1997-05-01 第140回国会 参議院 決算委員会 第2号
今、大蔵大臣が御答弁になり、あるいはまた先般の二十四日ですか、日米首脳会談において橋本総理がクリントン大統領に対して経済問題等で御答弁もあったわけでありますけれども、国際的な場におけるそういった御答弁と現実に我が国の現在抱えている問題との間に、私はかなりの懸隔があるんではないかということを懸念するわけであります。 昨年十一月にビッグバンの問題を総理が御発表になった。
今、大蔵大臣が御答弁になり、あるいはまた先般の二十四日ですか、日米首脳会談において橋本総理がクリントン大統領に対して経済問題等で御答弁もあったわけでありますけれども、国際的な場におけるそういった御答弁と現実に我が国の現在抱えている問題との間に、私はかなりの懸隔があるんではないかということを懸念するわけであります。 昨年十一月にビッグバンの問題を総理が御発表になった。
韓国につきましても、これまで何度か会合を持ってまいりましたけれども、なかなか相互の主張の懸隔、隔たりが縮まるには至っておりません。しかし、附帯決議にもあらわされておりますように、また昨今、とりわけ関係者あるいは関係地域で何としても早期の解決をという声がございます。そういったことをあらゆる機会に伝達しております。
だから、分収契約を結んで、これは一般の林家にも言えることですけれども、いわゆる投資をしたあるいはお金を借りてやったものの利率とそしてそれによって上げた収入との間にえらい懸隔がある。林業公社あるいはこれは県行造林にも言えることですけれども、もう六%を超えるような差異もあるということですね。それで、このままではもうとても払っていけない。
したがいまして、これの懸隔というものを、乖離しないように、平等になるように、国から地方へ税財源というものを移転をする。 また、先ほど他の委員からも御指摘がありましたように、地方の中には豊かな地方とそうでない地方があります。税収という意味ではどうしてもアンバランスが出ます。
これは国政、地方政治といいましても同じ政治でありますから、余り懸隔の扱いはいかぬと思いますね。 そういう意味で、地方の首長、議員、これに対する政治資金をどういうふうにして国政の場で補助すべきか、あるいは補助はなしにして、国政の場合とは違いますけれども、一定の民間の資金の供与を認めるか、こういうことが大きな問題になってくるわけですね。その点についてのあなたのフレッシュな感覚をお聞かせ願いたい。
社会党の案は、穀物自給率は五〇%で努力しよう、そうしなければ日本の自給率の達成というものは全体を見てできない、これだけの懸隔があります。 それはおくとしまして、そのような方向を示していただいたわけですが、これは十年先の目標ですか、いかがですか。
しかし、私は、福岡高裁のあの最終案に基づいて今まで三十数回も和解協議をやって、あれだけ懸隔のあった被告熊本県と原告が意見の一致を見ようとしているということですから、話し合いをすれば解決はおのずからできる、こういう判断に実は立っているわけです。
これはもう現実にいろいろな生々しい懸隔があるわけであります。あるいはまた、その干ばつ災害のとき、食物を与えればよいではないかと皆思うでしょう。これは全くの間違いだ。物を与えても食べられない、その力がない、栄養失調なんだ、食べられる力をつけてあげることがまず必要なんだ、こういうふうな事例をおっしゃっていました。 あるいは、できものでうみを持った患者が来院しました。
ただ、届け出というのは、もう先生本当に御指摘のとおりでございますが、既に譲渡相手が決まっている、それでもう契約せんばかりになっているところで地方公共団体が間に入ってきてかわりにこっちに買い取りたい、こういうことになりますので、自分は公共団体に売りたいと言ってくるケースであります申し出と懸隔があるのはどうも制度的にはやむを得ないかな、特に強制的に取得するというような制度がもちろんありませんで、あくまで
また、双方の法律的な考え方につきましても非常に大きな懸隔があったということで、結論的には、一方において経済協力を行い、一方においてはこの請求権の問題は一括解決するということでこの協定ができたわけでございます。 したがいまして、私どもが今までいろいろな機会に御説明申し上げておりますことと先ほど申し上げたこととの間に別に矛盾はないと思います。
それからもう一つは、懸隔があり過ぎる、あり過ぎると言っていますけれども、国は参加していませんけれども県とチッソと原告との間の和解協議というのはかなり距離は縮まってきておる。例えば病像論についても責任論についても、中身は時間がありませんから言いませんけれども、これは相当な懸隔がありますよ、基本的には。
大臣は懸隔が大き過ぎると言うけれども、私は、この和解協議を通じて、病像論についても責任論についても、どんどんその懸隔というのは縮まっていると思うわけです。 ですから、国が仲裁役とか行司役でなくて、そういう状況の中で国と原告、国と被害者、そういう紛争状態を片づける仲裁役、調停役が必要ではないか。しかし、それは国がやっても、原告の方は相対峙しているわけですから、うんと言わないわけですね。
同じ機械が農民の方に売られる価格と、それと同じ機械が輸出されている価格と、すごく懸隔がありますよ、物すごく。そういう事実を指摘したいと思うのです。 それで、肥料費について、きょうお手元に、委員長の許可をいただきましてそういうものを配りました。肥料代が、これはある研究者のものでございますけれども、これを見てください。
法律扶助飛躍という一つのキーワードが並んだわけでして、この問題、私は予算委員会でも、当選させていただいてからずっと扱わしていただきましたし、そして法務委員会でも八回ぐらいやらしていただいていまして、非常に国民的に認識していただいているようになりつつあるなという喜びも感じているわけでございますけれども、去年の春の連休に、私、駆け足ですけれどもヨーロッパの方へ法律扶助制度の視察をしてまいりまして、相当我が国との懸隔
そしてまた、率直に申し上げまして、それぞれの立場におきまして意見が余りにも懸隔がある、そういう感じを受けるようなさまざまな意見が出された状況でございまして、私ども労働省といたしましても、公正な、しかも前向きな気持ちを持ちながらこれを拝聴し、そしてまた、労働省自身の本来の労働者の福祉を守るという基本的な原則に常に立ちながら検討をいたしたつもりでございますが、現段階におきましては一定の方向を定めることは
ですから、そういう実態調査一つとってみても、現状認識そのものも政府の判断と実際の実態とかなりの懸隔があります。特別法で重点的にやってきてなおかつそういう現状なんですから、今後もさらに重点的な施策なり対策が必要だと私たちは考えているわけです。逆に伺いますが、問題があっても一般対策でやっていけばいい、そういう特別の重点的な対策は必要がない、こういうお考えですか。
ただ、今お話がございましたように、アメリカの提案とこの法律との間ではかなりの懸隔があるわけでございますので、そういう意味では、そういうことが果たして現実的にできるのかどうかということなどを考えますと、今お話がございましたように、アメリカの提案というのは、かなり大きなものといいますか、過大なものであるというふうに思います。
ですから、これは消費者のニーズからいいましてそういった面もあると思いますけれども、若干そういう流通面におけるコストは高いようでありますけれども、それほど大きく外国との懸隔があるというふうには承知していないのであります。
しかし、そもそもこの霞ケ浦の環境基準というのは三でございますので、この環境基準から申しますと、理想との間にはまだ懸隔があるというのが実情でございます。
今まで言われていたソ連の海軍力、空軍力と、この元年版で示されている海軍力、空軍力には膨大な懸隔がある、このように私は言わざるを得ないと思うわけでありますが、防衛庁長官の御感想といいますか、なぜこうされたのか御答弁をいただきたいと思います。
ところが、ここに対する国家の助成というものが、今私が比較をいたしましたように、外国と大変懸隔があります。いろいろな事情があり、また法制度の違いがあることは認められますけれども、こういうものをぜひ充実していきたいというふうに思って私は何回もお願いをしたわけです。