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11件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2015-05-27 第189回国会 参議院 憲法審査会 第3号

まず、いわゆる護憲に関してですが、既に二〇〇五年十月に民主党が取りまとめた憲法提言には、今、求められていることは、二十一世紀の新しい時代を迎えて、未来志向憲法構想を、勇気をもって打ち立てるということであると述べています。また、二〇一三年一月に改定した新しい党綱領においても、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向憲法構想していくと明記をしております。  

前川清成

2013-06-05 第183回国会 参議院 憲法審査会 第5号

もう一つは、憲法裁判前提に、法として裁判所によって貫徹できる範囲、要するにそれ以上の余計なことは書かない方がいいという、そういった憲法構想がございます。  前者の例がワイマール憲法、後者の例がドイツ基本法現行憲法だということになると思います。このドイツ現行憲法では、ワイマール憲法とは異なりまして、古い古典的な基本権、あるいは前国家的な権利のカタログに人権規定を限定した。

小山剛

2004-08-05 第160回国会 衆議院 憲法調査会 第1号

中間提言にも触れているとおり、私たちは、そのいずれにもくみせず、歴史の前に向かって大いなる憲法構想を打ち立てたいと考えております。  こうした正面からの憲法論議を避け、その場しのぎ憲法解釈で既成事実を積み重ねる政府のやり方は、憲法空洞化形骸化を招くものであり、ひいては国民憲法に対する信頼を損ねるものであります。

枝野幸男

2004-04-21 第159回国会 参議院 憲法調査会 第6号

一言で言うと、憲法構想というものが結局見えてこないということではないかなというふうに率直に感想を持っております。  以下、時間の関係もございますので急ぎますが、では、メッセージとして理念を発信するという作用、これはどうだろうかということですが、日本語として美しいのか、それとも醜いのかという点については、私には文学のセンスがありませんのでよく分かりません。

棟居快行

2003-05-08 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第4号

aの方は「民権派憲法史」でして、明治七年一月七日に板垣退助たち民撰議院設立建白をやってから民権派運動が続いていって、四番目に書きましたように、一八八一年、明治十四年に民権派のすごいたくさんの、すばらしい憲法構想が出た。いかに民主的で、いかに立派な憲法民間から出たかというものです。  

坂野潤治

2003-05-07 第156回国会 参議院 憲法調査会 第6号

そして、研究の中ではそういう国民憲法構想みたいな、例えば御存じのように憲法研究会構想とか、そういうものがGHQ構想に反映したんだよということを言われているんですね。しかし、私は、残念ながら、客観的な当時の状況からいって、圧倒的な日本の戦後国家を作った構想を提示し、それを権力的に実施したのはやはりGHQだったと。これを抜きにしては、戦後、憲法はできなかったと思うんですね。  

渡辺治

2002-07-04 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第5号

彼らに学んだのは、憲法構想内容というよりは、憲法起草に際しての姿勢であります。  グナイスト、シュタインともに、歴史法学という、法は民族精神の発露であると考える学派に連なる学者でありました。そして、彼らは伊藤に、憲法はその国の歴史や伝統の上に成り立つものでなければならないと教えたわけであります。この点を伊藤は何より重視したわけであります。

八木秀次

2002-07-04 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第5号

そういう点で、私は、明治期憲法の問題として考える場合に、明治憲法と同時に、民間が考えていたあの当時の憲法構想というものは、もう一度吟味する必要があるというふうに思っているんです。  さて、明治憲法の話なんですけれども、歴史問題としてこれを見る場合に、私は、法律自体の構造と、それが歴史の実際の中でどういう役割を果たしたのかという両面からの検討が必要だと思うのです。

山口富男

2002-07-04 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第5号

そうすると、その時期に、明治憲法への流れと同時に、先ほど少し民権運動のお話も出ましたけれども、自由民権運動の中やあるいはその周りで民権派憲法構想も随分生まれました。  その代表的な例は、やはり植木枝盛の、人権の保障を前提にして人民主権抵抗権まで明記したような、ああいう到達が一つあったと思うんですね。

山口富男

2000-04-06 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第6号

それを基軸にして、新しい憲法構想へと踏み出していく。このあたりは政治過程ですので、いろいろな動きが錯綜してまいりまして、日本の保守党の動きに関して言うと、私が資料につけさせていただきました「芦田均日記」なんかを見ますと、非常にビビッドに、鮮やかに出てまいります。  ともあれ、時間の軸をまずずらす、広げる。  

進藤榮一

2000-04-06 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第6号

これはもう四四年のアメリカ側憲法構想すなわち日本の国の形の骨格の中に日本司法改革が書き上げられているわけですよ。残念ながら、日本司法改革はその後進まず、ますます中央集権的というのか、閉ざされた司法へと向かっているわけですね。こういった実情をまず解体すること、これを脱構築することじゃないかというふうに、今はやりの言葉を使うと、思いますね。  

進藤榮一

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