運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
11件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

2003-04-22 第156回国会 衆議院 個人情報の保護に関する特別委員会 第8号

藤井政府参考人 私どもが立案に当たって参考にいたしました最高裁の判決についてでございますが、それは、愛知県地方労働組合評議会機関紙愛労評」の編集発行人発行責任者であり、かつ、名古屋市長選挙に立候補を決意した近藤信一さんという方がいらっしゃったようですが、その選挙運動者である被告人が、昭和四十年三月十二日付臨時大会特集号として、紙面に名古屋市長には近藤信一と大書きして、左肩に写真を掲げて、それで

藤井昭夫

1975-11-11 第76回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

実はプライバシー等の問題をめぐって、IDカードその他について行管の方々に私、何遍か質問をしてきたところでございますが、そこまで触れますと大変長い時間になってしまいますので、冒頭にこの新聞にあらわれていること、かつ愛労評、東海電通共闘などという組合組織の方がこれにタッチしておりますが、私のところにそれぞれの資料を送ってくれることになっておりまして、たまたま部屋へ行っている時間がなくて手にいたしておりませんが

大出俊

1975-11-11 第76回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

愛労評その他電通共闘から連絡をもらいまして、いま一括資料が私のところに届くことになっていて、あるいはもう部屋に来ているかもしれませんが、そういうことなんです。確かめてみましたらやはりそういう中身だというわけでありまして、どうもここまでのことをやるというのは、もしこの方が採用されなかった場合にはどうするのか。

大出俊

1975-05-30 第75回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第7号

ただ、おっしゃいましたように、今度はそういう報道評論を逸脱して、写真を入れ、まさに自分の投票依頼になるようなそういう性格の文書でございますと、これはもはやそこで言う報道評論を越えて、かつて裁判等で「愛労評」等でいろいろ争われた裁判がございますが、まさに選挙運動用文書となりますと、これは別な意味における、選挙運動用文書は限られたものでございますから、それを越えたものをまいたという、別な意味の今度

土屋佳照

1952-05-27 第13回国会 衆議院 本会議 第46号

政府が育成した愛労幹部小椿武藤は、審議会でこの基準法改悪に賛成し、全労働者から追放され、総評のみならず、総同盟からも、労働半裏切者として烙印を押されたではありませんか。労働大臣及び政府は、今必死になつて愛労幹部を抱き込み、第三波ゼネストに水をかけようとしているが、大衆はこれをすでに乗り越えて立ち上つているのであります。

柄澤登志子

1952-05-22 第13回国会 衆議院 労働委員会 第17号

その新聞によりますと、労働省当局武藤君やその他数名の、世間の言葉をもつて言いますと愛労系の指導者諸君と数次の会見をせられた。いわゆる公然の場所における会見には、総評その他の人も入つてつたようでありますが、その新聞の指摘いたした何とか寮でお会いになられました場合には、さつき申しましたいわゆる愛労系と俗に言われておる指導者諸君とだけお会いになられた。

中原健次

1952-02-20 第13回国会 衆議院 労働委員会 第4号

従つて今私のお尋ねしたいと思いますることは、現在の国鉄の一部の中から起つている愛労運動、それから北海道、九州を基盤にして動いておりまするフアツシヨ運動、これは現実に行われておる。軍事基地化されようとする全北海道に対して、獄中で転向された有名な共産党の昔の関係者フアツシヨ諸君と手を握つて北海道防衛運動という名によつてつておる。

青野武一

1950-03-31 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第12号

そこには愛労奉仕団とか、大連奉仕団とかいろいろございました。私はその中の愛労奉仕団というのに参加いたしまして、顧問をしておりました。そこは田岡という航空大尉が団長をしておりました。この人は全然国粋主義者で、むしろ神ながらの道を信じておる人であります。これは西大連難民救済をやるためにのし上つた男であります。これがソ連に初め監禁されたのであります。そのときにソ連が、お前はどうして戰争に参加したか。

金子麟

1950-03-22 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第17号

或いは大連愛労奉仕団幹部は元軍人であります。上原君の組織されておりました西部連合会はこれなんかは顧問として長谷部元満洲事変の立役者の一人でありました長谷部照悟少将在郷軍人連合分会長岩井勘六少将、こういう人達顧問にいたしました、旧追放さるべき西部地区の区長と連合した組織であります。これが新らしい事態に適合しないものであることは明らかであります。

土岐強

1949-11-18 第6回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

例えば愛労奉仕団大連奉仕団、それから私らが考えましたところの日本人居留民会組織、これは許されませんで、日本人相互扶助協会という名前になつております。その外七八つの民主団体がございます。特にとの愛労奉仕団あたりに至りましては、これはむしろ右翼系の思想を持つている団体でありまするが、これの隊長をしておりましたのは田岡という方でございまして、元は航空隊員であります。

金子麟

1949-11-18 第6回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

一つ金子さんのお話にありました金子さん自身がその顧問をされておつた愛労奉仕団ですか、それは田岡という航空大尉がやつてつて、それは人間が右翼的であり、団体も右翼的であつた。ところがその費用はソ連司令部が出した。このソ連司令部が出したということは金子さんはどういう手続で証明なさるか、それが一つです。

中野重治

  • 1