1998-05-13 第142回国会 衆議院 法務委員会 第14号
そして、もし直ちに廃 止することができないとするならば、さしずめ 死刑の執行は矯正職員にやらせることだけは、 せめて直ちにやめさしてもらいたいということ を懇望するものであります。(拍手)これは、 私が過去六カ年間大阪拘置所長として、数多く の死刑確定者と接し、彼らの死刑執行に立ち 会ってきた経験から結論づけられたものであり ます。
そして、もし直ちに廃 止することができないとするならば、さしずめ 死刑の執行は矯正職員にやらせることだけは、 せめて直ちにやめさしてもらいたいということ を懇望するものであります。(拍手)これは、 私が過去六カ年間大阪拘置所長として、数多く の死刑確定者と接し、彼らの死刑執行に立ち 会ってきた経験から結論づけられたものであり ます。
そして、何でそう長く続いたか、あるいはチェック機能がどうかという御質問でございますが、私はもともと寺の一人息子で学校を卒業して家におったら、町長がぜひ助役で加勢してくれと助役に懇望されて、三十四歳で助役になったんです。町村合併前三年間助役を務めて次の町長選挙があったんですが、私どもが推した現職の町長が落ちて反対した人が通った。
開発途上国からの要請に基づいて決定する要請主義をとっており、開発途上国首脳が来日した際に懇望されたり、また、総理や外務大臣の途上国訪問の際におみやげとして新規の援助や、援助の増額を約束することも多く、行き当たりばったりの援助だという印象を与えています。
したがって、今言われましたような天下り先云々という形で関与することは当然あってはならないことでございますし、今後も、人材として懇望される特例ケースの場合は別といたしましても、天下り先云々という世間の御批判、先生の御指摘のようなことが万々ないように、厳重にここではっきりと、そういう形の御批判を招くようなことはいたさないという形を明言いたしておきたいと思います。
○中村鋭一君 真藤総裁、私は総裁には質問の通告をしておりませんので、もしなんでしたらお断りいただいてもいいんですけれども、今の大臣のお言葉の中に、特に懇望されれば別だということがありました。
新電電も、そういった形で懇望されるという場合、そういった面もあるわけでございますから、そういった形が天下りに当たるか当たらないかは別として、ただし、こちらから押しつけがましい形での天下りという形は絶対慎んでまいるという基本姿勢は、断固として堅持してまいるつもりでございます。
そこで山陽自動車道というものの貫通が一日も早かれということを広島県民は大変懇望しておるわけでありますが、これがどうなっておるのか、現在の状況、将来どういうふうになるんであろうかということを大変心配しておりますので、発表できる限り詳しい発表をお願いをいたしたいと思う次第であります。
選挙違反に問われたので辞任をしたわけですが、ただ、その際新聞記者発表で、総理から懇望されてやめることにしたと、こういうふうに胸を張って記者会見があったわけですが、大平総理が糸山議員に懇望したというのは事実なんでしょうか。
その後再び主計局に復帰して予算の仕事をいたしておりましたが、その後もう一度、懇望いたされまして公団に出向いたしております。
しかし余りにも数が少ないので試験の門戸は開いていないということでございますが、やはりせめて国内の行動計画の前期として国連の場で発表する場合には、やはり先進諸国の日本は、この女子の就業の場として採用というようなひとつ形を何とかとっていただきたいと、さらに懇望するわけでございます。 次にお伺いいたしますのは警察庁でございます。
きょうは、夜遅いにもかかわらず自民党及び政府の切なる懇望によってこの質問が行われているわけでありますが、こういういいかげんな答弁が続くならば、私らは質疑をボイコットするしかない。これはひとつ明瞭に政府の統一見解なりなんなりをお示しいただくことをぜひとも要求いたします。そうでないなら質疑は留保して、次回に全部譲らしていただきます。
その中の一つとしてこの高崎丸が懇望をされたということでございます。
郷党の人々の懇望もだしがたく、先生は、羽田空港で立候補の決意を固められたとのことであります。このような事情から、選挙戦の不利は否めなかったところでありましたが、多年地方政界に尽くされた数々の業績と、地元の方々の熱烈な後援によって、みごと初当選の栄冠を得られたのであります。
そういう片手落ちみたようなことを、温情のある、しかも御理解の深い、三木総理から特別懇望されて文部大臣におなりになった永井文部大臣のお考えとしては、これはどうしても受け取れぬ。何かそこにはっきりした根拠があり、皆が納得するようなものがあればともかくとして。永井文部大臣は常に現場の先生方の声を聞いて私はやりますとおっしゃるけれども、現場の先生方の声はお聞きになっていないじゃないですか。
佐藤さんの政治家としての出発は、言うまでもありませんが、運輸次官から、第二次吉田内閣の成立に際し、懇望されて内閣官房長官に就任されたときに始まります。当時少数党内閣であり、戦後のきわめて困難な時期でもあって、国会に議席を持たぬ佐藤さんは、はかり知れない苦しみをなめながら、曲折に満ちた国会を乗り切るために、全力を傾倒され、縦横の活躍をされたのであります。
したがいまして、私学の担当課長を三月の末、一週間ほど文部省にこもごも呼んで、私学の予算全般について相互に意見交換、お話し合い、いわゆるヒヤリングというのをやったわけでございますが、その際にも、各県ごとにいかなる積算の内容になっておるか、予算折衝の状況はどうか等々を伺いまして、従前以上に私学共済に対する措置を懇望したところでございます。
○中山太郎君 文部大臣は総理が特に懇望されて入閣を求められたお方だと聞いております。総理大臣として文部大臣の御発言をそのまま御承認になりますか。
しかしながら、わが国運の変転に際会して、敗戦なお日も浅い昭和二十年十月、君は官界を去られたのでありますが、郷里大牟田の住民の懇望もだしがたく、昭和二十一年一月、市長につかれました。
少なくとも川井長官は、名古屋の高検の検事長までなさった方が政府の懇望にこたえて長官になられた以上は、それだけのことはしていただかなければ困るということを申し上げておきたいと思います。 この問題については一応おきますが、しかし文部省は、教職員の思想調査についてという通知を出しておられます。
そのメリットのほうは別として、デメリットのほうは一体だれがその犠牲を負担するのか、こういうことになりますといそもそもの提唱者が日本政府であるか、それとも沖繩県民の懇望もだしがたくということでここにきめたのかということが重要な問題になる。ひとつ大臣、担当大臣かどうかわかりませんが、どういうつもりで日本政付がかかっておるのか承りたい。
(拍手) 総領事としての職責を全うした後帰国された君は、官界を去って事業の経営などに携わっておられましたが、昭和三十年、懇望されて山形県副知事の重職につき、以来六年有余にわたって、地方政治に当たってこられました。その間、君は、赤字財政に悩む県政の建て直しと地方自治の伸展に心魂を傾けて大きな成果をあげられたのでありまして、君の残された業績は、いまなお県民の記憶に新たなところであります。