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146件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1970-06-10 第63回国会 衆議院 決算委員会 第18号

数日後、ジョクジャカルタにおいて開かれましたアジア経済閣僚会議においては、愛知通産大臣から同様の発言があったのでございます。  一%の内訳につきまして、その七割については、政府開発援助として一九七五年までに達成するかどうかという点につきましては、OECDの会議におきまして日本代表は、この点は非常にむずかしい、ただ増加をするように努力をいたしたいという発言をしたのでございます。

奥村輝之

1959-08-10 第32回国会 衆議院 商工委員会 第4号

これは昭和二十九年愛知通産大臣のときも、最初四千八百万トン必要であると言われたのが四千六百万トンになり、四千二百万トンになり、また前尾通産大臣のとき、昭和三十三年度の需給計画は五千六百万トンであると言われた。これは昭和三十三年四月、本院における本委員会においても昭和三十三年の四月、三十三年度に踏み切っておったそのときでも五千六百万トンは必要である、こういうことをお話しになっておる。

多賀谷真稔

1959-03-10 第31回国会 衆議院 商工委員会 第26号

というのは、たとえば自由民主党というかあるいは経済企画庁というか、そういうところで長期経済計画というものを立てて新聞にもずいぶん発表され、またこの商工委員会でも愛知通産大臣のころから、しばしばこの石炭問題でも発表された。何ですか昭和五十年になると七千二百万トンなんといって、昭和五十年のことまで発表になったことがある。そして去年昭和三十三年には五千六百万トン、必ず生産、消費の責任を持つと言われた。

伊藤卯四郎

1958-10-23 第30回国会 衆議院 商工委員会 第8号

二十九年の当時は、四千八百万トンでしたが、四千八百万トンは絶対に死守するのだということを愛知通産大臣はおっしゃった。ところが四千八百万トンが四千六百万トンになり、四千三百万トンになり、四千百万トンになった。ところが幸いにして局長はかわった。そうして次の局長が、石炭不況ですからというので合理化法案を出され、ボイラーの規制の法案を出された。

多賀谷真稔

1958-10-22 第30回国会 衆議院 商工委員会 第7号

早い話が、政府生産見込み実績というものについて、昭和二十九年には、当初四千八百万トンの石炭が必要であると、当時の愛知通産大臣はここで非常に自信のあることを言明されております。実際には四千二百万トンしか要らなかった。ここにおいて六百万トンの違いが出てきた。ところが昭和三十一年には、四千五百万トンの見込みが、実際には四千八百万トンも必要であったということが出てきた。

伊藤卯四郎

1958-04-03 第28回国会 衆議院 商工委員会 第26号

それは一番不況であると言われました昭和二十九年におきましては、実際の需要は四千二百九十万トン、これはいわば国内炭生産と申してもいいわけでありますが、この四千二百九十万トンの実績のあった二十九年度におきまして、二十九年の三月の予算委員会において、当時の愛知通産大臣は、昭和二十九年度は四千八百万トン必要である、こうおっしゃっておるわけです。

多賀谷真稔

1957-05-27 第26回国会 参議院 商工委員会 閉会後第1号

愛知通産大臣のときにはそれ。そのときに私は政務次官をここに招致しました。ちょうど大臣が病気で出られなかった。その際に、私がるる細目にわたって述べたときに、遺憾の意を表明している。それは速記録をごらんになればわかる。それで料金値上げについては、電力会社がそれは多少の黒字はなければならないということは、先ほど大臣も言われた通り、それは多少もうけなければならない。

海野三朗

1957-03-29 第26回国会 参議院 商工委員会 第17号

それに対して愛知通産大臣も、これは肯定されている。で、こういうことを言われるならば、ますますその感を深くするのです。そんなデリケートな問題じゃない。数字でははっきりつかめるはずなんです。それを今度は頭打ちをはずしても、あまり影響はしないのだけれども、今度は一部暫定暫定で抜かすのだということになれば、この次は抜かすのだということになるじゃありませんか。

阿具根登

1956-12-03 第25回国会 参議院 社会労働・商工委員会連合審査会 第1号

阿部竹松君 通産省は四千三百五十万トン四千六百万トンからあるいは四千八百万トンとか、これが通産省自体では愛知通産大臣の時代が一番はなはだしかったのですが、一つの例ですよ。今、石炭局長のおっしゃるのは、本年度の計画が四千八百万トンだとおっしゃるから、確かに四千七百万トン、それが四千八百五十万トンになるかわかりませんが、それを中心としたところの石炭需給量があるのです。

阿部竹松

1956-04-27 第24回国会 衆議院 商工委員会 第41号

永井委員 昭和二十九年の十月に、電気料金を改訂するに当りましては、当時の愛知通産大臣は、近く電気料金に対する基本的な態度をはっきりさせる、こういう公約があったわけであります。また昨年の三月末に、石橋通産大臣よりも、それぞれ期限つきで今後の料金について根本的な検討を行う、しかもこれは閣議決定で、当時の料金というものが暫定的にきめられた、こういうふうにわれわれは承わっておるわけであります。

永井勝次郎

1955-12-14 第23回国会 衆議院 商工委員会 第6号

それでこれに対して外資導入の問題が起りましたときに、当時の愛知通産大臣もはっきりと御答弁をなさり、石橋さんも、いつかスレートの外資導入の問題についてはまだ多少研究余地があるということでごたごたしましたけれども、ミシンの問題については論議の余地がないからということで、石橋通産大臣からも明瞭なお答えがあったわけです。そこで私どもはこれはもう解決済みの問題として安心しておりました。

帆足計

1955-07-30 第22回国会 参議院 商工委員会 第37号

それだから結局そういう雨が降ったり豊水の場合には石炭が余ってくる、たとえば言われたように電力会社の協力は非常に得ておりますし、愛知通産大臣のときも特に電力会社から買い上げてもらったとともございます。しかしそれには限度があるものでございまして、事実は豊水のために電力会社は百五十億からの利潤を残している。今度は逆に石炭会社は数百万トンの石炭を残して倒れていっている。

阿具根登

1955-07-29 第22回国会 参議院 商工委員会 第36号

それでありますから、通産省から呼んで、技術的によく検討をして、この石炭活用ということにもう少し力をお入れにならなければならないのではないかということを、私は去年愛知通産大臣の時に力説した。ところがその後一度もお呼びになっておられない。どうも私はそういう点から考えますと、この石炭というものを活用するという点について、もう少し通産当局が身を入れておやりになってもいいのではないか。

海野三朗

1955-07-29 第22回国会 参議院 商工委員会 第36号

そのことについての研究が以前にあっておるのだから、少くともその石炭行政をやっておられる通産省は、私からそういうことも前に聞いたならば、なぜ、愛知通産大臣のときも傾聴すると言っておられたのだけれども、今日またその研究者の本人を呼んでよく御調査にならないのであるか、その点も私は通産当局にお伺いたしたい。

海野三朗

1955-07-14 第22回国会 参議院 商工委員会 第27号

愛知通産大臣のときに、去年私は石炭の、製鉄用石炭、つまり外国炭をたくさん入れる。その外国炭は粘結度が高いから、耐熱度が高いから溶鉱炉に入れるにはどうしても外国炭は入れなければならぬという理由で相当の石炭が輸入されている。その際に私は口をきわめて去年のこの商工委員会において私は述べたのでございますが、それは何であるかと申しますと、内地炭でも十分かたいコークスができるのです。

海野三朗

1955-07-05 第22回国会 衆議院 文教委員会 第23号

そうして昨年——当時の愛知通産大臣、東畑さんあたりが、昨年の十一月にアメリカに行ったときには、ほとんど話の原案というものができ上っておった。言いかえたら、自由党がこの原案を作ったのでもなければ、民主党が作ったものでもない。一民間人一つの外交上の意向が成功とでも申しますか、そういうことから話は起っておるのであります。たまたま吉田首相が行かれて、いわば吉田首相一つのおみやげとなっておる。

山崎始男

1955-07-01 第22回国会 衆議院 商工委員会 第34号

その後当時の愛知通産大臣は、四千八百万トンはちょっと無理かもしれぬが、四千六百万トンまでは絶対責任を持ちます。こういうことも答弁した。四千八百万トンを四千六百万トンまで自分が責任を持つと言った。ところが現実はどうですか。二十九年度は御存じのように四千百五十万トンそこそこじゃありませんか。こういうようになってきている。

伊藤卯四郎