1949-07-04 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第16号
建設的にして愛國的なるところの勤労大衆、世界の環視の中にあつてあらゆる努力を傾けてこの國を再建せんとしつつあるところの、まじめな労働者諸君を煽動し、最も大切なる時期において國家の再建の企図を坐折し、この國を永遠に破壊と混乱のるつぼに投げ込もうとするものは、そもそもだれでありましようか。かような破壊と混乱による被害こそは、すべてこれ將來勤労大衆の上に振りかかつて來るものなのであります。
建設的にして愛國的なるところの勤労大衆、世界の環視の中にあつてあらゆる努力を傾けてこの國を再建せんとしつつあるところの、まじめな労働者諸君を煽動し、最も大切なる時期において國家の再建の企図を坐折し、この國を永遠に破壊と混乱のるつぼに投げ込もうとするものは、そもそもだれでありましようか。かような破壊と混乱による被害こそは、すべてこれ將來勤労大衆の上に振りかかつて來るものなのであります。
今又このような暴力的な方法による諸議案通過の強行は、明らかにフアシスト的政策を強行し、而もこれは我が國の独立を喪失せしめる方向に導くところの極めて非愛國的な方向であり、これは國を賣る方向に通じておる。
○國務大臣(吉田茂君) お答えをいたしますが、経済愛國主義というのは、これはその字の示すがごとくに、経済を以て日本の復興を助ける、助けたいという主義であります。その主義にこの労働法改正法が合するか合しないか、政府は合しておると考えたから提出いたしたのであります。
一つは総理大臣の施政方針演説の中にあつた経済愛國主義というものはどういうものか、その後分りませんから、経済愛國主義というのはどういうことかということ、それが一つ、第二は労働組合法の改正案というものは経済愛國主義とどういう関係にあるか、これが第二。第三は今まで労働大臣その他の答えを聞いていますと、これは役所の性質上そういうことに自然なるのかも知れませんけれども一種のセクシヨナリズムが感じられます。
忠君愛國の精神のごときはない。足利尊氏が盛んになれば足利尊氏へ、源頼朝が盛んになれば頼朝に同ずるということを言われまして、朝憲紊乱の疑いを以て起訴されましたが、断々乎として時流に毅然としてその信念を吐露するということは……我々國民の非常な弱点とするところであります。公益委員がその所信を忠実にやるということは、そういう人を得なければなりませんが、現在の環境では非常に困難であります。
又ここのナホトカ民主グループの推進力ともなつて、若い本当に愛國の至情に燃える若い青年のみがこの青行隊員となつてやつたのであります。青行隊の機構としては、一、二、三分所、これが各分所に青行隊があり、その上にそれを指揮する青行隊長というものがありました。それだけです。
首相はかねて労働者の愛國的協力を説いておるのでありますが、今度のストライキをどう考えられるか、労働者の要求を正しいとは思わないかということと、なぜストライキ解決のために積極的な態度に出ないかという、この三点を首相に代つて副首相からお答えを願いたいのであります。
すなわち、労働者諸君が十分に得心ができて、愛國の情熱をここに奮起せしむることが必要なのでありまして、政府はかくのごとき労働者の得心と愛國の情熱とをここに十分に発揮していただくために、これにこたえ得る経済政策似ついていかなる準備をお持ちであるか、これを明らかにしていただきたいのであります。
私は、こうした建前におきまするところのこうした法律に対しまして、民自党の諸君が眞に愛國的な見地に立つて再檢討されんことを深く要望するものであります。私は率直に所見を述べまして反対の意思を表明するものであります。(拍手)
経済的愛國心を口にする吉田内閣は、この税制改革にも自主性の喪失を明白に表明しておるのであります。まことに吉田内閣は、みずからの手によつて租税負担軽減の公約を実施する能力のないことを表明しておるのであります。
吉田総理は、本会議におきまして、経済的な愛國心に訴えるということを言つておりましたけれども、しかしながら経済的な愛國心に訴えるということは、決して一々外國の指導を待ち、そうして自分みずからこの税制の改革をやらずして、國民の負担をますます重くする、こういうことではないと私たちは思うのであります。
日本人も國を愛する熱意を持ち、またアメリカの占領に当つておられる方に、愛國の至情を持ち、あるいは再建の熱意を持つて当られることによつて、初めて援助などの効果も上るのだと思うのです。ところが日本ではそうではない。言われたことを唯々諾々として聞く。
この点につきましては、当然蓄積資本の社会化という点から、経済的愛國主義という新造語が出るように、労働者農民に協力が要請せられておるのであります。
それに対して思想的な背景があるのじやないか、いわゆるこぢつけを以て内地において、眞の日本人同志で、愛國者としてやつているところの者に対しての、各引揚対策の特別委員会、こうしたものにおけるところの空氣というものを、これが非常にこぢつけを以てやつて來ているということを私は感ずるのです。
いわゆるすべてがさくらであるとか、いわゆる兵士大会が先に言つた者はさくらである、後から記者の所に言つて來たのも、誰かこちらの方で……、いわゆる集結地の民主グループにつきましては、私が先程御説明いたしました、こうしたいわゆる眞の日本人を思うところの、愛國心を持つておるところの者に対していわゆる……。
しかしながら、戰前日本移民はあまりに愛國心に強く、偏狭なる日本精神に災いされまして他民族との同化性が乏しいという理由と、日本移民は日本軍閥政府の侵略主義政策におどる手先であるかのごとき疑いから、各地において排斥を受けたこともしばしばあるのであります。ポツダム宣言受諾以來今日までに、わが議会も政府も一新され、わが國民はあらゆる面において民主主義、文化主義的の方向に邁進いたしておるのであります。
移民の折には國内農村の犠牲となり、引揚に際しては戰爭の犠牲になつた彼らでありますけれども、而も默々として愛國の至情に燃えて開墾を続けておるのであります。昨日森農林大臣は、この満州引揚開拓民の賃價を認められましたので、私は簡單に質問の三点を申します。現在待機中の引揚満州開拓民一万二千五百戸を入植させるかどうか。又本年の入植は引揚満州開拓民だけに限定すべきである。
曾て偏狹なる國粹主義と忠君愛國を以て飯の種とする寄怪なる一群の人人と集團がありました。かかる一群の人と集團との無智と偏見とが無謀なる戰爭を挑発し、今日の祖國の悲運を招いた隠れたる元兇であることは、すでに國民周知の事実であります。そうして今でも國体護持、反共のスローガンをされ掲げれば飯を食うに事欠かぬ由であります。
その第一点は、供出成績の順調になつたことは、いわゆる吉田総理のいう農民の経済的愛國心によるものであるにもかかわらず、白書には税負担や農村購入物資の價格の騰貴による金詰まりのため、農家が供出を急ぎ出したことにその原因があると書いてあるのであります。農家の金詰りは農産物價格の不均衡、すなわち鋏状價格差の関係であるのであります。しかるに何たる農民を奴隷視した表現でしよう。
次に首相は、光明ある未來を招來するためには、國民の不動の信念と熱烈なる愛國心を強力に起して、國民の耐乏への覚悟を要望されたのであります。しかして光明ある未來とは、具体的にいかなる姿においての日本を理想とされているのでありましようか。不動の信念と熱烈なる愛國心の根源は、一体何によつて生ずるのでありましようか。
この二つの要件を滿たすことなく、ただ單に國民に対して耐乏生活を要求し、あるいは熱烈なる愛國心に訴えて政府に協力を求めましても、それはしよせん國民の共感を呼ぶものとはならないのであります。私はかかる見地に立ちまして、経済の安定と國家再建の方途につき所信を述べ、なるべく重複を避けて、諸般の問題について政府の見解をただしたいと存ずる次第であります。
これを國民にはつきりと示して、國民の努力の目標を示すことが、いわゆる経済的愛國心を振興する一番大事な因であると思いますが、一体復興計画はいかなる姿になつておるのか。 また私はその内容として一番憂慮する問題は、人口問題であります。
経済九原則の実施は、わが國の存亡にも関する挙國的大事業でありますので、國民の熱烈な愛國心に基く國民的な運動の必要なことにつきましては、まつたく荒木君と同感であります。(拍手)政府もこの各種機関の活動を期待しているのでありますから、さらに新たなる組織を設けるかいなかは別といたしまして、全國民の御協力を得る処置をせつかく研究中なのであります。
でき得る限り早く光明のある未來を招來するためには、手術は早きを必要といたしますし、國家をしてこの手術に堪えしむるためには、一に國民諸君の不動の信念と熱烈なる愛國心の協力に俟たねばならないのであります。
(拍手)でき得る限り早く光明のある未來を招來するためには、手術は早きを必要とし、國家をしてこの手術に耐えしむるためには、一に國民諸君の不動の信念と熱烈なる愛國心の協力にまたねばならないのであります。(拍手)連合國、特に米國の日本に対する深い理解と厖大なる援助はわれわれの衷心感謝にたえないところであります。
(発言する者あり)政府は、ポツダム宣言及び九原則を含むその他の管理政策を熱意をもつて誠実に遵守履行し、國民はこぞつて経済的愛國心により自主経済並びに民主政治を確立し、世界列國が一日も早く栄誉ある國際社会の一員としてわが國を迎え入れるに至らんことを、私は切に國民諸君とともに希望するものであります。
私は、この戰爭未亡人、遺兒をこのまま捨てておかれましては、愛國心あるところの健全なる思想の持主として育つことはむずかしかろうと思うのでございます。しかも、この百五十万前後の今後の遺兒の思想が日本の將來の思想を左右することを考えましたときに、何がゆえにもつと國家的な救済事業が充実せられないかということを、未亡人の一人として叫びたいのでございます。