2003-04-22 第156回国会 衆議院 個人情報の保護に関する特別委員会 第8号
○藤井政府参考人 私どもが立案に当たって参考にいたしました最高裁の判決についてでございますが、それは、愛知県地方労働組合評議会の機関紙「愛労評」の編集発行人、発行の責任者であり、かつ、名古屋市長選挙に立候補を決意した近藤信一さんという方がいらっしゃったようですが、その選挙運動者である被告人が、昭和四十年三月十二日付臨時大会特集号として、紙面に名古屋市長には近藤信一と大書きして、左肩に写真を掲げて、それで
○藤井政府参考人 私どもが立案に当たって参考にいたしました最高裁の判決についてでございますが、それは、愛知県地方労働組合評議会の機関紙「愛労評」の編集発行人、発行の責任者であり、かつ、名古屋市長選挙に立候補を決意した近藤信一さんという方がいらっしゃったようですが、その選挙運動者である被告人が、昭和四十年三月十二日付臨時大会特集号として、紙面に名古屋市長には近藤信一と大書きして、左肩に写真を掲げて、それで
実はプライバシー等の問題をめぐって、IDカードその他について行管の方々に私、何遍か質問をしてきたところでございますが、そこまで触れますと大変長い時間になってしまいますので、冒頭にこの新聞にあらわれていること、かつ愛労評、東海電通共闘などという組合組織の方がこれにタッチしておりますが、私のところにそれぞれの資料を送ってくれることになっておりまして、たまたま部屋へ行っている時間がなくて手にいたしておりませんが
愛労評その他電通共闘から連絡をもらいまして、いま一括資料が私のところに届くことになっていて、あるいはもう部屋に来ているかもしれませんが、そういうことなんです。確かめてみましたらやはりそういう中身だというわけでありまして、どうもここまでのことをやるというのは、もしこの方が採用されなかった場合にはどうするのか。
ただ、おっしゃいましたように、今度はそういう報道、評論を逸脱して、写真を入れ、まさに自分の投票依頼になるようなそういう性格の文書でございますと、これはもはやそこで言う報道、評論を越えて、かつての裁判等で「愛労評」等でいろいろ争われた裁判がございますが、まさに選挙運動用文書となりますと、これは別な意味における、選挙運動用文書は限られたものでございますから、それを越えたものをまいたという、別な意味の今度
○相馬助治君 只今の共産党の岩間君の討論中に、具体的に星加君の名前を挙げられて、愛労運動云々というようなことに関して、甚だ我々としては容認しがたい発言があるようであります。(「そうだ」と呼ぶ者あり)議長において速記録を調査の上に然るべく処置をされることを、この際、希望しておきます。
政府が育成した愛労幹部小椿、武藤は、審議会でこの基準法改悪に賛成し、全労働者から追放され、総評のみならず、総同盟からも、労働半の裏切者として烙印を押されたではありませんか。労働大臣及び政府は、今必死になつて愛労幹部を抱き込み、第三波ゼネストに水をかけようとしているが、大衆はこれをすでに乗り越えて立ち上つているのであります。
その新聞によりますと、労働省当局が武藤君やその他数名の、世間の言葉をもつて言いますと愛労系の指導者諸君と数次の会見をせられた。いわゆる公然の場所における会見には、総評その他の人も入つておつたようでありますが、その新聞の指摘いたした何とか寮でお会いになられました場合には、さつき申しましたいわゆる愛労系と俗に言われておる指導者諸君とだけお会いになられた。
「屈辱の講和條約発効後三日目の第二十三回メーデーは、米帝と売国吉田政府の国民的権利を奪う断圧と売国奴愛労の分裂活動の集中的な表われである、人民広場使用禁止を無効にさせ、国民のものに奪い返すために果敢な闘いを展開し、実力で人民広場を占拠することを宣言した。
従つて今私のお尋ねしたいと思いますることは、現在の国鉄の一部の中から起つている愛労運動、それから北海道、九州を基盤にして動いておりまするフアツシヨの運動、これは現実に行われておる。軍事基地化されようとする全北海道に対して、獄中で転向された有名な共産党の昔の関係者がフアツシヨの諸君と手を握つて、北海道防衛運動という名によつてやつておる。
そこには愛労奉仕団とか、大連奉仕団とかいろいろございました。私はその中の愛労奉仕団というのに参加いたしまして、顧問をしておりました。そこは田岡という航空大尉が団長をしておりました。この人は全然国粋主義者で、むしろ神ながらの道を信じておる人であります。これは西大連の難民救済をやるためにのし上つた男であります。これがソ連に初め監禁されたのであります。そのときにソ連が、お前はどうして戰争に参加したか。
又別に元航空隊員某の組織いたしました愛労奉仕団、こういうようなものが五つ六つ続出いたしました。その中に最も民主的な人達で以て大連日本人民主主義連盟準備会というものが千九百四十五年九月末に発足いたしました。
或いは大連愛労奉仕団の幹部は元軍人であります。上原君の組織されておりました西部連合会はこれなんかは顧問として長谷部、元満洲事変の立役者の一人でありました長谷部照悟少将、在郷軍人連合分会長岩井勘六少将、こういう人達を顧問にいたしました、旧追放さるべき西部地区の区長と連合した組織であります。これが新らしい事態に適合しないものであることは明らかであります。
例えば愛労奉仕団、大連奉仕団、それから私らが考えましたところの日本人居留民会の組織、これは許されませんで、日本人相互扶助協会という名前になつております。その外七八つの民主団体がございます。特にとの愛労奉仕団あたりに至りましては、これはむしろ右翼系の思想を持つている団体でありまするが、これの隊長をしておりましたのは田岡という方でございまして、元は航空隊員であります。
一つは金子さんのお話にありました金子さん自身がその顧問をされておつた愛労奉仕団ですか、それは田岡という航空大尉がやつておつて、それは人間が右翼的であり、団体も右翼的であつた。ところがその費用はソ連司令部が出した。このソ連司令部が出したということは金子さんはどういう手続で証明なさるか、それが一つです。