運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
17件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1949-09-15 第5回国会 参議院 選挙法改正に関する特別委員会参議院議員選挙法改正要綱立案に関する小委員会 閉会後第3号

縣縣へポスターを送りまして、又葉書を送りまして、そこで自分友人の所とか或いは兄貴のところとか、妹とか、叔父とか、そういう所から葉書を送つて貰い、適当なる縣内のところにポスターを貼る手配をして貰う、地元で應援演説もやつて貰うようにする、そういう計画を立てる所が全國区については縣々に必要なんであります。

岡本愛祐

1949-08-04 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第31号

最後に一つお聞きしますが、大体今までのお話で、今度の問題は単なる会社だけの内部の問題でなくて、明らかに、あまり言いたくないのですが、共産党が背後にあるということが先ほども言いましたように、縣の委員会櫻井實が直接これを指導し、北部委員長中川清松がさらにこれを指導するこのように、どういう指令が動いておつたか、私は存じておりませんが、この事件あと共産党の本部から錚々たる連中が現地に行つて、大いに應援演説

塚原俊郎

1949-07-22 第5回国会 衆議院 選挙法改正に関する特別委員会 第10号

この場合におきまして、第三者の電話による選挙運動の問題、第三者の主催の演説会または第三者應援演説の問題、第三者の支出する選挙運動費用の問題、第三者個々面接行爲等が考えられるかと思うのであります。  次には選挙に関する寄附の問題といたしまして、選挙に関する寄附は自由とするか、制限するか。制限するとした場合その限界をどこにおくかというような問題とも関連があるかと思うのであります。  

三浦義男

1949-07-22 第5回国会 衆議院 選挙法改正に関する特別委員会 第10号

なお應援演説で一定の議員候補者を推薦することをもつて目的とし、弁士がこれに関し報酬を受け、または報酬供與の申込を承諾した以上は、これをもつて同法にいういわゆる選挙運動者なりといわざるを得ないという判例もあります。なおいわゆる選挙運動者なりといわざるを得ないという判例もあります。

三浦義男

1949-01-08 第4回国会 参議院 法務委員会 閉会後第4号

証人松浦正隆君) 荻原氏の事件は、私は選挙のときに、永い間友だちで、私の方の理事をいたしておるもんですから、私は專属的に荻原氏の應援演説をいたしたんでございますが、その後副議長に当選しまして、副議長をやつており、曲直問題になりましてからは、いろいろな問題が起きたんでございますが、私の聞きました範囲では、荻原というのは、極めて單純な男でございまして、決していろいろな画策をして、こうだ、ああだということをしない

松浦正隆

1948-12-18 第4回国会 参議院 地方行政委員会 第3号

それから実はあなたの説明を今まで十分聽いていなかつたものでありますが、應援演説をやる者は選挙運動者ではないという、そういう点を、明確に選挙運動者であつて、例えば年始状を出してはならんというようなことを絡み合うのでありますが、そこを一番聽きたい、そこの限界をはつきりいたして頂きたいと思います。

柏木庫治

1948-12-18 第4回国会 参議院 地方行政委員会 第3号

特定候補者について特別の繋がり等はなく、單に選挙の際に依頼されて、種々の候補者について應援演説だけに参つて直ぐ戻つて参りますとか、又相手方の候補者の数は一人であつても、同じように單なる應援演説をいたして、直ぐ住所に戻るという限度は、含みませんが、御説明のように候補者行動を共にし、必ずしも候補者と一種の連絡等がございませんでも、知人等選挙演説を依頼するというような限度になればやはり年賀状禁止に含

郡祐一

1948-12-12 第4回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第4号

私はむろん総裁に会います前に、党へ出すといたしますれば、こういうことは大野君に諮るはずでありますが、その当時大野君はどこかへ應援演説に行つたか、岐阜へ帰つたか、いなかつたことはたしかです。大野君が帰りましたあと、実はこうこうなんだ、党へ出して総裁から礼状を書いてもらつた。そうしたら大野君が申しますのに、それはありがたい話だ。

星島二郎

1948-11-30 第3回国会 参議院 地方行政委員会 第8号

衆議院議員山口好一君) 「選挙運動に從事する者」というこの解釈は、大体選挙運動事務に從事しておる者と、こういう意味でありまして、單に應援弁士として應援演説をいたしますることだけをなすつておる方ははいらないという解釈であります。  それから只今の頒布に関しましては、確かにそういうことがいろいろ起きると思います。

山口好一

1948-11-11 第3回国会 衆議院 本会議 第9号

しかし、これは重大な規定でありまして、たとえば、從來選挙関係のない官吏が、勤務の余暇を利用して、支障のないように、日曜日に、たとえば自分友人應援演説をやつた。これは從來の戰爭前の法規でも認められたところであります。このようなところまで、今度の法規でこれを否定しているのかどうか。これは基本的人権の重要な部分に関する問題であろうと思うのであります。

中曽根康弘

1948-08-31 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第53号

そのときにはすでに知事選挙戰が開始されておりまして、私はまた佐世保に長くおられずに、どうしても弟の立候補を止め切らないうちに、進歩党民党党に変るというような空氣になつてきたものですから、私も弟の立候補を承諾して、それじやおれは佐世保の用事を済ましておいて、應援に來るということで、佐世保にわずかばかりおりまして、そのわずかの間に杉山知事應援演説には四、五回出たと思います。

門屋盛一

1948-08-31 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第53号

それから去年の四月の選挙には、私は北村さんを当選さすために、弟の参議院の選挙大分縣で済んで、もう一日、二日大分縣で應援してやつたら当選したかもしれませんが、北村さんを当選させたいばかりに、よもや落選するとは思わなかつたが、それでもと思うて私はかけつけまして、應援演説を二十五日一ぱいしましたが、推薦者にはなつておりません。

門屋盛一

1948-05-29 第2回国会 衆議院 本会議 第52号

残金の使途明細を申し上げますと、東京都会議員立候補者山口久吉白石錦太郎松葉武の三氏に各一万円、牛込区会議員選挙費用として佐久間徳太郎氏に三万円、森山邦雄氏には、同氏長男立候補選挙費用として二万円、原玉重氏には、矢野富太郎立候補應援費用として八万円、金子力三氏には、当時の日本自由党立候補者選挙應援演説費として八万五千円、下沢秀夫氏には、中曽根幾太郎氏の選挙應援費用として二十万円、岡村吾一氏に十万円

武藤運十郎

1948-04-06 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第12号

去る四月の選挙には私から、主として自由党衆議院議員選挙應援演説を全國各地行つてつてくれるように頼んだことがあり、その費用などとして去る三月末ごろから四月中ごろまでの間、六七回にわたり私方が合計八万五千円を渡してやつたのです。」こういうふうに申しておりますが、その通りでありますか。

武藤運十郎

1948-03-23 第2回国会 参議院 本会議 第21号

(「應援演説か」と呼ぶ者あり)  私は第一に、首相その他の方々にお伺い申上げます。第一に、首相自分演説せられました政策のどこに重点を置いて、今後どれから手を著けて、そうしてどんなふうにやるか、このことにつきまして一つはつきりと御説明が願いたいと思います。  次に、各項を追いましてお伺ひ申上げます。我が國は敗戰というこの現実によりまして、四つの狭い島に限定されたのであります。

竹中七郎

  • 1