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31件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2016-11-17 第192回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

たちは、戦後七十年の憲法史において、新たな一歩を踏み出すのかどうかという岐路に立っています。その重みを十分に理解しつつも、本当に必要ならば、どれだけの時間をかけても一歩目を踏み出すのだという熱意を持って議論を進めていくべきことを申し上げ、私の発言を終わります。

根本匠

2015-09-18 第189回国会 衆議院 本会議 第47号

これを憲法史側面から捉えたとき、やはり憲法解釈の一方的な変更、これが一つの分かれ目になっていると思います。  一つ天皇機関説です。  先ほど、圧倒的多数の憲法学者あるいは裁判官、法制局長官、たくさんの人たちが、こんなものは憲法違反だ、これを一顧だにしない今の政府の姿勢をお話ししました。戦前、明治憲法において、天皇機関説圧倒的通説でありました。

枝野幸男

2012-04-25 第180回国会 参議院 憲法審査会 第4号

現行憲法特徴をどうとらえるかというのはいろいろな議論がありますけれども、広く比較憲法史、日本だけではなくてヨーロッパ等比較憲法も含めて考えますと、やはり現行憲法特徴というのは、議会中心主義統治機構を理想化した第一次世界大戦後、もう少し正確に言いますと、一九二〇年代のヨーロッパの新憲法モデルというのに非常に近いわけですね。

大石眞

2011-11-28 第179回国会 参議院 憲法審査会 第2号

占領権力世界憲法史流れに沿って行動し、その時代における国際社会我が国との意思の合致が現憲法となったという側面もあるわけです。  現憲法は、形式的には帝国議会の審議などの手続を経て成立し、その後、半世紀以上にわたってこの国の形を規定する基本法として受け入れられ、機能してきました。  制定当時の国の意思決定有効性については様々な説があります。

江田五月

2007-05-08 第166回国会 参議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第9号

この上は、憲法が還暦を迎えた今年二〇〇七年が戦後憲法史に画期的な一ページを開く年となり、新生日本建設の新たな指針、理念、理想の骨格を示す骨太な設計図であり、また、日本民族歴史伝統、文化が染み込んだ国柄を映す鏡としての新憲法が、日本人の英知を結集し、日本人自らの手によって一日も早く制定されんことを願ってやまない次第であります。  

武谷洋三

2007-03-29 第166回国会 衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第4号

それだけ重大なことだから、それだけの判断能力を持った方々という形で、三十歳以上に引き上げることは理論的には可能とも言えるけれども、抽象的統一体としての、一の1で書いたことにかかわりますが、全国民にできるだけ引きつけた形、近づいた形で有権者団を設定すべし、設定するように、人類史的、比較憲法史的な発展はあるということからすれば、世界がもう十八歳以上の男女という形で国政選挙の、国会議員国民代表者選出権

吉田栄司

2007-03-29 第166回国会 衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第4号

昔の帝国憲法がたしか五十八年ぐらいの命であったと思いますが、そういう意味では大変長命の、しかも一度も改正をされない状況の中で今日を迎えているという意味では、世界憲法史の中でも希有な存在であろうというふうにも思います。  しかし一方、日本民主主義は、その間に大変大きな進歩と変化を遂げてきたというふうに考えております。

中野寛成

2006-10-19 第165回国会 衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第2号

また、ポーランド憲法史について実に整理された説明をされました最高行政裁判所トシュチンスキ長官も、この大統領権限の強化に関して、ポーランド憲法伝統としては国会が国の最高機関であるという国会中心主義が根強くあり、これが民主主義であるとの観念が共有されているとの認識を示されたことも印象に残っております。  憲法改正に係る合意形成プロセスについて申し上げます。  

中山太郎

2005-02-21 第162回国会 参議院 憲法調査会公聴会 第1号

一つは、国家論射程距離といいますか、有用性とかそういうことではないかと思いますが、憲法史を勉強いたしますと、この国家論というものが非常にピークに達するのが実は明治憲法のときであります。特に伊藤博文さんを中心としまして、ヨーロッパプロイセン憲法の、特にベルリン大学の経由の国家学というものを経由いたしまして、これを日本的に置き換えて明治憲法にいたしました。

五十嵐敬喜

2004-04-08 第159回国会 衆議院 憲法調査会 第5号

それで、法の支配との関係でいいますと、我が国がとっている違憲審査制、いわばその源流になっておりますアメリカ憲法史の中で、一八〇三年にマーシャル判決というのがあって、そこで初めて、アメリカの場合、憲法に反するという事例を裁判所が判断したわけです。アメリカ憲法史上、法の支配というのがそこで初めて確立したと言われているんですね。

山口富男

2004-03-25 第159回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第3号

そんなに詳しく見たわけではありませんけれども、戦後のドイツ憲法史をちょこっと見る限りでは、どこの裁判所に、どこにこういう機能を持っていただくかという議論があったと思うんですね。そのときに、既存の裁判所はだめだという認識があったようです。そういったときに、まだ手つかずでつくられていませんでしたので、憲法裁判所ができ上がってくる、そういうのはあったように思います。  

笹田栄司

2003-06-05 第156回国会 衆議院 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第4号

その第一部が「手続き的共和国憲法」で、サンデルは、アメリカ憲法解釈憲法史に立ち入った議論を展開します。憲法解釈に即して、一、権利の善に対する優先性、二、遊離した自己、三、中立的国家というリベラルの考え方に反対するのです。  例えば、フェデラリストが主導したアメリカ合衆国憲法においては、当初は権利章典は存在せず、州権を重視するアンチフェデラリストの主張によって修正十条までが追加されました。

小林正弥

2003-05-29 第156回国会 衆議院 憲法調査会 第7号

会議における参考人意見陳述の詳細については小委員会会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、  参考人からは、  まず、明治憲法制定に関するこれまでの普通の憲法成立史には、自由民権運動を重視する民権派伊藤博文らによる憲法制定の作業を重視する体制派の両者の憲法史相互関係、及び明治憲法制定過程と実際の運用に当たっての問題点との関連性が、ともに考えられてこなかったという問題点

保岡興治

2003-05-08 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第4号

aの方は「民権派憲法史でして、明治七年一月七日に板垣退助たち民撰議院設立建白をやってから民権派運動が続いていって、四番目に書きましたように、一八八一年、明治十四年に民権派のすごいたくさんの、すばらしい憲法構想が出た。いかに民主的で、いかに立派な憲法が民間から出たかというものです。  

坂野潤治

2003-05-08 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第4号

これは三国干渉で臥薪嘗胆になってしまったけれども、日清戦争の前後に条約改正陸奥宗光の努力で具体化して、陸奥宗光が亡くなった後で条約改正が完成したはずですけれども、そういうところから見た一種の憲法史といいますか、政治史というのはもっと研究しておかなければいかぬことではないかという気がちょっとしたんです。  

平林鴻三

2003-04-03 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第3号

特に、長尾参考人参考資料として配られました「思想としての日本憲法史というものを、参考人意見をお伺いしながらずっと私も読ませていただいたんですが、ふと、この歴史書をずっとひもとくときにイラクの問題を私は想像したんです。これから果たしてどういう形になるか。

大畠章宏

2002-05-08 第154回国会 参議院 憲法調査会 第6号

この基本的人権という言い回しが元来はポツダム宣言に起源を持つものであるということは常に指摘されるところでございますが、いずれにしましても、これらの基本的人権を侵すことのできない永久の権利であるというふうに述べているところからしましても、日本国憲法明治憲法とは異なりまして、さっき述べましたアメリカとフランスの憲法史の中で発展してきた理念に基づいて、国家といえども奪ってはならない権利があるという思想

初宿正典

2001-11-08 第153回国会 衆議院 憲法調査会 第3号

森田参考人 私、憲法史あるいは憲法学の専門ではないので正確なことあるいは詳しいことは存じませんけれども、明治憲法下におきます貴族院の場合には、いわゆる貴族という身分の中から任命されるということで、選挙で選ばれるわけではないわけでございます。そういう意味でいいますと、これはかなり特殊な、民主主義の民意を反映した機関として位置づけるということはできないのではないかと思っております。  

森田朗

2001-10-11 第153回国会 衆議院 憲法調査会 第1号

いずれの会談でも、一九三六年のいわゆるスターリン憲法制定、その後約四十回に及ぶ憲法改正、一九七七年の憲法制定等々といったソ連邦憲法史の中でも、一九九一年のソ連邦崩壊後に全面的に改正された一九九三年のロシア憲法は特筆すべきものであり、新しいロシアをつくっていくものであるとの認識のもとに、さまざまな意見が述べられました。  

中山太郎

2000-11-09 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

改憲歴代政府のまさに宿願でありまして、そのため、改憲論議は戦後憲法史を彩るものであり続けてまいりました。  これにつきまして、それにもかかわらず、改憲論議はタブーで、日本国憲法は不磨の大典とされているなどと説かれることがよくありますが、それは、事実を正しく認識していないか、あるいはこれらの言葉を誤用したものであるというほかありません。

小林武

2000-03-23 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第5号

長谷川参考人 私は、今東中さんが言われたように、そういう戦後の憲法史というのを丁寧に調べていけば、確かに、改憲論というのがどういう状況の中で、既に占領中から始まってどういう形で出てきたかということは、いろいろな事実があって立証することはできると思うんですけれども、きょうは私は、もっと大きな、世界憲法歴史流れの中で見ると日本憲法制定経緯についての議論はどういう意味を持っているか、あるいは、

長谷川正安

2000-03-23 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第5号

石破委員 先生は、六一年に書かれた「昭和憲法史の中で、現在の憲法占領中につくられた押しつけ憲法の性質を脱しつつある、こういうふうに書かれまして、押しつけだというふうにお書きであります。さらに、六八年の「新版憲法学の方法」の中では、アメリカ帝国主義者日本の人民、大衆に幻想を与えつつつくられた憲法である、このようにお書きであります。

石破茂

2000-03-23 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第5号

それは、日本占領したアメリカが対日政策を百八十度転換して再軍備の方向を出してきた、そこから出てきたことなので、自主憲法制定とかなんとかいうのも理屈をつけているだけで、五〇年代から改憲論が出てきた経過、それから、その主要な問題点特徴というものを、ひとつ日本憲法史として、そういう改憲論憲法史的な意義づけといいますか意義といいますかというものを、お伺いしたいと思います。

東中光雄

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