1977-03-29 第80回国会 参議院 予算委員会 第8号
○上田耕一郎君 しかし、この「青桐」には、藤本巧郎という元憲兵大尉で、二十数年間の情報将校の経歴があり、中野学校を創設した秋草中尉から手取り足取りして教わったと、自分で藤本巧郎氏がこれに調校嘱託として書いております。編集後記にも調校嘱託と書いてあります。調査学校へ私行ったときも、嘱託制度はないと言いました。これにあるんだけど、どういうことですか。再調査を要求します。
○上田耕一郎君 しかし、この「青桐」には、藤本巧郎という元憲兵大尉で、二十数年間の情報将校の経歴があり、中野学校を創設した秋草中尉から手取り足取りして教わったと、自分で藤本巧郎氏がこれに調校嘱託として書いております。編集後記にも調校嘱託と書いてあります。調査学校へ私行ったときも、嘱託制度はないと言いました。これにあるんだけど、どういうことですか。再調査を要求します。
その憲兵大尉渡部馨氏以下全員が、これも全然知りません、しかも刑死はなかったと私どもは否定いたしますと明確に言っている。憲兵というのが一番犯人を戦地において扱うのですから、その憲兵も言っている。なお、これで坂田事務官は再び福岡検察庁へ行って判決書を今度は特に見せてもらった。そしたらブーゲンビルにおける判決の調書が一冊になってあった。
大杉栄夫妻虐殺、憲兵大尉甘粕正彦に虐殺された。 米騒動に対する弾圧は一九一八年、大正七年の八月から九月。特に主食である米価の暴騰が勤労人民を苦しめた。これに反対して起こった全国的大衆運動。二カ月間、全国一道三府四十三県、一千万人が参加。
それから一方、県の本部から捜査一課長、鑑識課長その他関係者、それから米軍側の憲兵大尉、それから佐世保の地検の検事、これからの人たちが、二十二日の朝に、一緒になりまして現場の実況検分を行なっております。その実況検分を行ないました後に、被疑者であるところのラングという兵隊の取り調べを日本側が要求いたしたのであります。
憲兵大尉なんですが、それでいろいろあそこの内情等も聞いたわけですが、ほとんど施設的にはないわけです。ですから、私はかりに米軍がある程度主力を置いて使っておりましても、民間航空の場合には、やはり配意して、あまり見ばのいいことじゃないですから、日本の国の玄関をもう少し自主性のあるものに早く変えておいた方がいいんじゃないか、常々私はそう感じておりましたので、その点でぜひ一つ努力を願いたいと思います。
これは和歌山県の出身で元憲兵大尉であります。「家の近くの駅に着くとたくさんの八に迎えられ、誰も彼も涙を流し十分の挨拶もできずただ頭を下げるだけで、私も又涙が出て出て仕方なく黙々と頭を下げただけで、駅から家までは余り遠くないが、出迎えの人で続き、又次々と出迎えに来る人で行列でした。家に帰ると、田舎のことで一杯飲む準備ができ」ており、手伝人もたくさん来ており、大騒ぎである。
関東の大震災のときには流言蜚語によつて、朝鮮人が殺戮をされ、又無政府主義者と言われておつた大杉栄、伊藤野枝が、憲兵大尉でありますか、甘粕憲兵大尉に殺された、こういうような事件があるのであります。あの当時の日本の情勢を考えまずと、第一次世界戰争のあとを受けて、日本にデモクラシーの波が滔々として押寄せておつた時期ではないかと思います。
それに尉官が一人、これは宮崎という憲兵大尉であります。この方も含めまして日本人と言われるのが百十一名。それに将官收容所は、ソ連の規定では、日本人の勤務者を三十名置くことになつておりますが、帰国しました関係上十二月三十一日現在で二名残つております。この二名は、一名は元朝鮮平壤警察署の特高主任の古川、さらにもう一名はハルピン特務機関の緑隊無線通信士の野田という兵長であります。
私たち——私、憲兵大尉宮崎、現在二人残つております古川、野田、これら四名残されたのであります。これは明らかに取調べのためであります。その後私たち二名帰つたのでありますが、その十一月十五日に二十六名帰りましたあとにおいて、将官も帰国問題ということに非常に心を悩ましておられます。十一月十八日所長アスニス上級中将に後宮元大将が呼ばれまして、後宮大将に言われたことが次のような言葉であります。
この日現在ですと、日本軍の将官は、文官と憲兵大尉宮崎末雄氏を入れて、百十一名であります。それに勤務者といいますけれども、これは取調べのために残つております、これが二名、日本人は計百十三名であります。それに満洲関係は、皇帝以下三十七名であります。蒙古人三名を含めて四十名。それに中国人の勤務者十名、これが十二月二十日に四十五收容所に参りまして、これを入れまして、現在総員百六十三名になつております。
そこで、進駐軍の将兵でありますならば入ることができるであろうというので、クルップ憲兵大尉が、下士官二名をつれまして知事の救援に参つて、これは知事室まで入ることができたのであります。しきりに談判をしております諸君を制止して、退去することを命じたのでありまするが、どうしても應じない。