1949-10-24 第5回国会 参議院 懲罰委員会 閉会後第5号
併しそれから私は直ぐ隣の議長應接室に入つて、それから直ぐ議事部長室に行きましたのですが、余り運営委員会のあれはよく私知らないのです。
併しそれから私は直ぐ隣の議長應接室に入つて、それから直ぐ議事部長室に行きましたのですが、余り運営委員会のあれはよく私知らないのです。
私覚えておりますが当時の次官官舍の應接間に出張所長が集まりましていろいろ懇談の結果、若しも堤防が切れれば内務次官は腹を切るのだということまで極言されまして、その結果我々土木出張所長は、次官があれ程言うのだからとにかく戰爭中ということで承知した歴史があるのであります。
二、「議員に対し面会の申出があつた 場合は議員に連絡し、その承諾を 得てから應接室に通行させる。」 三、「議員から特に議員室まで通行さ せたい旨の連絡があつたときは議 員会館事務室において通行証を発 行する。但し記章を有する者は通 行証を要しない。通行証は退館の 際受付に返却させる。」
○大村委員長 多い場合には應接室で面会することにしたらいいでしよう。
縣廳の二階の應接室で代表團とした。
○板垣證人 私はそのとき実は應接室に入つておりまして、もうそのときは社外の人が実は家族の者だといつてどんどん入つて來て、所長代理に一目会わせろといつて、つきまとつているものですから、私は應接室へ入つたきりで一歩も外へ出なかつた。ですから應接室内のできことは知つておりますけれども、外のことは應援室から大衆がいろいろやつておることは見ておりましたが、建物の内部のほかの部屋のできことは知りません。
相談のことだから三十分かかるか、一時間かかるかわからない、とにかく許可してくれと言つて、部課長はそのときは八人ですが、應接室のぐるりにすわつて、入口のとびらのかぎをかけていろいろ相談した。なかなか相談もまとまらぬし、そのうち時間が経過して十一時十五分になつたころに、もう時間だ、何をしているかと言つて、外の方でガラスをたたく。
朝連の事務所の方へすぐ上ろうとしたら、朝飯を食つてくださいというので、朴重根さんの應接間に一應通されました。私は初対面のあいさつをして、そうして朴重根さんが会場のせわなんかしておられると、奥さんが一人分の御飯を出されました。五人分なんかそういうことは承知しません。私一人分だけ出ました。卵二つが出ました、卵焼が出ました。
○土橋證人 私が朝食をよばれましたのはうしろの應接間のようになつている部屋です。朝食の終つたときに御主人さんがお帰りになつた。私は初対面のあいさつとして朴重根さんに非常におせわになつたということを感謝の意を表しまして、奥さんは日本の方のようですが、いろいろもてなしがありまして、そうして会場に上がつた。
私は應接室に腰をかけておりましたが、それは署長の執務をする机であるから、そこからおりてくれと要求して、一時机の上からおろした場合もありました。
にしろその他まじめに仕事をやる人が少なくなつて、その選挙を中心にしてそういう連中がざわついて来ますと、その生活は公費で負担しておきながら実にややこしくなつて、まあ相手にはならぬがというようなことがあればほんとうに有力な人は思いきつてそこでやめてしまつて立候補しますけれども、まかり間違つたら元に戻ればいいということだと非常にこの間決心のつかぬ人でもひやかし半分にやつてみるという人が多くなつて、民衆は應接
戸別訪問がなぜいけないかというと、これは要するに情実選挙になる、理性による選挙は地を拂つて情実選挙に陷り易いということ、それからまあぺこぺこ議員が頭を下げて歩くのですから、議員の品位を傷付けるということ、一般家庭にとつても、この候補者が來た、あの候補者が來た、毎日のように來るというので、應接に遑がない、ということが弊害だろうと思うのです。
○委員外議員(團伊能君) 私は十一時頃、運営委員会が非常に紛糾していて、相当激化しておるという通知を受けまして、運営委員会の議長應接室に参りました。併し非常に大勢でありまして、行き場所も分らないのでありまして、その場合におきましては、この四人の懲罰に付さるべき方の行動について特別に申上げることはありません。私の滞在していた時間も大変短こうございました。
甚だ不自由でありますが、議長應接室を使うことになりますから、さように御了承をお願いいたします。これで休憩いたします。 午後零時十五分休憩 —————・————— 午後二時五分開会
大阪府廳の御好意によりまして、府廳の應接間を調査團の調査室にお借りをいたして調査をいたしたのであります。 まず調査の箇処を先に御報告申し上げたいと存じます。三月二十七日、四月二日の両日行われました大会の主催者側の意見を聞くことが第一であると存じまして、両大会におけるところの主催者側のお集まりを願いまして、われわれ調査委員は主催者側の意見を聽取いたしたのでございます。
人の應接、面接、これにも非常に人数が必要になつて來るというような面ができて來ている。あるいは基準局などにしましても、大体行つて見たところでは、三年に一ぺんくらいしか監督が行き届かない。そのために、たとえば設備なんかに非常に悪いところがあつても、基準法から見てそれを十分監督することができない。たとえば日産の鋳物工場あたりでは珪肺が非常にたくさん発生しておる。
午後三時四十五分散会 ─────・───── 〔附 録〕 ウイリアムス博士と両院法規委員との懇談 —————・————— 昭和二十四年四月十九日(火曜日) (於参議院議長應接室) 午後二時開会 出席委員 衆議院両院法規委員長 高橋 英吉君 理事 角田 幸吉君 理事 松澤 兼人君 佐瀬 昌三君
それでその当時私は一般の部隊が皆山の中におりまして、私だけが道路の側に出ておりまして、私うしてソ軍と應接をいたしました。そうして向うの機械化部隊が、八月の二十日にその先頭が参りましたので、それから翌々日向うの師團長、分團長というような人が参りましたので、私はそこでいろいろ話をいたしました。
右院長官舎新営工事は、昭和二十一年十月六日本土木株式会社と契約したところ、別に昭和二十二年度において應接室新築等の工事を十五万円で施行することが確定的でありましたが、工事の実施上應接室の工事着手を翌年度にまわすことは不可能であります関係上、同一工事として並行実施した次第であります。
取消すということは、今の北條委員が言われた理由の中に入つておるように、結局予定せられておる派遣議員の諸君の意向を聞くことが大事だから、ここで委員会で、その関係者がいないのにそれを一應打ち切つて、改めて議を起すというようにやるのは、穏当を欠くと思いますので、今日議題になつているのを、預つて、そして委員会途中に、或いは天田君や、或いは岩本君も出席するかも分らんし、出席しなかつた場合には、委員長が個々に一應接衝
援護局におきましても、その警察官の態度も非常に私共の方の考え方といたしましては、言葉遣いなり、その他の應接態度でも非常に丁寧に申上げておるつもりでもありますし、私自身はとにかく実行しております。態度におきましても、できるだけ引揚者の方々の氣持を和らげるために、それは大友証人に聞いて頂きましたならば、私の取調べ方もよく分るでしようし、或いは引揚者の方によく分るだろうと私は思つております。