2021-04-09 第204回国会 衆議院 外務委員会 第7号
多くの人たちが、実はこの意識、感覚を持っていないまま、対中国について議論をしていると思っています。 では、GDPというよりも個別のものを少し見ていきたいと思っていますので、次のページを見ていただきたいと思います。上の図は、米国、中国、日本のGDP。二〇一〇年に日本を追い越して以降、もう今や中国は三倍のGDPになっています。日本だけが横ばい。
多くの人たちが、実はこの意識、感覚を持っていないまま、対中国について議論をしていると思っています。 では、GDPというよりも個別のものを少し見ていきたいと思っていますので、次のページを見ていただきたいと思います。上の図は、米国、中国、日本のGDP。二〇一〇年に日本を追い越して以降、もう今や中国は三倍のGDPになっています。日本だけが横ばい。
○重徳委員 ちょっと私の質問にストレートにお答えいただいていないと思うんですけれども、やはり住民の意識、感覚というものをもっと大事にしないと、やはり納得感、納得度の低い町というのはいい町だと言い切れないと私は思います。 大臣の御地元、合併したところもあると思いますけれども、全国的に見ると奈良県は少ない方ですからね、合併した市町村が。
いわゆる直接投資、直接投資というか直接融資で全部やるという、直接金融をやるということで、間接金融より直接金融を選ぶという方向に大きな流れが、経営者の意識感覚としてもそういったことになっていったというようなことが総合的に起きて、地方にあります地方銀行というのがその経営が厳しくなっていった。それに多分マイナス金利というようなものも重なってきたんだと思っております。
その後でございますが、これを受けまして、平成十四年に閣議決定、司法制度改革推進計画という閣議決定がなされまして、そこにおきまして、まず第一に、判事補に裁判官の職務以外の多様な法律専門家としての経験を積ませる制度や、検事が一定期間国民の意識、感覚を学ぶことのできる場所で執務する制度を整備すること、それから二番目に、弁護士任官等を推進すること等が内容とされております。
更に民間の意識、感覚を取り入れていかなければURは本当に生きていけないと、私はこのように思っているところです。
だから、もちろんそれとこれは全然違うということをしっかりと言いましたけれども、そういう意識、感覚があるということもこれは御理解を是非いただきたいと思います。
そういう性質的なもので進捗状況に差が出ているのであって、決して税だけをぽこんと先に出したというような意識、感覚は持っておりません。
その職員の皆さんの意識感覚と申しましょうか、結構つらいものがあるんじゃないかなと思っております。ちょっと心配でございます。まして、人事交流するとなればいろんなパターンも考えられるわけでございまして、こうした職員の皆さんの意識改革、この意識の問題にちょっと触れたいと思います。
先生おっしゃったように、今までは、空振りというようなときにやはり現地の方々が大変非難をされる、それを恐れて余り、この避難勧告というのは、むだになってもいいぐらいの尺度で出すべきではないかと私は思うのですけれども、しかし、今までは余りそれがやれなかったような社会情勢、国民の意識、感覚だったと思うのです。
ですから、地方分権という言葉が余りにも、いいのかどうかまだ私も戸惑っているんですが、最終的にはやはり自治、みずからが治める、文字どおりこういう形になって地方の主権の時代になってほしいというような思いでございますが、どうも意識、感覚といいますか、受け入れ側の感覚として、従来型の国からの押しつけで、地方分権しますよ、権限を譲渡してあげますよ、受け入れなさいよ、何かこういうような思いで地方の皆さんがおられるようなんですが
少年に対する保護観察において高齢の保護司さんが一概に不適任とは申せないものの、意識、感覚のギャップが生じる危険があると言われれば、そういう問題点も確かにあろうかと存じます。 しかしながら、少年に対する保護観察においては、保護者を初め少年を取り巻く人たちとの人間関係の調整が必要であります。
近年の医学、生物学では、人を意識、感覚を備えた一つの生体システムあるいは有機的統合体としての個体ととらえており、人間の各臓器、器官を統合、調節している脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に失われた状態をもって人の死と定義する考え方が主流となってきております。つまり、人間の生命の座はまさに脳にあると考えられるのであります。
脳死臨調の多数意見では、先ほど御説明ありましたように、脳死では意識、感覚など脳固有の機能とともに、身体各部に対する脳の統合機能が不可逆的に失われた状態と考えられるので、医学的に脳死は人の死としております。 脳死状態になりますと、一般的対応では数日のうちに心停止、心臓がとまります。
ここでは、「脳死と医学的に見た「人の死」」すなわち医学的に脳死を人の死と言えるかどうかについて論じられましたが、結論として、「意識・感覚等、脳のもつ固有の機能とともに脳による身体各部に対する統合機能が不可逆的に失われた場合こもはや「人の生」(生きている人)とは言えないというのが近年における医学主流の考え方であり、すなわち人の死であるとしております。
○和田(貞)委員 二年前に総理府が「人と水とのかかわりに関する世論調査」というものを行っておりますが、その結果を見てまいりますと、水に対する意識感覚というのは随分変わってきておるわけでありまして、「水供給に対する意識」を見てみましても、「水道料金が高い」という声よりも、「飲んでいる水がおいしくない」という意見の方がかなり高度に進んでいるわけですね。
もちろん、このセンターが発足いたしまして進行いたします過程において、それらの問題は解決するんだと私は思いますけれども、当局とされましては、やはり県に指導なさる場面において、いま私が申しましたような混在しているような意識、感覚というものを上手に整理をしていただきまして、そして市町村に肩がわりしました国保の保健婦さんはもとよりやってきた人々ですが、今後もし市町村単位の保健センターというこのセンターには、
昔式の、二十年、三十年前と同じような問題意識、感覚で税務行政をやってもらっては困る。これだけ科学が進歩し、学問も大衆化している今日におきましては、税務官庁はよほど勉強してもらわないと困るのでありまして、科学的な税務調査の方法を使って万全を期すということが、一方において必要になってくるかと思います。