運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
190件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2003-05-19 第156回国会 衆議院 決算行政監視委員会第二分科会 第1号

昭和四十九年に人確法ができまして、槙枝日教組委員長と大変な激論がございましたし、また、大変な思いをしながら、自由民主党の政治的な主導のもとに、奥野文部大臣愛知大蔵大臣との間で合意がなされ、実現したものだと承知しております。大変な苦労があったわけでございまして、この法律の意義を文部科学省はどう考えておられるのか。  

森岡正宏

1990-03-30 第118回国会 参議院 内閣委員会 第1号

愛知大蔵大臣のときには毎年上げてもいいと国会で言っているんです。そのときの物価指数を調べましたら、最初は五・七%、次の年は一五・六%。だから、五%、まあ一〇%前後くらいになったら当然上げなきゃならないなというのが歴代の大蔵大臣考え方だなと思ったんです。だからあなたも、これは先輩大臣よりももう少しいいですね、毎年やっぱりやらなきゃならないだろうなとおっしゃっているんですから。

山口哲夫

1982-02-13 第96回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

それは一つは、昭和四十七、八年ごろの田中愛知財政——愛知大蔵大臣亡くなられましたが、あのころトリレンマということを言ったことがあります、ドルショックのときに。これはインフレを抑える、それから福祉を切り上げて、ドルを減らすドル減らし、そういうニクソンショックドルショックのときに言われたトリレンマ

大原亨

1981-10-03 第95回国会 衆議院 予算委員会 第1号

特に、ここで指摘をしておる福祉元年と言われておる昭和四十八年は、田中内閣のときの愛知大蔵大臣のことを思い出しますが、彼はトリレンマと言った。インフレを抑える。それからいまと同じようにどんどん輸出が増大いたしまして黒字になっておったわけだ。それを抑えないとニクソンショックの二の舞をやられる。また、円の切り上げが起きてくるということでありましたから、福祉を増大するということでありました。

大原亨

1981-05-06 第94回国会 衆議院 大蔵委員会 第27号

ただ、これは愛知大蔵大臣のときに、いま亡くなりましたが、いろいろと詰めて、当時は国外に行っていろんな会議があって、ダンピング論で盛んにやられて、そうしてこれに踏み切ろうということでやって、当時吉田局長でありましたが、いいところまで行ったんだが、一九七三年オイルショック等でこれは御破算になってしまった、こういう経緯があるわけですが、本問題等について、やはりもう少し各省の協議その他を促進していただいて—

戸田菊雄

1981-03-17 第94回国会 衆議院 大蔵委員会 第11号

前回の審議のときのを読んでおりましたら、なるほど大変正直な、率直なお答えだなと感心したのですが、当時愛知大蔵大臣、高木文雄さんが主税局長主税局長が言っておりますが、こういうものが物品税課税対象となるんだということを一つの思想としてなかなか説明しにくいのは、そういう過去の経過から実はきております、愛知大蔵大臣だれが見てもぜいたく品奢侈品だというものに限定すべきではないかということでありますが、

伊藤茂

1979-03-22 第87回国会 参議院 内閣委員会 第4号

かつて四十八年当時でございましたか、愛知大蔵大臣も必要があれば毎年、一年に一回でもその改定をすることも考えないわけではないと、こういう答弁をしたことも私ども存じております。ただ実際問題といたしまして、最近のように特に物価がかなり落ちついておるようなときに毎年その改定を行う必要があるかというふうなこともあろうかと思います。

禿河徹映

1978-06-06 第84回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第11号

これは愛知大蔵大臣も、けしからぬ、そういう銀行、いわゆる長期信用銀行ですから、それがダミーの不動産会社をつくって土地を買いあさるとはけしからぬ、厳重に調査をして適切な措置をとる、こういう答弁を四十八年二月二十八日の衆議院の予算委員会でおやりになっておるのですよ。そのいわくつき土地なんです。

武部文

1976-05-19 第77回国会 衆議院 運輸委員会 第12号

しかも、その間におきまして、田中総理、当時の愛知大蔵大臣、新谷運輸大臣小坂経企庁長官三木環境庁長官等は、この政府の十カ年計画は絶対不変のものだとして、この実行を約束されました。ところが、経済情勢の変化もあったにしても、一年半足らずでこの十カ年計画が凍結をされ、加えましてこの再建計画は完全に破綻し、いまやにっちもさっちもいかない状態に来てしまったのであります。  

兒玉末男

1976-01-16 第77回国会 参議院 決算委員会 第2号

予算の編成に当たられたのは亡くなられた愛知大蔵大臣でありましたが、愛知さんはトリレンマの解消ということを提唱されました。国際収支物価福祉、この三つの困難な問題を同時解決するんだということで超積極予算を組まれたわけであります。そして後半には大変なインフレをもたらし、経済の混乱をもたらしたことは御承知のとおりであります。

小谷守

1975-06-26 第75回国会 参議院 内閣委員会 第12号

昭和四十八年の本院においても、鶴園委員から、坪川総務長官、現在亡くなられておる愛知大蔵大臣に対して、私どものいま主張しておることと同様の指摘を行っておりまして、当時もやはり坪川総務長官愛知大蔵大臣それぞれ十分検討いたします、御意見については十分検討いたしますと、こういうお答えをされているわけなんです。

野田哲

1975-04-17 第75回国会 衆議院 逓信委員会 第10号

そうしてその結論としては、四十八年の一月十四日、当時の愛知大蔵大臣、新谷運輸大臣それから自民党倉石政務調査会長、この協議によりまして国鉄財政再建対策要綱、これが決められました。その基本的方針というものは、国鉄、国及び国民が三位一体となって抜本的財政再建策の推進を図る、こういうものです。

大野潔

1975-03-20 第75回国会 参議院 大蔵委員会 第10号

さらに四十八年ですが、亡くなられた愛知大蔵大臣もこういう発言をしておりますね。先ほど言ったほかに、被相続人の蓄積した財産はその人の手腕、努力のたまものとはいえ、社会に負うところも大であると考えられますので、相続機会にその一部を社会に還元してもらうことにしているわけです。こうまで言っているわけですよ。

近藤忠孝

1975-03-20 第75回国会 参議院 大蔵委員会 第10号

辻一彦君 当時、愛知大蔵大臣が、取りたいし、取るべきだと、かなり強く発言されておるので、世情世論がその程度だったから検討してみたという程度では私は済まされないと思うんですが、当時のもう少しはっきりした、取るべきであるし、取りたいと言われたその根拠というものをもう少しはっきりお伺いいたしたい。

辻一彦

1975-03-04 第75回国会 衆議院 大蔵委員会 第13号

富裕税の問題につきましては、私が愛知大蔵大臣質問をして、大臣は相当前向きの答弁をされました。非常に意欲的なものを感じた。その後も私、別の機会にその問題に触れたことがありますが、大蔵大臣大平さんにかわりまして、また私は早速この問題について質問をいたしたことがあります。そうしますと、大平さんの答弁並びに現主税局長答弁はきわめて消極的である、あるいは否定的であるというふうに思うのです。

竹本孫一

1975-03-03 第75回国会 衆議院 予算委員会 第21号

そういう意味では、企業の方からも若干名、中小企業界からも若干名、要すれば主婦、労働者、農民、あるいはそれを代弁するに足る学識経験者というような者をお入れいただきたい、こういうように、愛知大蔵大臣のときに、質問かたがた要請をしたわけでありますが、二回目申しましたときに、それは日銀法の改正というものは時間がかかります、だから参与という制度がいまございます、それを活用いたします、こういうことで、この間調べていただきましたら

玉置一徳

1975-02-28 第75回国会 衆議院 大蔵委員会 第12号

これは当委員会でも、インフレが高進すればするほどいろいろな形で富裕税の問題も討議をされてきましたし、あるいは土地の再評価税の問題もわれわれいろいろな角度で提起をしているわけでありますけれども、富裕税についても、やり方はいろいろあろうかと思いますが、愛知大蔵大臣のころにもかなり前向きな答弁があったわけであります。ところが、大平大蔵大臣になられてから、これはかなり後退をしたと思うのであります。

佐藤観樹

1975-02-13 第75回国会 衆議院 予算委員会 第11号

(「だれだ、約束したのは」と呼ぶ者あり)亡くなられた愛知大蔵大臣です。じゃ、それは責任ないとおっしゃるのですか、亡くなられたから。自民党内閣として責任ないのですか。何に使うか、わけもわからないようなYXに、めどもないのに二十一億も予算をつけて、実際にがん患者が渇望しておる医療用原子炉、一基十億、なぜそれがつけられないのです。それを言っているんです。私は承服できませんね、これは。

楢崎弥之助