1949-08-23 第5回国会 参議院 文部委員会 閉会後第4号
このうちで只今申上げました本年度の應急建設計画という面で、五十三万一千六百七十二坪の建築を完了するとしまして、それの差引になります三百四十七万二千六百四十二坪、これがこれから二十五年度以降五ケ年計画だと仮に決めて頂いて、それを一應平均按分いたしましたものが、二十五年度から六十九万四千五百二十八坪、こういう形になるわけでございます。
このうちで只今申上げました本年度の應急建設計画という面で、五十三万一千六百七十二坪の建築を完了するとしまして、それの差引になります三百四十七万二千六百四十二坪、これがこれから二十五年度以降五ケ年計画だと仮に決めて頂いて、それを一應平均按分いたしましたものが、二十五年度から六十九万四千五百二十八坪、こういう形になるわけでございます。
○河野正夫君 十三枚目ですが、二十四年度に應急建設何ぼ、それから五ケ年計画何ぼというのは結構ですが、この五ケ年計画はずつとこの調査の表から見て参りますと、当然兒童の自然増加ということ、從つてそこに新築を要するというような面を見ていないのじやないか。
そうしてかすがいは應急建設には非常に便宜でありますから、これを出したわけであります。それからむろんこれは應急的の措置でありまして、一萬四千戸からの倒壞、流失家屋の復舊にた足りないのでありまして、別に資材割當の要求を經濟安定本部に即刻出しましたが、まだこれは決定になつておりません。
水力發電所も戰時中に建設されたものは、應急建設方法しかとつていないために、その故障が戰後において起つて來たとも申しております。それからこれが復興のためには、戰後澎湃として起つた闇とインフレのために資材が思うように手に入らない。資金の融通ができない。食糧が逼迫して勞働者が働かないということを申して、この電力復興が遅延しておることの口實にしております。