2006-06-07 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
そして、今度の原案に即していいますと、教育目的のところで、愛国心云々のところで国家が問題になっているわけですね。そこでは統治機構ではないという了解が得られている。 自分の生まれた郷土そして国を愛する、これはだれも否定する必要のないことです、だれも否定しないと思います。よっぽど型破りな人がいるかもしれない。しかし、その人はまたその人で、その自由は、つまり、それはけしからぬと言う必要はない。
そして、今度の原案に即していいますと、教育目的のところで、愛国心云々のところで国家が問題になっているわけですね。そこでは統治機構ではないという了解が得られている。 自分の生まれた郷土そして国を愛する、これはだれも否定する必要のないことです、だれも否定しないと思います。よっぽど型破りな人がいるかもしれない。しかし、その人はまたその人で、その自由は、つまり、それはけしからぬと言う必要はない。
そういった点で、こうしたことは、先ほど愛国心云々ということを言われましたけれども、通常の愛国心と意味合いが全く違っていて、そういう自分たちのいわゆる過去におけるイデオロギーの求心力低下というものを補うための、言ってみれば目くらましとしての反日教育という側面が非常に強い、そういうふうにとらえるべきだ、こんなふうに私は思っているんです。
要するに、愛国心云々の点であります。要するに、そういう調査に協力してもらう愛国心というか、そういう気持ちから協力してくれる学生が多い次第だ、したがって、教育上はそれはよい人間になるのではないかと考えておると、こういう趣旨の答弁ですね。
○矢嶋三義君 次に伺いたい点は、文部大臣は盛んに愛国心云々と戦前あるいは戦時中の郷愁を起したような発言をされておりますが、私も愛国心を認めます。その愛国心というものは、あくまでも個人の尊厳、人権の尊重という新憲法に基いたところの、私はわが郷土、わが国を愛するという愛国心でなければならない。
あそこにありました何か愛国心云々ということが出ておつたようでありますが、これは御承知の通り従前から国民の愛国心を振起するために適当な方法をとらなければならんということは考えておつたのてありますが、特に今回のさような問題と関連して取上げられたということではありません。