2014-11-05 第187回国会 参議院 国の統治機構に関する調査会 第2号
連邦政府と州の関係については、一九四九年の基本法制定の際に各州の代表者も含めた憲法制定委員会で草案が作られたこと、ナチス政権が従来の連邦制を廃止して中央集権型にしたことへの反省等を背景として連邦制が採用されたこと、連邦政府と州の関係に対する国民の評価は、州間の財政調整について一部批判はあるが、おおむね満足が示されている等の説明がありました。
連邦政府と州の関係については、一九四九年の基本法制定の際に各州の代表者も含めた憲法制定委員会で草案が作られたこと、ナチス政権が従来の連邦制を廃止して中央集権型にしたことへの反省等を背景として連邦制が採用されたこと、連邦政府と州の関係に対する国民の評価は、州間の財政調整について一部批判はあるが、おおむね満足が示されている等の説明がありました。
憲法制定においても、アウン・サン・スー・チーさんが率いる政党が憲法制定委員会から脱却をしてしまったために今できない状況にあると言われました。スー・チーさんの側は、そうではなく、私たちが参加できないような状況を作って追い出したんだと、こう言って、二人の意見は対立をするわけですけれども、そこらにやっぱり日本とか外からの力で憲法制定の方向に持っていくことも可能ではないかというふうに思っています。
また、その前はイランに行って、イランの憲法制定委員会の委員長格の人物です、その方にも会って、一体どうなって今のイラン憲法はできたのだという話もした次第です。それぞれの国がこれからのあるべき姿を考えている。
戦後の憲法も、これは帝国議会、憲法の規定によって憲法制定委員会ができて、手続にのっとってやっておりました。天皇が諮問してやっておりますが、敗戦、占領という、そういういわば外圧のもとでなされたものであって、真の意味で自主的に日本国民の発意で修正したものではないということははっきりしていると思うんです、やむを得なかった面もあると思うんですが。
私、たまたま一九九七年十一月十七日に、当時マッカーサー元帥のもとに民政委員であられました方々を五人お招きして、憲政記念館でこの制定時のアメリカの皆さん方の中から五名をお呼びしたのに接しましたそのときに、今も笹野貞子先生がおっしゃいましたけれども、その中にいらっしゃいましたベアテ・シロタ・ゴードンさんという女性が、当時憲法制定委員会に入りまして小委員会に入って、弱冠二十二歳で私がその人権問題と女性の権利
○永末委員 すでに憲法制定委員会でこれらの条章はほとんど条文としては審議が結了しており、後は本会議における決定を待つ段階だと私どもは承知をいたしておりますが、だといたしますと、いまお話のように秋ごろであるか、あるいはもっと早いかということが問題になります。
したがって、戦後、新しい憲法が制定せられるにあたって、私は、幸いにも、衆議院の憲法制定委員会の一員として加えられ、基本的人権の尊重、法のもとに男女平等の原則がうたわれましたときの歓喜は、ことばに尽くせぬものがございました。私は、日本国憲法を守り、その精神の発揚のために、今後も絶えざる努力を続けることこそ、政治生活の基本理念であると心に誓っております。
それから先ほど條約局長の方で、あの憲法制定委員会の中でも、吉田総理がああいうふうに御発言になつたと言いましたけれども、この発言の中では相当明確でない点があつたと思います。だから私はこの際もう少し政府の方で研究されまして、講和の問題も目の前に迫つておりますから、この点を私はつきりしていただきたいと思います。