2017-05-11 第193回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号
中川昭一農林大臣のころ、息子さんが小学生、その小学生が高知県土佐清水に宿泊するということを昭一大臣から聞きまして、何で高知県に来るの、こう言いますと、慶応義塾幼稚舎のいわば授業で、幼稚舎の全員が漁村に行って宿泊するということ、船で太平洋をずっとめぐっておられました。
中川昭一農林大臣のころ、息子さんが小学生、その小学生が高知県土佐清水に宿泊するということを昭一大臣から聞きまして、何で高知県に来るの、こう言いますと、慶応義塾幼稚舎のいわば授業で、幼稚舎の全員が漁村に行って宿泊するということ、船で太平洋をずっとめぐっておられました。
例えば、東京大学の井堀先生とか、慶応義塾幼稚舎の舎長などもやっておられた金子郁容先生とか、それから三鷹市長の清原慶子さんとか、東洋大学の白石真澄さんとか、愛知みずほ大学教授の薬師寺道代さんとか、国際基督教大学の八代尚宏さんとか、そういった方々十名で構成されております。
君は、昭和三年十一月、岐阜県山県郡美山町に、戦後の保守政界の重鎮、故大野伴睦先生の四男として誕生され、慶応義塾幼稚舎から、長じて慶応義塾大学法学部政治学科を御卒業になりました。まさに慶応ボーイとしての青春時代を過ごされたのであります。 卒業後、お父上の秘書となり、政治に携わる歩みを始められたのでありますが、その傍ら、印刷会社や建設会社の経営にも意欲を持って当たられました。