2006-04-10 第164回国会 参議院 行政監視委員会 第3号
その辺につきましては、いろんなデータから詳細に分析を進めておるところでございますが、ほぼ百十キロぐらい、時速百十キロで惰行運転中に、惰行運転というのは要するに何といいますか、モーターの力を切ってといいますか、運転中に風の原因による、原因だと思われますけれども、脱線転覆をしておるということで、現時点においてはブレーキを掛けたというような確証は今得られてはおりません。
その辺につきましては、いろんなデータから詳細に分析を進めておるところでございますが、ほぼ百十キロぐらい、時速百十キロで惰行運転中に、惰行運転というのは要するに何といいますか、モーターの力を切ってといいますか、運転中に風の原因による、原因だと思われますけれども、脱線転覆をしておるということで、現時点においてはブレーキを掛けたというような確証は今得られてはおりません。
この試験では、レールの塗油の有無、あるいは車輪の輪重差の大きさといった設定条件を幾つか変えながら、あるいは惰行運転、力行運転など、そういう条件を変えて八つの走行パターンで測定を行いまして、合計で六十一回の試験走行を実施いたしました。 この現地試験の結果、車両のいわゆる左右の輪重差や車輪とレールの間の摩擦係数が大きいという場合には脱線係数が大きくなるということが確認されております。
この事故の状況につきまして調べましたところ、脱線は四両目の食堂車でございますが、この食堂車が一番最初に軌間の中に落ち込んだ、いわゆる軌間拡大と私ども申しておりますが、レールが左側と右側とで所定の寸法より開きまして、その中に落ち込む現象でございますが、こういう現象を起こしまして、さらに当時八十キロの惰行運転でございましたので、四両目以降大きな事故に発展したものと結論を出しております。
あなたはさっき約八十キロで惰行運転をしておったと言われたが、八十キロというのは適当なスピードなんですか、どうですか。危険個所で午前から午後に引き続いて作業を行っておる。したがって、ここのところはもっとスピードを落として安全運転をすべきであるという指示がなされ、あるいは処置がなされてしかるべきではなかったかとわれわれは考えるのですが、その方面の手落ちはないのですか。
それでまあ、これは先ほど先生もおっしゃいましたように、どうして——とまるのは、これは上がり勾配で惰行運転中でございましたので自然にすうっととまったんだろうと思いますが、それから転動してうしろへ下がったときになぜ気がつかなかったのか。
ただいま御質問にございました事故は、十月七日の十八時二十四分に片町線の鴻池新田の駅で起きました事故のことだと思いますので、概況をまず御説明をいたしますと、第三六六電車でございますが、鴻池新田の駅を定着の予定で時速五〇キロの惰行運転で入ってまいりまして、駅にとまりますためにブレーキを使用いたしましたところが、事故表示灯が点灯いたしました。それから座席が停電をいたしました。
状況でございますが、上り特急客第八列車が防府駅を定時刻に出発いたしまして、時速約九十キロの惰行運転で進行中、前から三両目の客車に乗務中の乗客掛及び四両目客車に乗務中の乗客掛は、前から三両目客車内に異臭と煙の立ち込めているのを認めましたので、旅客九名を四両目の客車に誘導した後、四両目の客車の乗客掛がその車の車掌弁を使用いたしまして急停止の手配をいたしました。
状況は、同日十八時十二分、東海道本線貨物線の保土ケ谷-戸塚間におきまして、下り貨物第四七九列車が時速六十キロで信濃トンネルの中に入りまして、約五百メートル進行して上り勾配の頂点の手前で惰行運転に移りました直後に、列車の後部から非常ブレーキの作用するのを認めましたので、直ちに非常ブレーキを使用しまして、信濃トンネルの出口から約五十五メートル手前に停止いたしました。
このトンネルに差しかかります約三百メートル手前で惰行運転に移りまして、それからトンネルに差しかかりますときのスピードが約六十キロでございました。その後このトンネルの入口に近いところでブレーキをかけております。
まず事故の概況でございますが、六月八日十二時五十三分ごろ、東海道本線函南-三島駅間におきまして、下り貨物第七四六五列車が、四十九両編成でございますが、時速六十五キロで惰行運転中、ブレーキ管圧力が急激に下降いたしましたので、直ちに非常ブレーキを使用して約四百二十メーター進行して観音松トンネル内に停止しました。
ただ対向車のほうでこれは非常におかしいということで惰行運転して現場の様子を把握いたしまして、見にいく途中で機関士に連絡があった、こういう報告になっております。
概況は、この列車は柏駅を定時で出発いたしまして、二十八キロ付近で時速約五十七キロのときに惰行運転に移りまして、そして二十八キロ六百五十付近で機関助士が後部を反顧いたしました際には異状はございませんでした。その後二十九キロ六百付近で惰行運転で進行中に、後部から非常ブレーキがかかりまして、火花が出ましたので、直ちに機関士は制動レバーをとりました。
それとも、いまの話で、この船の事故の原因をあなたのほうで述べておるのを見ればですよ、パイロットが結局はこの「旋回圏、惰力等の操船要素の判断不充分」、こういうことを見ると、そのまま惰行運転をしてきた。機関を一たんとめてですね、そうして港に明るい引き船によって案内によって来たということになっておらぬように見えるのですね。この図面から見ると、ブイはいまあなたの説明されるように確かにあるわけです。
昨日の十九時五十八分に、第六四三列車ディーゼルの列車でございますが、これが御殿場線の富士岡駅を一分遅延して発車いたしまして、時速六十二キロで惰行運転中に、廠舎踏切という踏切に差しかかろうとしました際に、列車進行右側から踏切を横断しようとする大型トラックを気動車運転士が発見いたしました。これは約三百メートル手前で発見しました。
概況でありますが、「第六四三の列車は富士岡駅を一分遅延して発車し、時速六十二キロの惰行運転で進行中、廠舎踏切に差し掛らんとした際、列車の進行右側から踏切を横断せんとする大型トラックを気動車運転士が発見したので、直ちに非常ブレーキを使用し警笛を吹鳴したが問に合わず、トラックに衝撃し、約百メートル行過ぎて停止した。
局長は、とにかく非常な豪雨であるし、やはり浸水を心配いたしまして、何はともあれ三二七列車を動かせということで、豪雨の中を、しかも入口になりますと滝のような水であつたと私は推量するのでありますが、そのためにパンタグラフと電車線との間に非常なスパークを起しまして、パンタグラフをあげておけないので、入口からパンタグラフを下げて、豪雨の中を惰行運転で辛うじて上つて参つたのであります。