近々調査をする準備をいたしておりますが、五十年度の場合を申し上げますと、入学金が取りっぱなしであったというのが約六十億円でございます。
○政府委員(清水成之君) その点が、冒頭にお答えしましたように、私ども具体的にまだつかんでいないわけでございまして、どういう傾向かどうかということにつきましては巷間いろいろ言われておりまして、それからいきますと、やっぱり上がっておる傾向になっておるのではなかろうかと思いますが、本日この席でどういう傾向とつかんでおるというふうに申し上げることは私としましては差し控えさしていただきたい、かように存ずる次第
○政府委員(清水成之君) 寄付者一人当たり平均額で比較いたしますと、四十九年度が医学部が千百二十六万円、それから歯学部が七百八十三万円、これが寄付の平均でございます。
隆司君 辻原 弘市君 長谷川正三君 山口 鶴男君 有島 重武君 高橋 繁君 受田 新吉君 出席国務大臣 文 部 大 臣 永井 道雄君 出席政府委員 文部政務次官 笠岡 喬君 文部大臣官房長 井内慶次郎君 文部省大学局長 佐野文一郎君 文部省管理局長 清水 成之君