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10件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1982-04-22 第96回国会 参議院 外務委員会 第8号

さんとは親戚でもあるが教養と見識において吉田さんよりは私は上だと見ておりました人で、吉田さんには非常に天才的なひらめきがあるが、基礎的な学問体系というものがなかったところに吉田さんの失敗と、並びに現実政治家としての取り巻きに支配されなければならない、吉田政権を持続することによって自分たちの存在が明らかになると思うような人たち——後年は大分変わっておりますが、自由党の総裁になった緒方さんなんかも、憲政常道論

戸叶武

1951-11-21 第12回国会 参議院 内閣委員会 第16号

○三好始君 只今成瀬委員から主食統制撤廃をめぐる政府の計画が実現しなかつたことに対する責任の問題が出されたのでありますが、私は曾つて自由党政権樹立についての、憲政常道論を唱えたことを記憶しております。主食統制撤廃をめぐる主問題は、国民生活に与える各方面の影響において極めて大きい問題であるはずであります。

三好始

1949-04-15 第5回国会 参議院 予算委員会 第13号

沢山聞きましたが、私はこれについては非常に原則的な批判がありますが、ただ一つ、この吉田首相の二大政党論の本質的なるものを一番よくはつきりさせるのは、若し民主自由党一つの大きな党であり、我々日本共産党がそれに対抗する一政党であつたとすると、当然吉田首相得意の政権受理ルールによれば、民主自由党が信望を失つて我々共産党が当然ルール從つて政権を得なければならんというときには、当然吉田首相はそのときには憲政常道論

中西功

1948-12-13 第4回国会 衆議院 本会議 第11号

これが憲政常道とすべきであると思うのでありますが、この内閣のように、吉田首相憲政常道論は、どうも私には理解ができません。かかる場合には、いかにいたすべきであるか、吉田首相の御見解をはつきりと承りたいと思うのであります。  今の機会には信用がない、解散をしてやり直すべしとの議論もあるようでありまするが、何度解散をいたしましても、解散によつて議会粛正の目的を達し得るとは私は思いません。

大原博夫

1948-12-13 第4回国会 衆議院 本会議 第11号

首相の主張は、原則として二大政党制及び絶対多数党の單独内閣を慣例として來たイギリス型の憲政常道論を前提としてなされたものと思われます。しかし日本現実は、好むといなとにかかわらず、かかる公式論をもつて律することはできないのであります。公式論が何であろうと、現実に絶対多数党が存在しなければ、内閣連立内閣たらざるを得ないのである。

三木武夫

1948-11-19 第3回国会 衆議院 本会議 第16号

憲法のもとに行われた憲政常道論は、現実に即しないものであります。ことに新憲法は、首班選挙について機械的運営を排し、國民代表者たる國会議員の意思を尊重して、多数決制度を採用しておるのでありまするから、新憲法のもとにおいて、旧憲法下憲法常道論を振りまわすがごときは、明らかに当を得ないのであります。  

安東義良

1948-11-15 第3回国会 衆議院 本会議 第12号

來私どもは、内閣辞職の場合、必ず在野第一党が首班を握るべしという吉田総理憲政常道論とは、その意見を異にしておるものであります。すなわち、首班指名を受けんとする者は、首班選挙に先だち、まず大体組閣後の施政方針議員の前に明らかにすべきものであり、これに基き、各議員がその当時の現実國情を勘案して、正しい判断のもとに首班選挙を行うべきものと信ずるのであります。

榊原亨

1948-11-08 第3回国会 衆議院 議院運営委員会 第10号

どうか総理は常日ごろ憲政常道論をもつて立つている人なんだから、この際そういう惡例を残さないように、ぜひとも施政方針國会を通じて國民に明らかにしていただきたい、こういうことを強く要望しておるのであります。ですから今の総理のお考えは御反省を願つて明日でもよろしうございます、やるということに御決定を願いたい。

椎熊三郎

1948-03-23 第2回国会 参議院 本会議 第21号

私は先般の首班指名の件につきましては、今更ここで憲政常道論という言葉を云々せんとする者ではありません。芦田総理首班指名は新憲法及び國会法に明記してあるがごとくに、議員多数の投票によつて決せられたのでありまするから、その結果手続等につきましては、新憲法の規定の上からいたしまして正に正しいのでありましよう。芦田総理は一昨日施政方針演説の中に國民道義の高揚を説かれております。

小林英三

1948-02-24 第2回国会 参議院 本会議 第15号

かような歴史的言葉を持つておりますところのその言葉を、直ちに今日持つて來て、その小党分立時代に当て嵌めようとするのが即ち憲政常道論のようでございまするが、然らば百歩を譲りまして、それが正しいものと仮定をいたしましても、然らば片山内閣時代におきまして野党の一党でありましたるところの自由党が、果して純粹なるところの野党であつたかと申しまするるならば、よしんば百歩を讓りましても私は純粹なるところの野党でなかつたと

島清

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