2020-05-12 第201回国会 衆議院 財務金融委員会 第15号
幕府の最後の家臣だったんですが、最後、徳川慶喜にいろいろな献策をするんですけれども、入れられずに幕府をやめて、最後、新政府に殺されてしまうんですけれども、小栗上野介の言葉で、一言で国を滅ぼすのはどうにかなろうの一言だ、幕府が滅亡したのはこの一言だというようなことを最後に言ったというふうに言われています。
幕府の最後の家臣だったんですが、最後、徳川慶喜にいろいろな献策をするんですけれども、入れられずに幕府をやめて、最後、新政府に殺されてしまうんですけれども、小栗上野介の言葉で、一言で国を滅ぼすのはどうにかなろうの一言だ、幕府が滅亡したのはこの一言だというようなことを最後に言ったというふうに言われています。
坂本龍馬は土佐藩を通じて徳川慶喜に大政奉還を働きかけたとも言われていると。この文章が生徒に誤解を与える可能性があるというんですね。これ、全く正しいですよ。坂本龍馬が大政奉還したと言っているわけじゃないんです。坂本龍馬は後藤象二郎を使って、使ってと言ったら失礼でだな、同志の後藤象二郎にも相談して、そして藩主の山内容堂に絶対にここは大政奉還で行け、交渉しているのは事実なんですよ。
これが廃藩置県直前に、徳川最後の将軍である慶喜将軍が江戸の薩摩藩へ訪問のときに黒豚を料理として出して、慶喜さん、これ食べて実に美味であると、おいしいと、この豚をずうっと食べさせてくれということでわがままな要求があって、京都屋敷も、薩摩藩、自分の屋敷の置いてあったのも全部慶喜さんに持っていかれて、更にそれを要求されて応えた小松帯刀さんの手紙が大久保利通に送った手紙があるんです。
また、昨年、日本・デンマーク百五十周年という節目の年でございましたが、徳川慶喜公が最後に署名をした海外との条約がこの日本、デンマークの条約でございます。ところが、日本側ではこの条約が失われてしまいまして、デンマーク側には原本が残っている。その原本を借りて、日本の技術で極めて精緻な複製をつくってということが、昨年、百五十周年の記念事業として行われました。
最後の土佐藩主山内容堂公が将軍慶喜公に大政奉還を迫った一八六七年十月の大政奉還建白書、それには、憂国の士は皆口を閉ざし、あえて幕府への意見する者がいない昨今の状況は誠に憂慮すべきですから始まり、上下二院、議員の政治体制や海陸の軍備体制、教育、司法、立法の独立、地球上に独立する国家としての体制づくりを行うべきであるとして、流血流涕の念に堪えず、ここに建言を申し上げますと締めくくっています。
その死後、一二年の四月に第四回党代表者会がありましたけれども、この大会は金正恩さん自身と金慶喜、張成沢夫妻の共同主導のようなものであったと思いますし、李英鎬に代わり崔龍海氏が登場しました。しかし、その後間もなく、一二年七月に李英鎬軍総参謀長が粛清され、一三年末には張成沢党行政部長が粛清されます。
それと、もう一つ言えば、黄炳瑞という人は、張成沢さんの言うことは聞かないで金慶喜さんの言うことは聞くというぐらい、余り張成沢さんとは反りが合わなかったという部分があります。
鳩山政権は、維新政府の首相ではなく、第十五代将軍徳川慶喜公に似ているという話もございます。改革マインドはあるんだけれども、幕藩体制最後の将軍だ、こういう位置づけなんですね。慶喜公には篤姫という偉大な母親がいらっしゃいました。鳩山総理の場合にはどなたかは存じませんけれども、よく似ているものだなと思いますよ。 今我々の目の前に広がっているのは、古い古い自民党の時代のデジャビュですよ。いつか見た光景。
弘道館で水戸学を学んだ最後の将軍慶喜公もそうです。この弘道館をつくった斉昭公が最も好んだ言葉は、芸に遊ぶという、これは生涯学習、そしてもう一つは備えあれば憂いなしという言葉だったそうです。どんな状況に遭遇しても柔軟な対応ができる、そういう資質、それを備えていくという。 宮本武蔵の五輪書の中に、幅一尺は広いか狭いかという考え方が本に説かれています。一尺というのは三十センチということです。
これは生涯学習のはしりかなと、私はそうとらえていますけれども、ここで学んだ最後の将軍慶喜公は、将軍を辞めてから、謹慎が解かれて静岡に移ったその後の生活は、猟をやったり、カメラやったり、宝生流の謡曲をやったり、あるいは釣りをやったり、手裏剣も名人だったそうです。いろんな毎日毎日カリキュラムを作って、そして生涯学習をして、七十五歳まで、当時の年代からしたらすごい長生きだと思います。
正に、天災は忘れたころにやってくるという言葉がありますけれども、水戸の弘道館や偕楽園を造った徳川斉昭公、七百年近く続いた武家政治に最後のカーテンを引いた人は徳川慶喜公であります。その慶喜公のお父様でありますけれども、この斉昭公が最も好んで使った言葉は備えあれば憂いなしという言葉でありました。
○国務大臣(川口順子君) 徳川慶喜十五代当主は、大変に時代を見る目があって、そして個人の趣味も豊かに持っていた人間だと思います。勝海舟のような名臣もいた。そういう状況を可能にすることをやっていた、それまでのその政治でやっていたと私は考えます。
ところが、文久三年、一八六三年に、将軍家茂と、その後見役でありました後の十五代将軍慶喜が京都に移転します。それに伴って、諸大名、有力大名もことごとく京都に移転します。したがって、このとき首都機能は完全に京都に移転したんです。それからの五年間、明治元年までの五年間にすべての改革が行われました。
しかし、総理に平成の徳川慶喜になれと求めることは、飼い猫に野生のトラになれというようなものでしかないかもしれません。しょせん無理があります。 ここは良識ある議員各位によって問責決議案を可決し、小泉総理の肩をたたいてあげることがまずは必要なのであります。 これ以上、小泉内閣によってこの国が本当に必要としている改革の実現を遅らせるわけにはいかないのであります。
あの十八代将軍徳川慶喜が大政奉還をしたことが、(「十五代だよ」と呼ぶ者あり)十五代将軍徳川慶喜が、間違えました、大政奉還をしたことが歴史の大きな転換点となって徳川幕府が瓦解し、明治の維新回天が成りました。総理も身を挺し、自民党政治崩壊の歴史的なきっかけを作ることです。あとは真の改革派の総結集、すなわち平成版薩長連合によって本当の改革がそれこそ着実に進むでありましょう。
皆さん御承知のとおり、十五代将軍慶喜は、最後の幕府の切り札であり、一八六七年、内政改革案で、廃藩、士族解体等を内容とした幕府改革案を取りまとめましたが、幕府内部の抵抗勢力に押され、その案は実施するに至りませんでした。そして、その改革の実現は、討幕による明治維新を待つしかありませんでした。 今、私たちが、明治維新に匹敵するような諸制度の改革を行わなければ、この国は滅亡してしまうでしょう。
○山岡委員 御支援を申し上げたいんですけれども、そこが勝海舟と徳川慶喜公の違いなんですよ。幾らやったって、努力したって、もうずっとみんなやっているんです。これじゃできないし、景気はよくならないんです。しかし、海舟みたいに江戸を開城しちゃう。あなたの得意なやり方ですよ。江戸を開城しちゃう。三年で全部と切っちゃったらどうするんですか。もうこれは黙っていたっていくんですよ。
そのことが一番重要なんで、その壁の向こう側に行かなければ、今まで自民党の中のほかの人がやらなかったことをやったというのは、三大改革の人たちも言ったし、慶喜公もずっと言っていたんです。はるかに改革的だったんです、自民党の中、あるいは徳川の中では。
あなたは、勝海舟や山岡鉄舟になって新世紀維新を起こすのかと思っていたら、総裁選に勝った途端に第十五代将軍徳川慶喜公におなりになってしまいましたね、こう申し上げたのを覚えていらっしゃると思いますが。 勝海舟という人は、徳川の要人でありました。時代の見える人でありました。
小泉ブームと相なって、勝海舟、山岡鉄舟のはずが、ふたをあけてみたら、第十五代将軍徳川慶喜公におなりになった。さあここでどうされるのか、私はお聞きをしたいのでございます。 慶喜公になってからのお言葉というのは、所信表明、あるいはいろいろな質問がありました。そして、それに対して総理は改革と称するメニューを数点提示されております。
山田方谷は、農民の出身でありますけれども、非常に才能、能力がすぐれておりましたので、士分として取り立てられまして、皆さん御承知の最後の将軍徳川慶喜のもとで首相となった板倉勝静が備中松山藩の藩主、養子で入りましたけれども藩主。養子で入って藩主になって、それでこの山田方谷が大蔵大臣として取り立てられまして、もう破産寸前の藩財政の改革に取り組みます。
それから、徳川慶喜は大政奉還して将軍をやめたんですが、薩長はそれに後でまた追討令を出して鳥羽伏見の戦い、御承知のように大坂城に入って、これは英国大使をして日本におられたヒュー・コータイツなんという人が、幕末の大坂城で外国の使臣を接見する状態などをいろいろ書いておられます。 そういう意味と、それから、「大坂は帝都にしなくても何等衰えないであろう。
○山崎力君 そのお気持ちは非常によくわかるんですが、ちょっと話が飛ぶようですが、今NHKのテレビで「徳川慶喜」というのを毎日曜日やっております。ごらんになっているかどうかあれですけれども、その中身はともかくとして、私がちょっと取り上げたのは、放送の始まるときに幕末の写真を入れて出演者等を並べているシーンがあるんですが、その中で当時の江戸の町並みが出ているんです。
下手をすると、一昨日NHKで最後の将軍「徳川慶喜」を見て、その後に、バミューダ海峡、魔のトライアングルというのを私は見ていたわけでありますが、どうも日本経済も、この魔のトライアングル、あのバミューダ海峡のところに入りますと、飛行機があるとき爆発して消えてしまう、あるいは船が白いあらしみたいなものを見て沈んでしまう、こういうところがあるわけでありますが、日本丸あるいは日本の飛行機がこのバミューダ海峡の